17歳からのメッセージReport2010

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24 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧こで止まってしまうから。だけど私がふと思うこと。一本のレールをただただ走っている電車がうらやましい。無題長野県松川高等学校(長野県)畠山祥平さん人と付き合うことってむずかしいと思う。休み時間や帰り道に友達とたくさんしゃべって、別に悪気なしに言ったあの一言、本当はあの人、とても傷ついてたんじゃないかと思うときがある。もう言葉で言ってしまい、謝ったりしたらかえって悪気があったと思われてしまいそうで謝れない。この時、むずかしいなと思う。触れていい境界線はどこまでなのか?どこまでが笑って許されるのか?見えないから加減が分からない。次の日には忘れているかどうか不安になって人の顔色をうかがう自分、最悪だ。いっそのこと一人になってしまいたいと思う時が何度も何度もあった。でも、一人になると寂しくなり、どうしようもなくなる。息苦しさを感じるくせに、輪の中に安心感を見いだす自分は変なのかもしれない。でも、昨日のこと、今日のことを話すのはとても好きだ。そんな話が全部大好きで、大切なんだ。母の背中と自分の姿長野県松本蟻ヶ崎高等学校(長野県)関口瑞貴さん「なんでご飯作ってないの?」帰ってきた母の第一声だった。僕の母は小学校の教師をしており毎晩帰ってくるのが9時をまわってしまう。そのため、夕食は毎日僕が作る事になっている。しかし毎日部活で疲れてしまうためそんな気力はない。僕には兄弟が2人いるが、2人ともテレビを見ていて片付けなどは母が帰ってくるまでやらない。そんな所に仕事で疲れ切った母が帰ってくるので怒るのは当然だ。しかし僕の主張は「疲れてるんだからしょうがないじゃん」という言い訳だ。こんなやりとりをほぼ毎日繰り返している。このやりとりに終止符は見えない。でもこんな生活は続けたくない。そのためには…。考えても名案は浮かばなかった。そんなある日「今日は早く帰ってきたからお母さんが作るよ。」と母が言った。しかし僕は「早く帰ってきた時ぐらい休めばいいのに。」と思った。毎日疲れ切って帰ってくる母を見ると自然に「自分もがんばらなきゃ。」と思うようになってきた。そうして僕が動くと自然と家の中の言い争いはなくなった。よく「子は親の背中を見て育つ」といわれるが僕は本当だと思う。事実こんな僕でも変われたのだから。僕も将来、子どもが見習っても恥ずかしくない大人になりたい。母のような大人に。自分と姉と他人多治見西高等学校(岐阜県)横山佳菜さん私と私の姉は5歳ほど年の差がある。昔はその年の差を感じさせるものはあまり無く、とても近い存在だったように思っていた。だからといって今の姉と私の距離が遠いのかというとそうでもない。ただ、考え方に違いがあるなと感じるのだ。その違いを一番感じたのは、姉と外出をした時の事だ。飲食店で品物を注文した後、皿を運んできた店員に対してしっかりと「ありがとうございます」と言ったのである。更に、持ってきてもらった物をテーブルにおきやすいようにコップ等をさっと動かしたり、感謝の言葉を言いながら皿を受け取ったりしていた。この時、店員に対して何もしていなかった自分と、一連の行動をみせた姉と差を感じたのだ。私は「店員も、働くロボットではなく自分と同じ人間なのだ」という、そんな当たり前の事すら忘れて、ただの「客」としてふるまっていたのである。姉がそんな行動を見せるようになったのは、大学生になりアルバイトとして仕事をするようになってからだった。恐らく、働く立場になって改めて分かる事があったのだろう。私はまだ高校生だが、人を思いやるという意識を持つのに年は関係ないと思う。だから、自分のためにも、周りの他人に対する接し方は姉を見習っていきたい。チャンスを生かす愛知県立蒲郡東高等学校(愛知県)エミリーウォーカーさん私は高校一年生の時から日本語を勉強しています。そのため、日本に住むチャンスが突如自分の前に訪れた時、私はすぐに申込みました。私は現在日本に3ヶ月います。いろいろありましたが、私の人生のなかで最もおもしろい経験となっています。私は日本が好きです。東京、大阪、名古屋、京都、広島、自分の住んでいる街、学校、友達、先生、すべて好きです。人々、食べ物、オーストラリアとの相違点や、数は少ないですが類似点なども好きです。特に友達はかけがえのないものです。私のここでの経験は間違いなく友人によってより良いものになっています。2年半前に3週間、修学旅行で日本に来ました。私は多くの人に会い、彼らは未だに私の友達です。これは非常に驚くべきことです。言葉の壁は間違いなく難しいものです。なぜなら友人に伝えたいのに日本語で伝えられないことがとてもたくさんあるからです。勉強がしたくない時はいつも、その事を考え、そのことが私の勉強するモチベーションになります。私はオーストラリアにいる友人や家族がとても恋しくなることもあります。しかしここでの経験が私にとってどんなに特別なものか、そして、私が今後得るものがいかにたくさんあるかということに比べればたいしたことはないのです。たった3ヶ月ですが、私はすでにとても多くの事を学び経験しているのです。ばらばらだった自分大阪府立大手前高等学校(大阪府)佐伯孝一朗さん自分が嫌いだった、でもその自分はオレで、そのオレを嫌っている自分もまたいる。もうずいぶんと前のことに感じられるが、中三の終わり、あともう少しで高校入試…という時期、当然毎日、勉強漬けのはずだが、オレはまったくやる気がなかった。理由はわからない、ただ、勉強しなければと思って机に向かった一分後、ノートには少しの数式と芯が出っぱなしのシャーペンが転がっていた。