17歳からのメッセージReport2012

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32 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ母が一生懸命働いて得たお金がないと通えない。友達がいないと学校へ行っても楽しくない。そう、私が自分一人の力でやり遂げたことはないのだ。一人暮らしをすると、今まで祖母や母がしていた洗濯や炊事、掃除などのすべてを一人でやらなくてはならない。こうやって、周りの人たちが支えてくれるから、私は勉強もできるし、やりたいことができる。これからは周りの人への感謝の気持ちを忘れずに、生きていきたい。いつもありがとう、と。熊本県立天草工業高等学校(熊本県)岡田恭幸さん弓道を通して得たこと高校に入学し、まだまだ学校になじめていない頃、弓道部に入部した。入部の理由は、社会に出て生活していく上で、精神力や忍耐力など今の自分に不足している点を向上させていきたいと思ったからだ。入部したての頃は、友だちもできず不安と戸惑いがあった。しかし、弓道の練習は、とても楽しく、時間が経つのも忘れ没頭することができた。そのうちに友人も増え、充実した毎日が送れるようになっていった。弓道に取り組む真剣さも日を追う毎に増していき、練習量も増えていった。しかし、的に当てたいという気持ちが強くなりすぎたのが早気(はやけ:弓を一杯に引いた状態で、矢を放つ間をとるが、この間が取れず、すぐに矢を放ってしまい的に当たらない)に陥ってしまった。早く修正しようと何回も練習を繰り返したが、なかなか元に戻らないばかりか、逆にひどくなるという悪循環になってしまった。心の焦りが原因だと考え、初心に返り呼吸を整え、一つ一つの動作を丁寧にすることを心掛けた。少しずつ改善の兆しが見え、自分自身の心をコントロールすることの大切さを実感することができた。もしも、私が早気という病気に罹っていなかったら、うまく対処することができなかったら、今のように物事に対して冷静に対処することができていなかった。弓道を通して得た、自律心を社会に出てからも生かしていきたいと思う。熊本学園大学付属高等学校(熊本県)下田裕菜さん「経験」は一番の「財産」「私、無理です。」また言ってしまった。幼い頃からピアノを習っていた私は、合唱コンクールの伴奏を頼まれることがあった。だが、私はそれを毎回のように断っていた。もう、あんな思いはしたくなかったから。ピアノのコンクール。毎日向い合った音符が頭の中を回り、手足の震えが止まらない。ステージの真ん中で黒白に囲まれた自分の手が、妙に青白く見える。気がつけば舞台裏にいて、思い出せるのは間違えたシーンだけ。何のためにこんなことをしているのかさえ分からず、ただ長い苦しみから解放されたという、うれし涙だけがあふれた。しかし、今回は引き受けることになってしまった。当日までの2カ月間、家族・友達に支えられた。本番はやはり緊張したが、不思議と手足は震えなかった。それは、仲間の存在があったからだと確信している。「間違えても大丈夫。私たちがカバーするから--。」その言葉に、どれだけ救われたことか。今となっては、その経験をして良かったと思う。この先、とてつもない緊張が立ちはだかったとしても、あのときに比べれば…と思うことができる。「経験」はとても大切なことである。高校生活がスタートした今、中学校での経験を生かしながら、たくさんの新しい経験を積みたい。それは必ず、私の財産になるだろう。だから今日も私は言いたい。「私にやらせてください!」と。熊本学園大学付属高等学校(熊本県)中村遥夏さん地元依存症私の地元は、山と海に囲まれた小さな田舎町だ。そこは、人口は少ない上に、高齢者が多く、保育園が2つ、小中学校は1つしかない場所だった。だから、保育園から中学校卒業までずっと一緒だった友達がほとんどだった。道を歩くとあいさつは当たり前で、時々、「遥夏ちゃん大きくなったねぇ。」と言われる。祖父や父の名前を聞かれて答えると、家の場所が分かられたりする。そんな狭い世界で私は15年間生きてきた。しかし、その狭い世界が大好きだ。ずっとこの狭い世界で生きていきたいと思う。しかしそうはいかず、私もついに高校に入学して広い世界に出てきてしまった。学校には私を知っている人はいない、道を歩いてもあいさつがない、私は寂しくなった。広い世界で生きることはこんなに寂しいものか、そう思った。でも、そんな私を救ってくれたのはずっと一緒に過ごしてきた地元の友達だった。友達が高校で頑張っている姿や友達作りに励んでいる姿を見て、負けてられないっと思った。それからは、友達によく話しかけたりして、寂しいと思わなくなった。こんな時でも私を救った友達は本当にすごいと思う。私はいつか地元依存症を克服できるだろうか?いや、できないだろう。こんなに愛しているのだから。しかし、これから自分一人で考え、行動することも大切だ。だから私は『自立性地元依存症』になりたいと、心から思う。(大分県)匿名希望変化あの日、私は車にはねられた。一瞬の出来事だった。この一瞬で私は変わった。心も体も。目には見えない大きな変化だった。あの日から私は、誰にもわからない大きな不安をかかえるようになった。とてもとても大きな不安。水の音さえ怖くてたまらなくなった。安らぎをあたえてくれる音楽も不安しかあたえてくれなくなった。あの日からPTSDとたたかって約八年。私は少しずつ変化してきた。もう水の音も音楽も怖くない。今では音楽は私の大切な一部だ。不安でしかなかった毎日にも幸せが訪れるようになってきた。私は今、幸せだ。でも、まだ私の中からPTSDが消えたわけではない。今でも小さな不安と日々たたかい続けている。奨励賞