17歳からのメッセージReport2010

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3117歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧「それでは今からフリータイムです。おじいちゃんおばあちゃん達と思いっ切りお話してあげて下さいね。」うわぁ。話すって何を?どうせ戦争時代の話とかで重苦しくなるんだろうな。私はそんなことを考えていた。今思えばとんでもない中学生だ。自分の家にもおばあちゃんが居て、ずっと一緒に暮らしてきたから。この後どんな話をして、どんな展開になるのか、私は分かったつもりでいた。でも私は、何も分かっていなかった。「お名前は何というんですか。」作り笑いで私は側にいたおばあちゃんに話しかけてみた。私の声が小さかったのか、おばあちゃんの耳が遠いのか。質問をしても返事がなかった。どうしよう?そう思っていると、手に何か温かい感触がした。え?と思い手を見ると、おばあちゃんの皺だらけの手が私の手を包んでいた。「若い子の手は久しぶりでね。話なんかしなくてもこれだけでいいんだよ、私は。」言葉なしでも人と繋がれる。私は手を握りかえした。大家族の島三重県立宇治山田高等学校(三重県)濱口柚帆さん「わのこ、ネギいらんかぁ。」「あらー。いまし、ネギたっかいにゃーじゃ。」「ほぉか。やんわぁ、持ってけー。」「夜、ごっつぉうしてよばれるわ。おおきんやぁ。」夕方、ばあちゃんが通りがけの人に、育てたネギをおすそわけしていた。私は離島に住んでいる。この島は、漁業が盛んで、港はいつも活気であふれ、人のにぎわいが絶えない。それに物のやりとりがとても多い。魚や野菜などの食べ物から衣類まで、いろんな物が島をかけまわっている。私は昔、もったいないと思っていた。しかし、16年もこの島に住んでいると、物のやりとりなんて当たり前で、なんとも思わなくなった。私が思うには、物のやりとりが多い、イコール人とのつながりが大きい、広いということだと思う。島の人は、とても温かく、誰かがけがや病気をすると、みんなが心配する。知らない人などほとんどおらず、誰がどの家の人なのかをみんな知っている。まるで大家族のようだ。私はこの島の全部が大好きだ。旨い魚のとれる海、きれいな空気を作り出す山、他人の子供もしかる母ちゃん、一生懸命働く父ちゃん、笑い声が絶えないじいちゃん、ばあちゃん、全部がこの島の宝であり、誇りである。私は今まで育ててくれた島に感謝の気持ちを伝えたい。「おおきんやぁ。」ラジオ体操京都市立伏見工業高等学校(京都府)山岡泰斗さん今年もまた夏休みがやってくる。夏休みと言えば、小学校時代に毎朝、近所の空き地であったラジオ体操を思い出す。せっかくの休みなのに早朝7時半から始まる。眠たかったが、行くと必ずもらえる景品が目当てで、僕は毎日行った。その頃は、ラジオ体操は、夏休みでも子どもに早起きさせるためにあるものだと思っていた。小学4年生の夏休みの中盤頃、いつものようにラジオ体操に行くと、近所の人らしいおじいちゃんが小学生たちに混ざっていて、「おはよう!」と大きな声で挨拶された。次の日は犬の散歩をしていたおばあちゃんが一緒にラジオ体操に加わった。それから、そのおじいちゃんやおばあちゃんは毎日来るようになり、話をするようになった。それまでは近所で会っても知らん顔をして通り過ぎていたけれど、それからは、会うと自分から挨拶するようになった。夏休みが終わると近所にたくさんのつながりができていた。ラジオ体操から人とのつながりが生まれ、挨拶から気遣いに変わっていった。その近所の人たちとは今もつながりを保っている。生活のリズムをくずさないためのラジオ体操は、僕にとっては、地域の人々との絆を生みだした「心の体操」だったようだ。今年の夏は久しぶりにラジオ体操に行ってみよう。そこでまた新しいつながりができるといいなと思う。距離大阪府立園芸高等学校(大阪府)福美菜子さんぽんっと私の愛用する自転車に水色のボールが音をたて跳ね返った。帰宅途中だった私は驚いて飛んできた方向を見ると、短髪の男の子がじっと立っていた。ボールを拾い上げ男の子に軽く投げると、背を向けて走り去っていった。次の日の夕方、公園の前を通ると男の子が壁に向かって遊んでいた。自転車を降りて話し掛ける勇気がなかった私は、スピードを速め通り過ぎてしまった。その週の土曜日本屋の帰り道、私は何気なく公園へ寄ろうと思いたった。土曜日の公園は子供達で溢れ返っているものだと思っていたが予想に反して公園には誰も居なかった。ベンチに座り静かな風景を眺めていると、水色のボールを抱えた男の子が公園へ入って来る姿が目に入った。(どうしよう……帰ろうかな。)どう接して良いのか分からない私はしばらくの間、動けずにいたが男の子はこちらに向かってボールを投げてきた。正確には、私の二m程前に落ちたので私に向かって投げたわけではないが反射的にボールを拾い上げ、その勢いに乗せて言った。「遊ぼうか。」突如、口を突いて出た私の本音に、男の子は近寄ってきてボールを受け取ると、明るい笑顔で返事をくれた。それからは一緒に遊んだり、ベンチで色々な話をした。父親が亡くなり母親が夜遅くまで働いている事もわかった。知らない人だからと恐れてばかりではいけないなと強く思った。優勝できなくても大阪府立八尾翠翔高等学校(大阪府)足立亜里紗さん「いきます。よーいはい」「ばちゃーん」7人の選手が水の中へ飛び込んだ。25メートルも泳げなかった後輩達が次々と飛び込んでいく。私が中学生最後の夏だった。私は3歳の頃から水泳を始め、中学校の3年間水泳部に所属していた。外部での水泳のクラブチームに入っていたため先生がお休みの時や出張の時など練習のメニューを作るのを任されていた。最後の夏どうしても団体優勝したかった私