17歳からのメッセージReport2010

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2117歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧人の見方長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)松尾帆浪さん私には飼い始めて3年になる犬がいる。私が飼いたいと言って、自分で買った。なのにこの犬、私には全くなつかない。犬社会では、家族の中に自分より格下を作るらしいが、それは確実に私だろう。名前を呼んでも反応なし。触ろうとすれば吠えて噛む。この犬日本語がわかるのか?ってくらい、言ったことと逆のことをする。でもこの犬、時々すごく調子がいい。何かエサを持っているとすぐに近づいてきて、目をくりくりさせて、お座りをして待っている。それがすごく可愛いのだ。こいつ、自分の可愛さを武器にしてるな、と思う。しかもお手とおかわりはいつもの5倍の速さだ。そしてこの犬、周りの人には全く吠えたり噛んだりしない。そして見た目が可愛いから、すぐ好かれて可愛いがられる。ホントこいつ八方美人、いや、八方美犬だと思う。でもこの犬、時々私を助けてくれる。落ちこんで泣いたときは傍に来て、ちょんと座って私をじっと見る。元気だせよって言ってくれているようだ。この犬空気が読めるのか、と思ってしまう。これは人でも同じだろう。調子いいやつだな、と思っている人が、何気ないときに助けてくれたり頼れたりする。そんなとき、その人の見方が変わる。今までと違ったところから、その人を見ることができる。すると、今まで見えなかったところが見えてくる。そうすれば、今よりも、もっとその人を近くに感じられると思う。自分次第で変わること長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)村田千紘さん私が中学生のとき、ある授業で1枚の写真を見せられた。それは、1匹のチーターが今にもインパラにとびかかろうとする写真だった。もしこの写真の題名が「逃げきれるか、インパラ」だったら私は「がんばれインパラ」と思っているだろう。しかしこれが「チーター、10日ぶりの食事」という題名であれば「がんばれチーター!」と応援する気持ちになっていたことだろう。1つのできごとでも見方を変えるだけで、こんなにも印象が変わってしまうのだ。普通に過ごしているだけでも、嫌なことはある。ここで、「なんで自分が…」と考えるか「こんなこともあるか」と考えるかでは気分が全く違う。受け取り方、とらえ方次第で変わることなら、いい方にとらえればいいのである。「楽しい」や「幸せ」という感情は自分で決めることだ。他人にどう思われても自分が楽しいと思えば楽しいし、幸せだと思えば幸せなのである。これから社会に出れば嫌なこと、辛いことがたくさんあると思うが、少し見方を変えたりとらえ方を変えるだけで気持ちも変わる。同じ人生でも、少し見方を変えいろんなことに気づき、とらえ方を変え楽しく自分らしく過ごしたいと思う。幸せ発見熊本県立天草東高等学校(熊本県)田口誠さん「今も昔も美人」私に幸せをくれた祖母の写真のタイトルである。この写真は私にかけがえのないものを与えてくれた。私は、高校入学後、写真部に入部し、カメラを持つようになった。人物写真を撮ることが好きで、今やアイドルの追っかけのごとく、被写体を追いかけている。こうなるまでには、数知れない程シャッターを切ってきた。二年生の冬、コンテストに出品することが決まり、祖母を被写体に選んだ。多くの人に祖母を紹介したい気持ちもあり、また私自身も、もっと祖母のことを知りたいという気持ちがあったからだ。撮影に要する時間は限られており、祖母には相当な負担をかけた。それでも写真の中の祖母の表情は、ひまわりのように輝く笑顔だった。これは、私に向けてくれた愛情だ。シャッターを切った瞬間、祖母の笑顔を美しいと感じた。レンズの向こうに今も昔と変わらない祖母の愛情を見た。私はこの愛情をいっぱいに受けながら育ち、これからも生きていくのだと実感した。レンズの向こう側にあるものは、私の生きがいでもあり、生活そのものだ。写真を通して自分の居場所を得たような気がする。だから、私はこれからも写真を撮り続ける。応援してくれる人のために、そして自分のために。人と音熊本学園大学付属高等学校(熊本県)堀川桃さん私は今、吹奏楽部に所属している。最近、合奏を聞いていて思うことがある。合奏では、他の楽器の音をよく聞いて、上手く合わせながらも、楽器独自の音を大切にしなければならない。それは結構難しいもので、少しでもずれると、全体的に崩れていく。人間関係、それと似ているなと私は感じた。個性。人によって違う価値観、性格、外見。それは表にどんどん出していいものだと私は思うが、それは裏目に出たりすることもある。様々な人間と関わっている生活において、自分をどう表現するか。合奏と同じだと思った。1つの音だけが目立つ演奏は良くない。人間においてもこれは同じ。かといって、周りに合わせてばかりいては、音も、個性も死んでしまう。友達との間で、クラスの中で、他人のことを思いながら自分を表現することは案外難しい。他人を認めながら、認められながら、お互いきれいな合奏のように、共に過ごしていける関係を、これから出会うであろう人々と築いていきたいと思う。もちろん、今のクラスでも、そんなつながりを持ちたいと思う。至極簡単なようで難しい、けれどとても大切なことだと改めて感じた。伝えたいのは、自分の心と向き合えるつながりを持って、相手も同様に受け止めてあげてほしい、ということ。自分を消さないでほしいということ。ありがとう熊本学園大学付属高等学校(熊本県)森田昌幸さん父が退院してもうすぐ1年になる。中学校3年生の時バイト先で倒れ、救急車で運ばれた。脳出血だったが仕事で一緒だった人の対応の良さのおかげで大事には至らず比較的軽い症状で済んだ。退院してからは本業の葬儀屋に専念した。40代半ばを過ぎるとバイトはもう望めないからだ。母もその頃仕事場を変わっており、自分が公立高校に落ちてしまい私立の学校に通っていた為、生活は一気に苦しくなった。将来、通訳になりたくて中国語を習っている。一生懸命に勉強しているがなかなか上達しない。そんな中、父の仕事は