17歳からのメッセージReport2013

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1317歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校(鹿児島県)木田夕菜さん共に生きる心?明日からの私?「いいよ。」そう言ってその子は、また少し足を開き、倒れまいと足を踏ん張った。帰りのバスの中、両耳に補聴器をつけたその女の子は、席を譲ろうとした私を少しにらんでそう言った。感謝されるとばかり思っていた私は、その子の反応に少し腹立たしさを覚えた。なぜ、あんな断られ方をされたのだろう。バスを降りた私は、少し落ち着いてから、あの子が怒ったわけについて考えた。女の子には障害がある。だから親切にしてあげなければならない。そんな気持ちを私は持っていた。でも、それは同情に似た感情だったのではないか。私は何か少し高い位置からあの子を見ていたのではないか。それは、例え相手がまだ小さくてもこの社会を共に生きるべき相手への態度としては、尊厳を欠いた行動だったに違いない。だからこそ、あの女の子は、そんな私の心を見透かし、それを拒んだのだ。「私は席を譲られる存在じゃない。ちゃんと一人で立てるんだ。」と。それに気が付いた時に私には例えようもない後悔の念と恥ずかしさがこみ上げてきた。共に生きるということは、相手と同じ場所に立ち、互いに必要とすることを補い合うことなのだ。あの日、あの女の子に私はそれを教わった。次にあの子に会えたなら、これからの私がすべきことは席を譲ることではない。吊り革をしっかり握って立っているあの子に、「いっしょにがんばろう。」と励ますことなのだ。社会のために、未来のためにできること2テーマ長野県松本蟻ヶ崎高等学校(長野県)洞澤ひかりさん身近に感じる日本の高齢化今年の3月、祖母が65歳になり定年退職を迎えた。祖母が働いていた職場は老人施設だ。〝おばあちゃんがおばあちゃんの世話をする?ということが私は少し引っかかるところがあった。母も同じく老人施設で働いている。職場は違うが、仕事内容はだいたい同じだ。母から前に少し聞いた話だか、人を介護するということは想像以上に大変らしく、認知症などの人と関わる時は、精神的な強さが必要らしい。こんな体力と気力を使う仕事を祖母は65歳まで続けていた。現在の日本は、全人口における高齢者の割合が急速に高まっている。だから、介護の手はいくらでも必要となるだろう。しかし私は一番身近な母と祖母がこのような仕事をしている話を聞くと、どうしても介護の仕事がやりたいと心から思えない。でも、私は「孤独死」や「地方の過疎化」などの問題を聞くと、「このままじゃいけない、なにかしなくては。」と思う。私の住んでいる地域は少子高齢化が進んでおり、外に出てもお年寄りしか目にしない。だから私はまずこの自分の地域でできることをやってみようと思う。困っている人がいたら助ける。地域のお祭りの手伝いをすることなどは、私でもできるはずだ。高齢者が住みやすい地域社会を作るべきだと思う。大阪府立千里高等学校(大阪府)安井明日香さんまず笑顔まず笑顔│小さい頃から私の中にある言葉。この言葉は母が私にくれた一番の教えであり、宝物だと思う。高校二年生の春、留学先のアメリカで、私は現地の学校に短期入学することになった。皆とても親切だったが、一人だけ話してくれない男の子がいた。クラスメイトは「気にしなくていい。あんな子だから。」と言ってくれたけれどやっぱり私は気になったので、直接話しかけにいった。案の定、返事はなかった。その時、絶対この子と仲良くなるという思いが強くなった。せっかくここまで来たのだから、皆と仲良くなって笑顔で帰国したい、という思いもあったのかもしれない。それから三週間、ずっと笑顔で話しかけた。始めは無視していた彼が次第に頷いてくれるようになり、そして最終日。彼はすこしはにかみながら、「ありがとう、楽しかった。」と言ってくれた。素直に嬉しかったと同時に、やっぱり母の言葉を信じてよかった、そう思えた瞬間だった。私には、まだどうしたら人の役に立てるのか分からない。大した事はできないかもしれないけれど、私が笑っていることで周りの人たちが少しでも笑顔になれるなら、明るくなってもらえたら、それが私にとって今できる最大の役割りだと思う。さぁ明日からも、みんなのために、そして自分のためにも、宝物を輝かせよう。広島県立尾道東高等学校(広島県)江草嶺史さん障害者と障がい者私が気付いたのはつい最近のことだが、テレビや新聞やポスターなどで身体障害者のことを「障がい者」と表記しようとする動きがある。私は当初、「障碍者」の碍という字を読み易くしたものだと思っていたのだが、違った。「障害者」の害の字の持つ負の印象を危惧してのことらしい。世間全体で、障害を持つ人に対する配慮を心懸けているというのは、非常に良い傾向だと思う。だが私はそれ以上に、ある不安に駆られている。私の妹は脳性麻痺という先天性の障害を持つ肢体不自由児だ。現在は普通中学校の特別支援学級に身を置いている。妹は「障がい者」についてどう思っているだろうか。聞いてみたことはない。「どうでもいい。」と答える気しかしないから。もしかしたら怒るかもしれない。「害が平仮名になったからって私は健常者にはなれないでしょ。」と。障害を持つ人々が望んでいるのは、表記を変えることなどではない。私の妹はみんなと勉強したい、遊びたいだけなのだ。自分が「障害者」であろうと「障がい者」であろうと、本当にどうでもいいと思っているのだろう。私たちが障害を持つ人々のためにすべきことは一つ。「受