17歳からのメッセージReport2010

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3517歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧さが芯にあり、それを大きな優しさで包み込んだボールを投げるんだ。」その時、私はハッとした。今まで厳しさのボールしか投げていない自分に気が付いた。人は厳しさだけでも、優しさだけでも育たない。大きな優しさの中に大事な厳しさがあってこそ、人は育っていくのだということを初めて知った瞬間だった。人に物事を教える立場はとても大変だ。もし私と同じ立場になり苦しんでいる人がいたら、私はまっ先にこの言葉を伝えたいと思う。ある新聞記事にて和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)遠藤加菜さんある新聞の記事で「新入社員のイラッとくるところ」という記事を見て、「敬語を使わないことにイラッとする」という声があった。それを見て私は少し腹が立った。確かに今は敬語が使えない若者が増えているなどと聞くが、でもそれは大人にも責任があるのではないかと思う。敬語は、国語でしっかりと勉強するわけではない。親や周りの大人が注意してあげなければ、礼儀を知らぬまま大人になってしまうのである。昔は、学校の先生にタメ口を使うとすごく怒られたそうだが今はそうではない。礼儀を教えることも大人としての一つの役割だと思う。だからこのように、大人たちが注意をしないから敬語が話せない子どもが増えるのではないかと思う。最近では大人でも敬語を話せない人もいるようだが、それはすごく恥ずかしいことだと思う。敬語というのは、生きていくのにとても大切な言葉だと思う。敬語が話せない社会にするのではなく、私たち大人が子どもたちにしっかりと教えていく必要があるのだと思う。『お前、何語で読んでたんだ?』和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)広岡拓哉さん冗談かと思った。けれど、祖父の顔は真面目そのものだった。視線が厳しく冷たかった。放送部に入部して初めての校外コンテストを控えて、私は、課題原稿をまず家族の前で朗読した。読み終えた瞬間、他の家族を制して祖父はこう言った。「お前、何語で読んでたんだ?」絶句して立ち尽くす私に、国文法の勉強を一からやり直せとだけ言うと、祖父はさっさと席を立ってしまった。祖父の言葉が私には解らなかった。朗読に一番大切なのは心。筆者の心を伝えるように、心を込めて読むこと。それに比べ国語の文法なんて、教室で機械的に文を分解するだけ。朗読に文法なんて関係ないはず。それが自分勝手な思い込みだったことが、プロのアナウンサーによる講習会で判った。発音と間のあるべき場所、品詞ごとに違うふさわしい発声。何もかも、言外に「文法を無視した言葉では何も伝わらない」と言われているようだった。これが、あの時の祖父の真意だったと、その時ようやく気がついた。心を乗せるのは言葉。そのあるべき形を軽視しては、伝えたいことも伝わらない。それなのに、やたらと「心」だけを言い立てる。そして、解ってもらえないと不満に思う。伝えられる相手からしたら、それはわがままでしかない。朗読に限らず、言葉を使う上で大事な道理だと理解して、今練習に励んでいる。留学での発見岡山学芸館高等学校(岡山県)岡本麻里さん「勉強する」というのは、自らの意思ではなく、常に先生からの指示だった。先生の提示するノルマさえクリアすれば、先生は満足で、自分も満足だった。しかし、そのような習慣も些細な会話でひっくりかえってしまうから不思議である。カナダでの留学中の、ある寒い夏の日のことである。テスト前の社会の授業で、クラス全員が図書館へと移動すると、先生は「仕事に取り掛かれ!」とだけ指示を出した。クラスメイトたちは、それぞれに好きなことを始めた。だが、私は何を指示されたのか一向に理解できず、先生に何をすべきなのかと質問した。けれども、先生は「そんなの知らないよ。逆に君、何をしたいんだい?」と返答した。私は困ってしまった。私は何をしたいというか、先生が私にとって最善と思われる指示をこなしたいだけだったのだ。私が一人で困惑していると、先生は「何でも自分に必要だと思うことをやりなさい。質問があれば、何とか答えてあげるから。」と言ってくれた。私はその日、私にとっての最善の指示など、先生はわからないことを知った。それと同時に、必要であることは自らの力で見つけ出さねばならないことも知った。つまり、自分と向き合い、主体的に取り組むことこそ、先生が最も望むことであったのだ。自分で道を拓かねばならないからこそ、人間は本気になれるのである。そうやって、人は人として成長し、生きるための全てに前向きになれるのだ。発達障害者だって元気に生きている!愛媛県立しげのぶ特別支援学校高等部(愛媛県)永田ひとみさん16歳と5ヶ月の時、私は発達障害だと宣告されました。帰り道、私はいっぱい泣きました。きっとあの日が産まれてから今まで生きてきた中で、一番辛かった日じゃないかと思います。私は医者からではなく父から聞きましたが、私は直接言ってほしかった。親を通してなんて聞きたくありませんでした。今までの私なのにどこか違う。私はもう普通の人とは違う。障害者なんだ。認めたくない、でも認めなくてはいけない。同級生達は学校に行っている。でも私は何もしていない。学校に行きたい!でも行けない。精神的にも肉体的にも限界でした。神様は残酷だ、そう思いました。発達障害者は、世間では100人に1人くらいの割合でいるといわれています。きっと私の他にもこの障害で苦しんでいる人、悩んでいる人はたくさんいるでしょう。でも、これだけは言いたいのです。発達障害者だって一人の人間です。きっと皆さんよりは出来ない事も多いでしょう。でも出来る事もたくさんあります。「変な人だ」で済ませずに、もっと私達と向き合って下さい。でも私自身、「障害者」だと言われ