17歳からのメッセージReport2012

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14 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ「あなたが生まれた時あなたは泣き周りは笑っていただろう。だから、あなたが死ぬ時は周りが泣きあなたは笑っているような人生を歩め」という言葉を耳にしたことがあります。まさにおばあちゃんの人生を指しているような言葉だと思います。私はそんなおばあちゃんの孫で良かったと心から思います。そして、おばあちゃんのことを誇りに思います。おばあちゃんのようにはなれないかもしれませんが、私もおばあちゃんを見習って、まずは周りにいる家族や友達のために行動してみようと思います。高知県立高知農業高等学校(高知県)大山恭平さん今の自分に誇りを持って私は、高校に入学したての頃、農業高校を辞めたいと思っていました。それは、中学生の頃の友達が入学した他校がとても楽しそうに見えたからです。学校を辞めたいと思ってからは、勉強や生活習慣が乱れ、遅刻も増えていきました。その頃の私は「農業に興味ないし、学ぶものはない。入学したくて来たわけじゃないし…」と考えていました。今思えば、何かと理由をつけて辞めたかったのかもしれません。ですが、そんな私を止めてくれたのは担任の高橋先生でした。先生はほぼ毎日のように放課後、私と話をしてくれました。そんな中で、私の考えが変わったのは、2年生の時でした。先生は私に「みんな、何かしら影響を与える力を持っちゅう。それを悪い方じゃなく良い方に影響を与えてほしい。大山はその力を持っちゅう。自分で可能性を潰してほしくない。」と話してくれました。変われたのは先生の力だけではないのですが、もし、先生が私の担任でなければ私は学校を辞めていたと思います。毎日のように先生が、あきらめずに話をしてくれたおかげで、少しずつ私の気持ちは変わっていきました。そして今、3年生になり、農業高校を卒業しようと思っています。何が正しくて、何が正しくないのかはわかりませんが、今、私は学校を辞めなくて本当に良かったと思っています。今では、農業高校森林総合科の生徒ということを誇りに思っています。(高知県)匿名希望歌と自分歌。人なら誰でも聞くと思うし、誰でも好きな歌は一曲くらいはあるだろう。じゃあ、その歌に心から感動し、涙を流したことがある人はこの世の中にどれだけいるだろうか。最近、特に学生を見ると、通学などの移動中にイヤホンをして曲を聞いている人が大半いるけど、じゃあ、その曲の歌詞、そして意味まで追究して考えたことがあるんだろうか。僕の母はうつだ。理由は詳しくは言えないが、父のせい、と言っておく。小6までは元気だった。明るかった。その母さんが、中1からよく仕事帰りにいら立ってることが多くなって、今では仕事も行けなくなり、たまに僕達にあたる。そんな母さんを見て、僕は、何かしてやりたいのに何もできない、ただ聞くだけ、見るだけ、そのなにもできない自分の弱さとくやしさでつらかった。そして、何もしていないのに、自分に怒りをあてられること。たまになぐられたりもした。体は痛くない。心が痛い。一人で部屋にいることが多くなった。そんな時、歌を聞く。涙が出る。歌詞が一語、一語心に響いてきて、涙が本当にとまらなくなる。歌ってこんなにすごいんだ。と心から思った。それから、自分は本格的に歌を習っている。ただ聞くだけ、それでもいいとは思う。けど、もっと歌ってすばらしいことを知ってもらいたい。だから、これからの自分は、人に感動を与える歌を歌えるような人になりたい。長崎県立五島海陽高等学校(長崎県)畦倉龍馬さん嫌われ者もしあなたが「嫌われ者」になれと言われたらどう思いますか。以前の私ならなりたくないと思います。私は今、ソフトテニス部に所属しキャプテンをしています。私たちのチームは昨年の高総体で1回戦負けというとても弱いチームでした。なので最初、「お前がキャプテンだ」と言われた時は不安でいっぱいでした。チームをまとめるということは難しくなかなかまとめることができませんでした。その結果新人戦でも勝てず高総体でまた負けるのではないかと思い悩みました。そんな時顧問の先生から「勝ちたいのならチームの嫌われ者になれ」と言われました。私は何を言っているんだと思いました。なぜなら「嫌われ者」に悪いイメージしか持っていなかったからです。しかし、先生の言う「嫌われ者」とは、チームメイトに厳しく接して嫌われるくらい言う人のことで、そのくらい言える人がいないと強いチームにはならないという意味でした。私はその言葉のとおり「嫌われ者」になりました。するとチームは一つにまとまり試合で勝つようになりました。私は、「嫌われ者」になったことで大きく成長することができました。「嫌われ者」は自分を成長させるために大切なものなのです。なので今、「嫌われ者」が必要になったとき「嫌われ者」になれと言われたら「嫌われ者」になります。自分を変えるために。熊本県立松橋高等学校(熊本県)岸種恵さん大切なもの高校入試前日の夜、私の家は私たち家族の目の前で一瞬にして燃え尽きてしまった。その日の夜は、市が用意してくれた団地の一部屋に家族全員で寄り添うようにして寝た。家が無くなったこと、入試のこと、いろんな事を考えると涙が止まらなかった。翌朝のテレビ番組で我が家の火事が大々的に取りあげられ、それから毎日全国からたくさんの物資が届いた。荷物が届くたびに私は、感謝の気持ちでいっぱいになり、元気を取り戻すことができた。昨年の大震災をテレビのニュースで知ったとき、私は自分に起きた災難を思い出した。『震災に遭った人もきっとあの時の私と同じ思いを抱いているに違いない』と思うと同時に、私は母の言葉を思い出した。母がテレビのインタビューで応えていた言葉だ。「何もかも無くなってしまったと思ったけど、大切なものは一つ屋根の下に全部ありました。」母の言葉を聞いて、私たち家族は元気になった。母の笑顔で元気に銀賞