17歳からのメッセージReport2010

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16 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧れた。人は、自分も気付かないところで助けられ支えられ、一人では決して生きてはいけないものだと学んだ。「人を信じること。」それは大人になっていくほど難しくなっていくことかもしれないけれど、私は人を信じることを忘れずに生きていきたいと思った。Gomyownway!!サビエル高等学校(山口県)綿谷友里香さん何ごとであれ、人それぞれのイメージがある。しかし参加してみないと分からないのが国際交流だ。昨年一年間、留学を経験した。小さい頃から「外国」に興味があった。留学するまでは、ただ漠然と国際交流したい!という思いが強く、そんな思いのままに渡航した。ところが初日の授業でその思いは自分への問いに変わったのだ。「国際交流を通して具体的に何がしたいのか、何ができるのか」を考えたことがなかった。去年、十六歳だった私にできることは少なかったが自分なりに考えた。留学をする前、いろいろな人に、「自分から大変な道を選択せんでもいいじゃん?」と言われた。日本に居れば家族、友達がいて言葉も通じ、不自由のない生活ができる。しかし私は留学したことを大変と思わないし、何か困ったことがあっても自分に解決できると言い聞かせていたのだ。自分で解決する力。これは、人や社会とつながるために必要なことの一つではないだろうか。今できること、今しかできないことに積極的に取り組み、自分らしく、自分だからできることをみつけて世界への架け橋になる。留学を終えて強く望むこと、これが私の「人とつながる・社会とつながる」である。勇気徳島県立聾学校高等部(徳島県)梶原健太さん私には、健聴者とコミュニケーションを積極的に取ろうとしなかった時期があった。その時は自分が聴覚障害者であるという事が恥ずかしかった。相手に筆談をお願いして、迷惑をかけるのが嫌だったのだ。ある高校の生徒たちとの交流会だった。相手の生徒は皆健聴者だ。驚いたのは、その中に聴覚障害者と話したいという生徒が何人かいた事だった。筆談で、趣味・将来の仕事などいろいろと話をした。筆談だけで話をするのも面白いと思ったし、何より書くことで互いに通じ合えたと感じた。筆談をお願いされた人は、迷惑と思うかもしれない。しかし、迷惑だと思わないかもしれない。迷惑と思われるのを恐れて、筆談を頼みづらかったが、きちんと伝え合わなければ、相手にもっと迷惑をかけることになる。「自分の伝えたいことをきちんと伝えないと相手も自分も分からないままだ。」交流会をきっかけに、そう考えるようになった。人と、社会とつながっていくために、私もほんの少し勇気を出そうと思う。家族は肉じゃが宮崎県立延岡星雲高等学校(宮崎県)川﨑友佳さん私がまだ中学生だった頃、ある寒い冬のことだった。ふと、父が夜ごはんに出た肉じゃがを見て、私に言った。「家族って肉じゃがに似てないか?」まだ、中学生だった私は「意味が分からん。」と言って、その話を打ち切ってしまった。中学校を卒業して五人家族だった私の家には両親と私だけになってしまった。一番上の姉は仕事で東京へ行き、二番目の姉は大学進学のため大分に行ってしまったのだ。初めての一人っ子気分。初めの方は、一人になることにウキウキしていたが、月日が経つにつれて〝さびしさ?を感じ始めていた。その時、あの寒かった冬に父が言っていた言葉がよみがえってきた。「あの意味って何だったんだろう?」そう思いながら、父にその時のことを問いかけた。「もしオレが肉じゃがの具材だとしたら肉、お母さんはじゃがいも、そして東京にいる姉ちゃんが玉ねぎ、大分にいる姉ちゃんが人参、そしてお前は糸コンニャク。この具材の一つがかけてしまったら肉じゃがじゃないだろ?」と父は笑顔を見せながら私に言った。確かに、この具材の一つでもかけてしまったら、違う味になってしまう。二人の姉はもう家にはいない。だから私は〝さびしさ?を感じているのかもしれない。これから、またこの家族で一緒に暮らすことは難しいことだが、いつかまたおいしい肉じゃがができればと私は毎日思う。「命をいただく」という精神長野県下伊那農業高等学校(長野県)小木曽浩大さん「食べ物を粗末にするな」これは自分が幼少のころからずっと言われ続けてきた事だ。人は、植物や動物を食べる事で生をつないでいる。食べた生き物の「命」をいただいて生きている。だが現代の日本では、自分達が食べきれないものを簡単に捨ててしまっている。例えば、コンビニの期限の切れたお弁当などの食品。家庭の生ゴミだってそうだ。誰も食べないからといって捨ててしまい、いただくはずだった生き物の「命」はゴミとして処理される。本当にこれで良いのだろうか。元々日本は山が多く平らな土地の少ない国で、それゆえ少ない食べ物を大切にする心があったはずだ。それは「米粒を残すと目がつぶれる」などの年長の言葉に表れている。日本の食料自給率が低いという言葉を耳にするが、例え今後の食料生産者の努力によって自給率が高くなったとしてもやはり現代の日本人は生ゴミを多く生んでしまうだろう。「食べ物は限りなくある」という考え方を改めない限り、これは続くと思う。昔から日本人のもっていた、「命をいただく」という精神。ただただ自給率の向上のみに目をむけるのではなく、この精神をいかにして取り戻すのかという事も今後の課題として目をむけるべきである。