17歳からのメッセージReport2010

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36 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧るのはまだ抵抗があります。もっと障害を受け入れて、自分の事を大切にしてあげたいと思っています。ちなみに今、私は特別支援学校で様々な障害を持っている友達と楽しい学校生活を送っています。理解高知市立高知商業高等学校(高知県)柏井真奈美さん「自分を一番わかっているのは自分だ」私はそう言い切ることはできない。自分が見る自分と人が見る自分には、多少の差があるのではないかと思う。人は自分を見つめる時、自問自答する。自分で考え行動する。ということは、結局のところ自分自身の発想を元に自分を見つめる。しかし、それでは外部から客観的に見ることはできない。逆に外部から見ると、相手を客観的に見ることができる。だが、外部から見られている人にとっては客観的であっても、見ている人は実際のところ主観的になっている場合が多い。そうすると、やはり自分が見る自分と、他人に見られる自分には差がでてきてしまう。では、どちらが正しいのか。そう考えた時、そもそも「正しさ」に対する観念自体が人それぞれであって一概にどちらが正しいとは言えないのではないかと思った。となると「一番わかっている」それ自体が曖昧である。では、一番わかっているのは他人か自分かというと、どちらも「一番わかっている」のかもしれないと思う。手紙佐賀県立伊万里高等学校(佐賀県)山下真実さんある日、私が通っていた幼児園から手紙が届きました。その手紙は、私が幼児園を卒園する時に幼児園で十年後の自分に宛てて書いたものでした。中には、自分で書いた手紙のほかに、母や父、祖父母が十年後の私宛に書いた手紙も入っていました。まだ六歳だった私が書きなれない文字で一生懸命に手紙を書いていました。母も父も祖父も祖母も十年後の私の姿を想像してのことや最近あったことなどいろいろな事を書いてくれていて、十年前の自分に戻ったような気持ちになりました。特に嬉しかったのは、祖父からの手紙です。私の祖父は、病気で亡くなっていたので、手紙を通して久しぶりに祖父と会話ができたような気がしました。どの手紙も、私の大切な宝物になりました。手紙を読んで、私が今までいろんな人に支えられて生きてきたということを知りました。たくさんの人のおかげで毎日過ごしていけていると知りました。だから毎日を無駄にせず、一日一日を大切に生きようと思いました。私のまわりにいる人みんなに感謝しながら、何事も一生懸命頑張ろうと思います。うちのばあちゃん長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)尾﨑美春さん私の家には85歳になる元気すぎるばあちゃんがいる。ばあちゃんは庭の手入れ・人と話すこと・相撲観戦・野球観戦が大好きだ。「がんばれ」「なんばしよるとね」「ホームランば打たんば」と、テレビに向かって大きな声で叫んでいるその姿はとても85歳には見えない。また、お客さんが来るとばあちゃんは口を閉じることを知らないのかと思う程に喋り続けて、お客さんを困らせる。だけど、その話の中には大切なことがたくさん詰まっていて、ばあちゃんの今までの苦労が手に取るようにわかる。戦争の話も耳にタコができるくらい聞かされた。学校に通えなかったこと・ご飯を食べられなかったこと・夜安心して眠れなかったこと。今の私にとっては考えられないことばかりだ。でも、64年前はそれがあたり前で、今あたり前のことが64年前には考えられないことだったのだろう。ばあちゃんはよく「昔はこがんことなかった」「今の世の中はおかしくなってしまった」と、テレビのニュースを見ながら一人つぶやいている。そんなばあちゃんを見て私は思う。「ばあちゃんは強い」話が長くて夜も電気をつけないくらい節電して、ゴミ箱に捨ててあるものを拾って使うくらいものを大切にして、そんな人が今、日本に何人いるのだろうか。そして私はそんな人になれているのだろうか。「悩み」は「幸せ」の種?長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)永峰沙織さん好きなものが沢山あると、どこかでいつか苦労する。ファミレスに行くと「グラタンかハンバーグ」でいつも迷う。この2つは私の大好物で、でも両方いっぺんには食べれない。そして何故か今日一日がこの晩ご飯で決まる、という程悩んでしまう自分だった。高校2年生になった私にやりたいことが2つできた。英語科に入った私にとって最大のイベント「ホームステイ」と、部活で「インターハイ出場と国体選手になること」の2つだ。しかし、この2つの日にちが重なり、どちらかを選ばなくてはいけなくなってしまった。両者とも気を抜かず頑張ってきた私にとって、どちらかを失うことは考えられなかった。私は顧問の先生、担任、親、友達と話をした。そして決まって「自分のしたい方を選べばいいよ。」と言ってくれるのだが、正直、両方したい私にとってその言葉は、プレッシャーでしかなかった。頭がいっぱいになった私は涙しか出てこなかった。「何も頑張らなければよかったかな?」と言った時、「そんなに悩めるなんてすごいことじゃん。何も悩まない人より幸せなことなんだよ。」と誰かが言った。その時の私にはわからない言葉だった。片方を選んだ私は、今まで以上にそれに励んでいる。「不安になる」と思っていたのに、今の私は充実だと感じている。たまには大きな悩みもいいようだ。悩めることが幸せなら、幸せのために悩みたい。ささやかな贅沢長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)西侑未さん私は数年前まで、母一人子一人の生活をしていた。まだ小学生で、心配ばかり掛けていた私を一人で育てることは、身体的にも、精神的にも、経済的にも大変だったはずだ。二人で旅行に出掛けたり、レストランで食事なんてことはできなかったけれど、何とか明るく暮らしていた。そんな、決して贅沢な暮らしではなかった日々だったが、ちょっとした楽しみがあった。それは夜、母と近所のスーパーへ買い物に行ったときに、