17歳からのメッセージReport2012

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1917歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージセントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)丹羽琴美さん輝き、カムバック。部屋の掃除をした。普段は使わない薄暗い場所から出てきた、たくさんの丸い画用紙の筒。半分黄ばみかけたその紙を開くとカラフルに塗られた魚の絵、コンテを使った風景画、真っ黒になりかけた鉛筆画。小学校の時に描いた絵だ。絵を描くのが大好きで図工の時間は自慢するように堂々と取り組んでいた。何枚もの絵を見返すとどれも純粋に、小学生の不器用さがあった。そして何より絵に輝きがあった。感想用紙にも毎回、アピールすることをぎっしり書いていた。さらに奥へ手を伸ばすと、また一つ、二つと絵が出てきた。油絵の自画像、アクリル絵の具を使ったデザイン画。高校生になって描いた絵だ。どちらも丁寧に塗られていて、綺麗に仕上がっていたのに、輝きは無かった。人からの評価を気にして絵を描く自分にモヤモヤした。高い評価をもらうために考えた絵、技術は上がったのに小学生の頃の方がぐんっとレベルが高かったと思う。輝きはどこへ隠れてしまったのだろう。もうあの頃のような純粋な気持ちは無くなってしまったのか。しかし絵が大好きなことに今も変わりはない。まずは自分の絵に自信を持とう。堂々と描けたなら人の心も動かせる。誰かの心を動かす絵を描きたい。またきっと輝きが戻ってきてくれるだろう。あの頃の輝きを超える輝きが、私の絵ににじみ出るのを楽しみに、今日も美術室で絵を描こう。三重高等学校(三重県)阪倉潤也さん名松線に夢と希望を!!あなたは「名松線」という名の路線を知っているだろうか。当初あの松阪牛で有名な松阪と大阪のベッドタウンの名張を結ぶ計画のあったJRの路線である。しかし計画はうまく行かず終点は途中の伊勢奥津となっている。そんな物語豊富な路線なのだが、2009年の台風18号によってまた物語が増えたのである。もちろんいい物語ではない。台風18号の影響で路線の40箇所に問題が出た。万年赤字でもうJR東海からは見捨てられているような路線である。すぐに廃線の声が流れた。鉄道ファンの私も半ば諦めていた。そして全線代行バスとなり、もうダメかと思った。しかし、近隣住民は黙っていなかった。「名松線早期復旧を」の文字が沿線に大きな看板としていくつも掲げられた。そうこの山間部に住むお年寄りにとって市街地の病院に行けるこの「名松線」は言わば「命の路線」なのである。バス代行により本数が削減し、より不便になっては困る。そして復旧に声を上げたのは、沿線の美杉町自治会長や津市長、さらに三重県知事であった。その効果もあってかJR東海は地元自治の協力を前提に2016年運行再開を目指すことを発表した。そして私には夢がある。それはJR東海に就職することだ。それは単に鉄道が好きだからという理由もある。しかし一番大きな理由は、この「名松線」いや「命の路線」に少しでも携わりたいという思いなのである。京都府立京都八幡高等学校(京都府)冷泉任美さん私の気持ち「殺すぞ!日本に帰れ!」。日本と中国の血を引く私は、中国で友達にそう言われ続けた。そう。中国人は日本人が嫌いなのだ。なぜなら、中国を侵略したからだ。日本人は全員卑怯と言い聞かされた。しかし、実際はそうなのか、私は疑問に思った。日本に帰国したとたん、今度は「中国人とかだっさ」と言われた。歴史の授業に、中国の侵略について話していた。「中国人とかもっと殺したらええやん」と言う生徒もいれば「この歴史忘れたらあかんな」と言う人もいた。世の中には良い人もいれば、当然悪い人もいる。私は日本人が嫌いだった。日本人は冷たい人間であると思っていた。しかし、悪い人よりももっと良い人が多いと分かった。中国に住んだからこそ、侵略の事実を重く受け止める事ができた。それと同時に、日本に戻って来たからこそ、平等な目で歴史を見つめ直すことができた。私は親に感謝している。日中ハーフとして生まれてきたことが。私は普通の高校生と違う体験をしたからこそ言える。私は日本と中国の架け橋になりたい。困っている人を助けたい。将来は、人の役に立つ人間になりたい。歴史は歴史として、胸に刻むべきだが、私達は自分の未来に向かって歩むべきだ。そしたら、世界は平和になり、笑顔でいっぱいになるでしょう。大阪府立香里丘高等学校(大阪府)山田映良さん文楽を観に行こう!僕は小学5年生のとき初めて文楽を母親と一緒に観に行きました。夏休み親子劇場です。最初、母親に誘われたときは文楽を知らなかったので僕はあまりいい気がしませんでした。しかも、場所は国立文楽劇場。僕の家からは非常に遠く、(めんどくさいなぁ)とも思っていました。劇場に着いて二階に上がり席に座り、しばらくすると劇が始まりました。少しした後、僕は夢中になって劇を見ていました。太夫さんの声や三味線の音色、そして人形遣いの三人の人達による息の合った動き、中途半端なものは何一つありませんでした。あの日以来僕は機会があれば文楽を観に行くようになりました。ところで今文楽は別の面で注目されています。それは、橋下市長の補助金カットの発言です。大阪発祥の庶民文化である文楽。たくさんの技芸員の保護、育成のための補助金がカットされるのはとても残念に思います。でも僕はこうも思います。元々大阪は庶民の力が強い場所です。あの通天閣も地元の人びとの出資によって再建されたぐらいです。文楽を観たことのない人はぜひ一度観てほしいです。人間国宝の人達が受けついできた芸は観る人を感動させます。観ることが一番の応援になるはずです。文化を廃れさせないのは僕を含む人々の力だと思います。みなさん、文楽を観に行きましょう!銀賞