17歳からのメッセージReport2010

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3717歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧一つ一〇〇円のモナカアイスを買ってもらい、それを半分にして分けて食べるということだ。この楽しみは買い物へ行くたびにあるわけではなかったが、母の給料日のときには少し高いアイスクリームだったり、一人一つずつ買ってもらえたりした。他に贅沢をしていない私達親子は、これを「ささやかな贅沢」と言っていた。私にとってこの時間は、一番幸せを感じる時間であった。あれから私の生活は大きく変わった。父親という存在を知り、以前とはまた違った幸せを感じている。だから私は時々、あの頃の生活を思い出すようにしている。モナカアイス一つで「ささやかな贅沢」を感じていたあの頃を。ものがありふれたこのとき、目に見えないような小さな小さな幸せを、見失ってしまいそうだから。月長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)山口りささんある日の夜、私は母と月を見た。それはとてもきれいな満月だった。その日は母と逢える最後の日だった。母は末期ガンを患い、手術をうけに行くのだ。「お母さん、明日から病院いくの?」中学2年生という親に強がりたい年頃だった私は、あっけらかんと問う。「そうねぇ、明日ってわけじゃないけど、近々病院ね。」母は若干寂しそうに私をなでる。「そっか、頑張ってね。」「うん、頑張るよ。」と、私を抱きしめて母は泣いた。私はあふれる涙をばれないようにぬぐって抱き返す。最後の別れだと思っていた。ガンが原因で父と母が離婚したため、連絡をとれなくなって2年。ふと思い立って母に連絡をとろうと、母方の祖母の家に電話をかけてみた。(本当はもしかしたらありえる母の訃報を聞きたくなかっただけ。)電話は祖母が取り、母の手術は成功した事を知り、安心して電話を切った。その後、何度か電話をして、逢うことになった。数週間おいて、久しぶりに母と逢った。母は前にもましてやせて、髪が薄くなっていた。聞けば抗ガン剤のせいだという。そんな母と何時間も話しているうちに夜になり、月が見えた。最後だと思って見た月とはまた違った形の月だった。「月、また見れたね。」と母は言う。この月をまた母と見られたことを、私はとても嬉しく思う。あの日の私。熊本県立蘇陽高等学校(熊本県)増田春奈さん私は彼を知っていた。努力家で、ギターと歌が上手。家族や友達をとても大切にしている、心の優しい人。私の憧れだった。だから、三年前のあの日のことは嫌でも忘れることはできない。その日も学校帰りでバスを待っていた。するとちょうど彼がバス停の前を通りかかった。声をかけようとあわてて立ち上がろうとした時、隣にいた後輩たちが彼を見ながら馬鹿にしたように笑ってこう言った。「あの人、義足なんだって。」「えっ足無いの?」私はその言葉にものすごく腹が立った。「あんたたち最低。義足がそんなにおかしい?あの人はそんな風に馬鹿にされるような人じゃないんだから!」・・・・・でも言えなかった。動けなかった。石みたいに固まって。心の中では思いっきり叫んでるのに。彼がどんな人かも知ってるのに。何もできなかった。臆病者。最低なのは私の方じゃん。最低。最低。ホント、サイテー。彼は振り向くことなく通り過ぎて行ったけれど、きっと聞こえていたんだと思う。もし彼が私の存在に気づいていたらどう思っただろうか。後輩たちの言葉に何も言えず黙って聞いていた私を、彼はどう思っただろうか。あれから三年経つけど、相当強く心に焦げ付いたみたいで、あの時の自分が今も私にこう言い続ける。「あんた、サイテー。」あぁ、多分これ一生消えないんだろうなぁ……。良いこと熊本学園大学付属高等学校(熊本県)犬童大貴さん私は小学校のとき、よく先生に「良いことをしなさい。良いことをすれば必ずいいことがかえってくる。」と言われてきた。そのときはそんなわけがないと思っていた。しかし中学生になって塾の先生からも似たようなことを言われた。だからなんとなくそのようなことをいままで自分よりさまざまな経験をしてきた大人が言うのだからそれは正しいのではないかと思うようになった。だから少しずつでも良いことをしてみようかなあと思うようになり中学一年生の夏ごろからスリッパ並べを始めた。必ずトイレに行ったときはトイレのスリッパを並べた。それから、今まで先生によく怒られてきたがだんだん先生から怒られる機会が減ったような気がした。自分の思いこみかもしれない。でも私はたとえ思いこみであっても良いことをすれば気分がいいなあと思うようになった。それから「良いことをすれば良いことがかえってくる。」という言葉を信じるようになった。だから今でもなるべく人助けをしようと自分の中で決めている。そんなことしたって意味がないと思う人もいるかもしれないが私は何か必ず意味があると思う。だから私はまっすぐに生きたいと思う。心の旋律大分県立大分東高等学校(大分県)宮本梨虹さん―ポロンッ♪真珠がはねている様な澄みきった綺麗な旋律が響き渡る。ピアノの音色だ。今日は気持ち良いな、音色がそう歌っている。ピアノって不思議、私の心の中の感情が言葉よりも素直に伝わっていく。中学三年生の時である。私は音楽科のある高校へ進学する為に日々練習をしていた。しかし、入試三日前体育の授業で左手の指を骨折してしまった。私は音楽科への進学を諦めざるを得なかった。私はその日、左手にギブスをつけたままピアノの前に立ち、じっとピアノを見つめていた。涙が頬を伝った。右手で弾くといつも通り動かせるのに、左手が動かせないもどかしさと悔しさで泣き続けた。私って本当にピアノが好きでたまらなかったんだ。弾けなくなったその時、私は気付かされた。だが、いくら好きとはいえレッスンは厳しいもので何度も諦めようとし、辞めようと思った事もあった。けれど辞めようとしても、あの綺麗な旋律から離れたくないという気持ちで続けてこれた。私は改めて、自分のピアノに対する大事な思いに気付けた。絶望の音色から幸せの音色へ変わった気がした。今、私が通っているのは音楽科ではないけれど、音楽室にあるピアノをこっそり弾いて楽しんでいる。―幸せだな。ピアノのふたを開け、心の音色を今日もピアノと共に響かせている。これからもこうして綺麗な音色を奏でていたい。そう思った。