17歳からのメッセージReport2010

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2317歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧思っていた。テレビやゲームのなかでも死はあたり前すぎて、その大切さも見失っていた。しかし、彼女が死んだ時、私は後悔の念にかられた。亡くなる前夜、もっと遊んであげればよかった。外へ連れていってあげればよかった。もっと「大好きだよ」と言ってあげればよかった。その後悔の中で「逝かないで」と何度も泣いていた。私は彼女とあまり関わっていなかったのにそう願っていたのは彼女が優しかったからだと思う。私が悲しい時、彼女は慰めの言葉をくれないかわりに、ただ傍に寄りそってくれた。その優しさは何度も私を助け、励ましてくれていたことを思い出したのです。見返りを求めない愛を他人に与えることは、とても難しい。だけど、それは人に大きな幸せと強さをもたらすと思う。今の私には、まだそんなことはできないけれど、少しずつ他人を思いやっていきたい。私より若かった彼女は私に成長のチャンスを与えてくれた。ありがとう。優しさ石川県立鶴来高等学校(石川県)柴美里さん世の中の「優しさ」の定義とは何だろう。きっとこれを聞いてイメージするものは、一人一人違うのだと思う。私がイメージするものはというと、何かを決める時、相手の意見を優先することであると思ってきた。しかし、これでは私自身が受身になりすぎてしまい、私の意見は相手に伝わらない。今までは言うべきことを伝えられず、私自身がイメージする「優しい人」であったが、これからは自分の意見を相手に伝える努力をしていきたいと思う。相手の意見ばかりを尊重して自分の意見を言わないでいるのはよくない。お互いにわかちあうことができないし、イライラしてしまうからだ。そのことに気づいたのは、あることがきっかけだった。ある日、私は友達と遊ぶ約束をした。どこへ行こうかという話になり、私はいつも通り友達が行き先を決めるのを待っていた。すると、友達は「どこに行きたいのか言ってくれないと困る。」と言ったのである。そして私はその瞬間に、今まで「優しさ」だと思ってしてきた行為が友達を困らせていたことに気がついたのだ。この経験から、今までイメージしてきた私の「優しさ」の定義は少しずれていることに気づき、自分の意見を伝える重要性を知った。そして、これからは言うべきことはしっかり言える人間になろうと思ったのだ。私の町って…石川県立鶴来高等学校(石川県)林美亜さん「道、教えてもらってもいいですか。」休日の天気の日には観光の途中、給油のついでに聞いてくるお客がいない日はない。私の家は車のTVのワンセグが砂嵐で見られないほどの田舎にあるガソリンスタンドだ。その日たまたま親の手伝いで店内の掃除をしていた私に、この地で有名なそば屋はどこかと尋ねてきた一人のおじさんは大阪ナンバーだった。私の町はそばで有名だからそば屋は沢山あるけれど、あえて私は、地元の人から愛され続けていて、地元で知らない人はいないはずの店までの道を教えた。するとそのおじさんは「ありがとう。ここ良い所やなぁ、山も空気もきれいやし、おっちゃんとこビルばっかりやし羨ましいわ。」と言って去って行った。ビル一つなく山ばかりで、おまけに過疎化でより山の中の静けさの方が目立ってきそうなこの地域。羨ましいなんて言われたので驚いた。私にとっては生まれ育った地だから山とかそういったものは当たり前だけれど。おじさんにとってはまた違った世界に感じられたのだろうか。そう思うと自分はこんな良い所に住んでいたんだと実感することができた。おじさんの一言で自分の身近な良さに気づけた。私はきっとこの地に馴染みすぎて当たり前なものに、自身が溶けこんでいたから分からなかったのだ。私がこのような良い環境に生まれたのは奇跡に近いようなものかもしれない。だから自分の町に誇りを持って生きていきたい。理不尽な暴力北杜市立甲陵高等学校(山梨県)石沢礼子さん私が生まれてから十五年が経とうとしている。十五年という月日は、いくつかの事件を風化させ、また今の私を作りあげた。この十五年間で、私はたくさんの物に出会った。そのいくつかは記憶の中で静かに朽ちていき、またそのいくつかは既に失ってしまった。しかし、それら全てが今の私を作っているのだ。そのことを考えるとなんだかとても不思議な気持ちになる。何か一つでも欠けていたら、例えば作家の村上春樹さんが『ねじまき鳥クロニクル』を書かれていなかったら、そこにノモンハン戦争が扱われていなかったらこの文章を考えている私はここにいないのだ。まだ未来のことは何もわからないけれど、私は理不尽な暴力というものを追求していきたいと思っている。そのきっかけは村上春樹さんの著書であり、地下鉄サリン事件であり、ノモンハン戦争である。理不尽な暴力。今も世界のあちこちでは紛争が起こり、テロが起き、そして身近には暴言を吐く人々がいる。理由は今の私には分からないけれど、理不尽な暴力という物は確実に人の心を蝕んでいく。その理由を求めること、そしてできることならそれに立ち向かう術を見つけること。それがこの、私だけの十五年間で私が見つけた私の生き方だ。それはまだ未熟かもしれないが、これからの私がその思いをもっと強く確実な物に育ててくれると信じている。レール長野県大町北高等学校(長野県)一本木香さん私の家の隣には線路が通っている。この線路を電車は休むことなく動き続けている。時には大雪で動かなくなる時もあるが、人の手を借りて再び動き出す。電車はこうしていつも変わらずに、人の役に立ちながら一本のレールを走っている。私は電車と違う。人間は電車みたいに一本のレールを走っていくわけにはいかない。何本もあるレールを自分で作り、選んで、自分で突き進んでいかなければならない。でも、それを簡単にできる人はいない。私は何回もレールを踏みはずした。小さなことから大きなことまで。でも踏みはずしたことでわかったこともあった。だから今となってはそれが歩むべき道だったのかもしれないと思う。正しい道なんてない。自分がそのレールを選んだら、そのレールを必死になって走る。たとえそれが間違ったレールだったとしても。でも、私はそのレールを選んだ自分を絶対に後悔したくない。後悔をしてしまったら、そのレールはそ