17歳からのメッセージReport2010

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2517歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧そんな自分が嫌いだった。そしてオレは、テキストの問題が全く解けていないのを「昨日の自分」のせいにした。そして、「明日の自分」にうらまれることを知りながら、その日も問題を解かなかった。いつしか、昨日、今日、そして明日の自分はオレの中で別人になっていた。そんなオレが変わった日。理由は簡単だ、一つ落ちたからだ。そうしてやっと気付いた。自分は昨日の自分を他人と見てまで、勉強しないことを自分のせいだと思いたくなかったのだと。そしてオレは昨日までの自分を笑った「ばかだな、毎日その日の自分が勉強していればよかっただけじゃないか」と。その時、昨日の自分、一昨日の自分………と沢山いた自分は初めて一人のオレになった。そしてそこからの必死の勉強でオレは高校に合格した。その日から今日まで、そしてこれからの自分は、ちゃんと自分に責任を問うていくだろう。次の私から見た私大阪市立工芸高等学校(大阪府)黒木友里恵さん今、私は、ひとつの節目に立っているのかもしれない。十七歳になって、「自分」について考える時間がとても増えた。今までも、たくさん考えるには考えてきたのだが、ここまで深く考えることは未だかつてなかっただろう。「自分」について考えていると駄目なところばかり見えてくるもので、御多分にもれず、私もそうだった。とにかく私は、甘ったれているのだ。それはもう、吐き気がするほどに。自分がかわいくて仕方ないのだ。今まで、自分は「人に優しく自分に厳しい」と思って生きてきたのだが、そもそもその考え方がおかしいことに気付いた。自分に厳しい人が、自分で自分を「厳しい人」と思うだろうか?私はずっと「人に厳しく自分に優しい」人間だったのだ。それに気付いたとき、私は恐ろしく恥ずかしかった。なぜ、そのような考え方になってしまったのか、大体見当がついていたからだ。私は、小学校低学年の時に母を亡くしている。それがきっかけとなって自分を「悲劇のヒロイン」に仕立て上げたのだ。もうこんな自分は嫌だ。私は悲劇のヒロインではない。むしろ幸せな家庭に育ってきたのだ。そして、幸せな家庭に育ってきたからこそ、「人に優しく自分に厳しく」しなくてはならないのだ。さあ、そろそろ変わってみませんか?私。頑張る訳大阪市立天王寺商業高等学校(大阪府)大橋美耶さん今、私は何がしたいのだろう。何のために生きているんだろう。私はときどき自分自身にこのような質問を問いかけてみる。だけど今の私にこの質問に対する答えは見つからない。何もしたいことがない、夢がない、ただ普通に生きているだけだ。中学生の頃の私は、夢中になれるものがあり、一日一日が輝いていた。それは部活だった。私にとって部活は、大切な友達を与えてくれ、私を精神的にも成長させてくれた、かけがえのないものだった。私の生活は部活を中心に回っていた。その部活を引退した後は、高校に合格するという目標があり、毎日勉強に勤しんだ。目標が無いときなんてなかった。目指していた高校に合格し、普通に生活している今、私は何を目標に頑張ったらいいか分からない。もちろんテストや検定などは自分なりに必死に頑張っている。だから成績は悪くないが、いつもなぜ目標も無いのに頑張る必要があるのだろう、どうせなら全て投げ出したいと思う。そんな時、私はテレビである言葉を聞いた。「なぜそんなに勉強するんだ?」と聞かれた人が「自分の将来の選択の幅を広げるため。」と答えた。きっとその人も将来自分が何をしたいのか決まっていないのだろう。でも、いつかやりたい事を見つけた時、確実にその道に進めるように、自分の可能な選択肢を増やしておくために今頑張っているんだ。そう分かった時、私は心が軽くなった。親離れ大阪女学院高等学校(大阪府)橋本梨舞華さん高校生という響きが私は好きです。義務教育であるわけではないから完璧な子供というわけでもないし、未成年であるため大人でもない。親離れしていく時期であるこの年代。私は皆よりも人一倍、自立心が強いと思う。一人で行動することに楽しみを感じており、一人で行動する大切さも感じている。しかし、父は私を離そうとはしない。私はもう完璧な子供ではない。しかし、父は留学にも行かせてくれず、ましてや外泊すらも許さない。そんな父に、前から考えていた、〝東京にある大学に進学したい?という思いを打ち明けた。もちろん、結果はダメ。へこみはしたが、より一層、夢を現実にしたいと思えるようになった。父の子離れができないというのは、子供からしたら、正直いい迷惑である。しかし、私がお金をもうけることができ、一人で生活していく本当の意味での自立をできるわけがない。だから、立場があいまいになっていて悩み事として私をおそってくるのだ。今までの大人に頼りっきりな自分には別れを告げ、これから、大人への階段をのぼりはじめようとしているというのに大人の防えい。苦しいけれど、大変だけれど、親やまわりの大人への感謝の気持ちを忘れず、一歩一歩おもい足どりで大人へとなりたい。そして父の子離れも、父が悲しい思い、さみしい思いをしないように、見守りながら、そして私も親離れしていきたいと思う。〝未来?への一歩賢明学院高等学校(大阪府)萩原彩香さん私は今まで自分は大学に行って心理学を学びたいと、ただ漠然と考えてきた。しかし、十七歳になった年、我が家で弟という新たな命が誕生したことにより、今までの私の考えがいっきに明確なものへと変化していった。今までただ単に心理学を学びたいと思っていたことが、子どもの心について学びたいと思うようになった。また、弟が生まれたことにより、今まではっきりとは想像していなかった自分の〝未来?というものが空から目の前に降り立ったような気がする。今、目の前にある小さくかわいい存在がいつ