17歳からのメッセージReport2012

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917歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージていない。分かっていることといえば、映像に声をあて、その声だけで喜怒哀楽を表現できるすごい職業だということくらいだ。元々、アニメやゲームが好きな僕は「声で感情表現ができる人」に憧れるようになり、それが夢になっていた。ある日、友達と将来の話をしていた時、僕は少し恥ずかしかったが、「俺は声優になりたい。」と勇気を出して話した。すると、その友達が驚いて、「マジか!?俺も声優になりたいと思っててさ。」と、明かしてくれた。その日から彼と僕は、声優について色々と調べ始めた。例えば、声優という職業がどれだけ厳しいのか、その声優になるために何をしたらいいのか、大前提として高校卒業後にどうすればいいのか。僕らの前には、たくさんの壁があった。以前は、この夢について相談できる人がいなくて、僕の夢は消えそうだった。しかし、彼が僕の前に現れて大きな壁が一つなくなり、夢へと近づいた気がした。僕の夢は、一人で叶えようとするよりも、同じ夢を持つ仲間を見つけることで、より現実的なものになった。これからも、彼と二人で声優になることを目指して頑張っていきたい。三重県立宇治山田高等学校(三重県)上村優依さん私の「好き」なものぱしゃり、ぱしゃり私はこの街とこの写真機が好きだ。この街には海だって山だってある。温かい人もいるし、方言だってある。都会に比べたら便利な交通手段も少ないし、高いビルもないけど、私はあまり気にしていない。この写真機だって一緒だ。フィルム式でちょっと重いけど、そこが余計に好きだ。モノクロフィルムも、現像に何時間もかかるところもとても気に入っている。私は月に何度か写真を撮るために「この街」の色んな場所へ行き、そこで出会った人とその場所の風景を撮影する。いわば写真機をさげて「この街をもっと知るために旅する」小さな一人旅である。先週、私は定期船に乗り答志島へ撮影に出かけた。ここに来るのは何度目になるだろう。晴れの日ならば、島の人たちの漁の活気で港はとても明るい。人々の元気な声が飛びかい休日ならば各々の家族が総出で作業に勤しんでいる姿が見られる。一人旅の終わりに港で定期船を待っていると港のおばあさんが今日もこれか?と話しかけてくれた。カメラのジェスチャー付きで。私は小旅行する度に「この街」が好きになる。自分の芸術とか創造力とか難しいことはまだまだだし、たくさん失敗もするけど、この写真機と一緒にまた小旅行しようと思う。今できることを今やることに意味がある、そう信じてこれからもシャッターを切ってゆこう。三重県立宇治山田高等学校(三重県)中川晋作さん祇園祭私は小さな漁業の町に住んでいる。近所の人の顔と名前はもちろん知っている。通っていた中学校も人数が少なくなり隣の地区の中学校と合併になる。そんな小さな町にも夏になると大きな祭がある。その祭は祇園と言われている。町内会の人や笛を吹いたり太鼓を叩いたりしている若者を乗せた大きな山車を町の人々が引っぱり町内を一周するというものだ。山車には百八十メートル程の縄が付いていて数百人で引っぱり町内を練り歩く。山車で笛や太鼓を叩くには本番に向けて二ヶ月程練習しなければならない。土日以外毎日二時間町内会の人に教えてもらう。一年生の夏初めての練習。地獄だった。本当につらかった。九人程で太鼓や笛を合わすのはとても大変で二時間を越えることなどは普通であった。休憩の時に出てくるアイスだけが唯一の楽しみであった。そんな地獄の練習に耐えて迎えた本番。天国だった。つらさは練習の時の比にならないが町の人の応援やからかいにくる友達。全てが新鮮で楽しかった。町を回り終わった後町内会の人や今まで顔しか知らなかった大人の人とご飯を食べる。本当に楽しくて来年もやろうと心に決め実際高一高二と続けてやった。今年も祇園の季節がやってきた。また地獄の練習がやってくる。三重高等学校(三重県)松本千亜李さん柱の絆それはいつも我が家の中心にあって、私達の成長を見守ってくれている。それを見ると、これまでの様々な出来事を思い出す。「1997、2、14、ちあり、1歳」私が初めてその一員となった日。私の一歳の誕生日に両親が印をつけた。これからの健やかな成長を願い記してくれたのだ。まだやっと歩き出したばかりだ。ゴールデンウィークの休暇に祖父母が遊びに来た。私の印はまだ少ない。「定規持ってきて。」祖父が言った。私が定規を渡すと、嬉しそうに目盛を付け始めた。その頃の私の背丈は100cmあまり。これからの成長に期待も込めて、「これくらいまでかな。」と170cmまでの目盛を付けてくれた。それからも様々な場面で、印は増え続けている。「誕生日、子どもの日、クリスマスなど。」友人のものもある。久しぶりに訪れた時にお互いの成長を喜ぶのだ。それは私にとって「絆」そのものなのかもしれない。絆とは人と人との結びつきのことを言うのではないか。これからもいろんな人と出会い、この絆は増えていくだろう。そしていつか私も印す側になる。││柱の傷が絆に││始めた時は誰もそんなふうには考えない。でも、何かを続けていくことが絆となっていくのではないかと私は思う。京都府立京都すばる高等学校(京都府)宮前怜美さん私の『こころ』私の体には、生まれつきの障害があります。医療ミスによる左肩のまひでした。生まれた時、左肩が全く動かなかったそうです。二度と完璧には治りません。リハビリをして今は、銀賞