17歳からのメッセージReport2011

17歳からのメッセージReport2011 page 14/48

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2011 の電子ブックに掲載されている14ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2011

1317歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧が私の精神論だ。大分県立情報科学高等学校(大分県)隈田恵理奈さん『my pace』『マイペース』。小学校の通信簿の先生のコメントの欄には、いつもその言葉が書かれていた。周りの人によると私は、『周囲が騒々しくても、どんなに急いでいても、自分のペースでドンと構えている』のだそうだ。私は元々、人と同じという事があまり好きではなかった。日本人に多いと言われる『周りの人がそうなら私もそうしよう』という考え方が、私には理解できなかった。私にとって、『人は人、自分は自分』なのだ。その結果が『マイペース』。中学生になる頃には、『マイペース』は私の代名詞のようなものになっていた。だんだんと私は、自分がマイペースである事を皆嫌がっているのではないかと考え始めた。そして、『マイペース』と言われる事をコンプレックスに感じるようになった。そんな時、私はある言葉を思い出した。「そのままで、変わらないでいてね。」マイペースと共に、幼い頃からよく言われる言葉だった。周りの人たちは、『マイペース』な私を認めてくれていたのだと思えた。私にとって、『マイペース』は私らしさだ。私は、自分らしさは大切なのだと思う。自分らしさというのは、一人一人の個性だ。個性がなければ区別の仕様がない。要するに、自分らしさは個々の魅力につながるのではないだろうか。これからも私は、『マイペース』でいようと思う。大分県匿名希望「不登校を経験して思うこと」僕は中学に入って不登校になった。理由は、授業中でも平気で騒ぎ立てる生徒を学級委員だった僕が注意をしなければならないというストレスから頭痛や腹痛がおきたからだ。学校に行こうとしても心臓がドキドキして過呼吸まで起こすようになった。不登校の人に偏見を持っていた僕は友達からどういう風に思われているか不安で不安で仕方なかった。そんな中、親の仲介でクラスの不登校の子と仲良くなった。同じ悩みを持つ者同士すぐに打ち解けた。彼は人見知りで口数も多くなかったけど、彼の方から話しかけてくるようにもなった。そして僕はクラスの友達や先生のおかげで欠席・早退をくり返しながらも学校に通えるようになった。そして彼は学校に行けないながらも勉強しお互い別々の高校に合格した。しかし学校には来れなかった。卒業式の日、彼の家に行った。躊躇しながらも制服を着て家から出て来てくれた。そして無事に二人共卒業式に出席できた。僕はその出来事がとても嬉しかった。その気持ちと同時に僕や彼のような悩みを持っている人を助けたいと思った。今でも授業中に騒いでる人を見ると苦しくなるけど、それをのり越えて、自分の進路実現のために精一杯努力していきたい。宮崎県立延岡星雲高等学校(宮崎県)小田果穂さん桃ちゃんがくれた自信9月、私の親戚の夫婦に赤ちゃんが産まれた。目がくりっとした可愛い女の子で「桃子」と名付けられた。私が「桃ちゃん」と呼ぶと、笑顔で私のところに来てくれる。そんな桃ちゃんに家族で会いに行った日のことだった。私が桃ちゃんを抱っこしていたら桃ちゃんのお父さんに「大きくなったら果穂みたいに音楽をさせたいな。」と言われた。私はその言葉を聞いて涙が出そうになってしまった。私は、将来音楽系の職業につきたくて、ピアノや音楽に関する勉強をしてきた。でも、そのことに少し迷いを感じていた。このまま続けても良いのか。本当にやりたいことなのか。両親に負担をかけすぎていないか。そんなことばかり考えていた。しかし、その言葉を聞いて私の中の迷いがなくなった。やってきてよかった。人に音楽で影響を与えることができた。私は嬉しくてたまらなかった。やっと自分の夢への迷いが消えた。音楽で何かを伝えたい。感動してもらいたい。小学生のころからの私の夢は高校生になってぐらぐら揺れ、崩れそうになっていた。しかし、ささいな一言で自信が持てた。上手になりたいと思った。続けたいと思った。夢に1歩、また1歩近づいている。桃ちゃんがくれた自信で今日も私は音楽を奏でている。沖縄県立那覇西高等学校(沖縄県)新垣優果さん大切なおばあちゃん私は、小学校の頃からおばあちゃんっ子だった。おばあちゃんと一緒にテレビを見たり、おばあちゃんと市場に行くのが大好きだった。でも小学校の上級生になってくると、友達と遊ぶ事が多くなり、おばあちゃんとけんかする事も多くなっていた。けんかをするたびに私は、ひどい言葉であたっていた。そういう事が増え、中学生になると会う事も少なくなっていき私がどんどん成長していくなかでおばあちゃんは記憶がなくなる病気になった。日常生活ができなくなり、私の事も「誰?」と言うようになった。私はとてもショックだったし全部私のせいだと思った。おばあちゃんにひどい言葉であたり、冷たい態度をとったから病気になったんだと。もうおばちゃんの中に私の存在が〝ない?という事がこんなにも悲しい事なのだととても大泣きしたし後悔した。しかしある日病院に会いに行った時、ヘルパーさんが「夜いつもお孫さんの名前を呼んでいますよ」と言った。私はとてもうれしかったし、私の顔はおぼえていなくても、名前や思い出はあるんだと思った。私は、おばあちゃんの手をとって「ごめんね。」と言った。また「誰?」みたいな顔をしたあと、おばあちゃんがにっこり笑った。それは、昔のおばあちゃんと変わらない笑顔だった。私はこの事で一番近くにいる人がどれだけ大切かをあらためて感じた。家族、友達、恋人、その人たちがいる事が奇跡だと思って生きていきたい。