17歳からのメッセージReport2010

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38 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧骨折した鳩宮崎県立佐土原高等学校(宮崎県)河野智美さん私の家には鳩がいる。右足を骨折したヒナ鳥だ。名を「でーぽ」という。とても人懐っこく、少々寂しがりな性格をしている。でーぽは私の家の庭で生まれた。孵化時はでーぽともう一羽、別のヒナがいた。だが、わずかもしないうちにカラスか猫か、ヒナを一羽連れ去っていった。その後、私の母にでーぽは拾われた。でーぽが骨折したのは、でーぽが我が家に来て一月経ってからである。夕飯をついばむでーぽを玄関に閉じこめ扉を閉める時、でーぽは私に向かって飛んできた。あっと思った時は既に遅く、でーぽは扉に足をぶつけて折った。次の日に診察してもらったところ、複雑骨折だった。治療は不可能で、野生に帰れないだろうとのことだった。私はその結果を聞いて、何とかわいそうなことをしたのだと嘆き、後悔した。でーぽがはれた足を気にする程、私は罪悪感で潰れそうだった。だがでーぽは、足をひきずって歩き、まだ私に懐いてくれる。ストレスで尾羽根が全部抜けても、歩こうと、飛ぼうと必死だ。でーぽは何にも諦めていない。私は何をしているのかと思った。うつむいても何もできないことに気付いた。私の数十分の一しかない鳥に気付かされた。目の前に壁がある時、私はでーぽのように諦めることなく向かっていきたい。前向きに一生懸命生きていけば、壁もいつか越えられるんだろう。生きるということ宮崎県立佐土原高等学校(宮崎県)平田葵さん「死にたい」私が中学生の時だった。姉が母にそう言った。当時、姉は車で事故をして2回程手術を受けていた。肉体的にも精神的にも参っていたのだろう。いつも陽気だった姉の一言に、私はただ驚いた。母は泣いていた。「そんなこと、二度と口にしないで。Yおじさんみたいに生きたくても生きられない人がいるのに。おじさん、入院している時、死にたくない、死にたくないって泣いてたのよ。」母は姉に強く言った。私はどきっとした。喉に癌を患っていた親戚のYおじさんは生きたくても生きられなかったのだという。生きたくても生きられない、そのフレーズを身近に感じ、私は怖かった。生きることの重大さをつきつけられた気分だった。人は必ず死と向かい合わせで生きている。そうして生きていく中で沢山の死と直面し、生を知る。そうやって生きてきたはずの私たち人間が生を軽んじるようになってしまったのは何故だろう。死ぬ、とか殺す、とか簡単に口に出せるようになってしまったのは何故だろう。死を前にしないと、私たちは生きるということを理解できないのだろうか。家族を助けたい…。宮崎県立延岡星雲高等学校(宮崎県)甲斐日香里さん「お前たちは明後日売るはずやったのになぁ。」1ヶ月ぶりの帰宅。これは家の手伝いをしているときに祖母がぼそりと言った言葉だ。私の家は畜産農家。家の前の道路にはまき過ぎだろうと思うくらい白く石灰がまかれ、牛舎と家の入口には消毒槽が置いてある。今までになく家の中の空気はピンと張り詰めている気がした。その日、私は牛舎にいた。牛舎には40頭近くの牛がいる。改めて牛を眺めているとある1頭の仔牛が近づいてきて、私の手をなめ始めた。私は、寮生活を送っているため1ヶ月ぶりに帰宅したのにその仔牛は私のことを覚えていた。そのときふと考えてみた。もし、私の家の牛も口蹄疫に感染したら…。考えると涙が止まらなくなる。牛といえども畜産農家にとっては家族同然なのだ。今、私の住む宮崎県では口蹄疫が流行している。あまりの感染力の強さに、殺処分という対応しかできない現実。1件目の発生からなぜこんなに広まったのか。県の家畜保健所、農林水産省の連携がなかったからではないか。また、国の反応、対応が遅すぎた。市場に出せなかった分、1頭につき20万円の救済金はでているが、今後の生活は苦しい。また、その牛が20万円より安ければその分お金を返さなければならないのだ。今できることは感染を防ぐための消毒…。口蹄疫を甘く見ないでほしい。そのためにも、みんなの理解と協力が必要となっている。大好きな家族を失いたくない。人と向き合うこと宮崎県立延岡星雲高等学校(宮崎県)富井智子さんいつの間にか、微妙な笑顔をするのが私の癖になっていた。人に合わせて愛想笑いをする自分が嫌いで、あの頃は周りの友達や家族にまで気を遣っていたのを、やけに思い出す。ちゃんと自分の思っていること感じていることを伝えられなかったあの頃を、思い出すと少し笑える。自分がうまく笑えてないことに気付いたのは高校で仲良くなった友達に言われてからだ。「別におもしろくなかったら無理して笑わんでいいし、思ったことがあるならちゃんと言えばいい」そう言ってくれた。その友達の言葉に納得させられた。あ、そっか、もっと自分の気持ちに素直でいいんだ。思ったことを口に出しても大丈夫なんだと安心できた。このとき初めて、人と本音で向き合うことについて考えはじめた。本音で向き合うことを怖いと感じる人もいる。私も自分の思ったこと全てを人に伝えるのは正直怖い。おかしいと笑われるかもしれない、自分の放つ言葉で傷つけるかもしれない。今まで自分の放った言葉で傷つけてしまった人はたくさんいる。しかし、自分の気持ちを声に出さないと、誰にも伝わらないし、誰にも私自身を本当の意味で理解してもらえない。だから、私は、誰とでも真正面から向き合い付き合っていこうと思う。たとえそれが他人を傷つけてしまうことになったとしても、人と向き合うことから逃げたくない、そう思うからだ。命の大切さ鹿児島県立市来農芸高等学校(鹿児島県)仮屋龍矢さん私は、高校一年生の実習の時に命の大切さを知った。その実習は、鶏の解体だ。自分達の勉強の為に、元気な鶏を解体する事になった。そして、その実習が始まった。まず初めに、生きた鶏の脚にロープを結び、そのロープを持ち上げ鶏をぶら提げる。次に、鶏の首の羽毛を毟り頸動脈を包丁で切って血抜きをする。頸動脈を切った時のこと、血が大量に出てきて鶏が暴れ出した。私は、その光景をまだはっきりと覚えている。そして、鶏の動きが止まった。この瞬間、