17歳からのメッセージReport2010

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3317歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧私は挨拶を怠らない。絶対に。そんな大切な事を教えてくれた私のおばあちゃん。とっても素敵で尊敬している。これからも小学生達に挨拶の大切さを伝えていってほしい。私のもつ「つながり」徳島県立城東高等学校(徳島県)植田知瑶さんある雨上がりの放課後、最寄りの駅から家までの道を私はひとり歩いていた。帰り道の途中には大きな病院が建っていて、目の前にはバス停がある。いつものようにそこを通りすぎようとした時、バスを待っていた1人のおじいさんに声をかけられた。「その青い制服、城東高校の生徒ですか?」思いがけず声をかけられ、私は驚いて立ちどまった。「はい、そうです。」「やっぱり。私も昔は城東高校生だったんです。」そのおじいさんはにこやかにそう言った。「勉強、頑張ってね。」ありがとうございます、と返事をして私はその場を去った。それから家に着くまで、その短いやりとりを思い返していると、不思議な気分になった。今、私の通う高校には、たくさんの卒業生がいて、私が卒業した後もたくさんの後輩がいる。何でもないことのようで、私は全く接点のない見ず知らずの人と「つながって」いたのだ。そう考えると、何だかあたたかい気持ちになった。私は自分が思っているよりもたくさんの人とつながりをもっていて、これからも、きっともっとたくさんのつながりをもつのだろう。些細なことだけれど、忘れていたこと。ある日の帰り道、1人のおじいさんが気づかせてくれた。これから大人になる仲間達へ神奈川県立相模原高等学校(神奈川県)那須円葉さん私は高校で「福祉スタッフ」という団体に属している。福祉スタッフは主に、学校で出た缶ゴミを近くの福祉施設に持って行くという仕事をしている。その缶は福祉施設の方々のお仕事として使われたりなど役に立っているのだが、現在この団体には私と友人の二人しかいない。女子二人で空き缶運びというのはなかなか大変である。学校で出た空き缶ゴミを全部持って行くには、顧問の先生にも手伝ってもらわなければならない。私は先生の力も借りなければならないというその状況が情けなかった。当時一年生だった私は、早く他の生徒にも入ってもらいたいと思っていたので、友達に「福祉スタッフ入ってみない?」と言った。だが返事は、「えー、私そういうの向いてないし。」とか、またその他も曖昧なものばかり。そして二年生になっても三年生になっても、新入生すら入ってこない。興味も示してくれていないようだった。彼らは、自分の行動がすぐに目に見える形で反映されないことには関わろうとしない。私はそんな彼らを作り上げた大人達に責任があると思う。大人達は、より高い学力を身に付けることを強いるが、それは長い目で見ればあまり大切ではない。長い人生でそれよりも大切な「心」を私は福祉スタッフの活動で身に付けることができた。これから大人になる彼らには、次世代の子供達のために良い経験をして、豊かな「心」を身に付けてほしい。私の目標山梨県立都留高等学校(山梨県)野澤真優さん私の目標私には、近くに住んでいるおじいちゃんがいる。一緒に住んでいるわけではないけれど、おじいちゃんから学ぶことは、多い。おじいちゃんは、足や手が悪いおばあちゃんと一緒に暮らしている。だから、おじいちゃんがご飯を作ったり服を着せてあげたり、トイレにつれていったりしている。しかし、おじいちゃんは嫌な顔すらしないでおばあちゃんを助けてあげている。そして、出掛ける時には必ずおばあちゃんをつれていく。そんな二人をみていると心があたたかくなる。そして、いつのまにか一緒に笑っているのだ。それだけでなく、おじいちゃんは、動物を大事にする。だから、悪いことかもしれないけどカラスを餌付けてしまった。最近では、一匹の猫がおじいちゃん家にくるようになった。私はおじいちゃんが大好きだ。書ききれないほど好きな所がたくさんある。こんな近くに住んでいる人から、多くのことを学べる私は、幸せだと思う。私もおじいちゃんのように嫌な顔せず人を助けてあげられる優しい人になりたい。そして、いつかおじいちゃんを越える人になってみせる。生きる岐阜県立関特別支援学校高等部(岐阜県)小川裕太さん今、新聞に「自殺」や「殺人」の文字を見ない日はない。そして、そのようなことを考えている人に知ってほしい。生きたくても生きられない人もいるということを。私は、特別支援学校に11年いる。中学部卒業までは、病弱な人が通う特別支援学校、高等部からは肢体不自由の人が通う特別支援学校に通っている。そして、その11年間で多くの同級生や先輩を病気や事故によって失った。小学6年から中学1年の時に同級生だったU君は、中学2年の秋に心臓病で亡くなった。ドイツでの心臓移植が決まっていたが、それを迎えることなく旅立った。Mさんとは小学1、2年の時、同級生だった。彼女は小学2年の夏に亡くなった。私と彼女は家が近所だったが、母の入院と重なり葬儀には参列できなかった。彼女の場合、夏休みに入る前までは元気に学校に来ていた。私は、U君やMさんを含めて彼らが本当は生きたかったのではないかと思う。そして、今までの私が出会ったすべての人が、明日も学校を楽しみにしていたに違いない。私は、彼らの思いを引き継いで一生懸命生きていこうと決めた。絶対に辛いことがあったとしても。