17歳からのメッセージReport2013

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1517歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージが多い。このことが、何よりも目に見える証拠だ。このことから、今日トイレに行くことがあったら少し考えてみて欲しい。もし、和式しか空いていなかったり、洋式がなかったりしたら、あなたはラッキーなのだと。愛知県立豊田東高等学校(愛知県)小川文菜さん私の夢私には「保育士になる」という大切な夢がある。この夢は中学生のころからもち始めた夢だ。はじめの方は単に「子どもが好きだから」という簡単な気持ちであった。しかし今では、絶対になりたいと強く思っている。こう思えるようになったのは、中学校二年生と高校二年生で行われた職場体験があったからである。私は二回とも同じ子ども園に行かせてもらった。どちらとも初めはとても緊張し、うまく子どもたちと話したり、遊ぶことができなかった。日がたつにつれ慣れていき、自分から子どもたちの名前を呼び、遊ぶことができるようになっていった。その中で、子どもたちがみせる笑顔が大好きであった。そして、子どもたちのみせるたくさんの表情や、行動、成長を見届け、支える保育士になりたいと強く思った。保育士は、子どもたちと遊ぶだけの仕事ではない。行事や、次の日の準備、掃除などたくさんやらなければならないことがある。決して楽な仕事ではないと思っている。しかし、その分多くの笑顔が見られる、楽しい仕事だと思う。いつの日か、「あやな先生」と呼ばれる日を目指して今は、受験生として勉強を頑張っていきたい。くじけそうな日がくるかもしれない。そんな日は、あのとき子どもたちがみせてくれたステキな笑顔を思い出して日々を過ごしていきたい。大阪府立富田林高等学校(大阪府)宮﨑奈々さん人とのつながりと機械最近、人と人との会話が減ってきたように思う。理由はきっと、携帯電話やパーソナルコンピュータといった機械などで、直接会話をしなくてもメール機能や電話機能で簡単にコミュニケーションがとれるようになったからだろう。しかも、それらの機械はメール機能や電話機能だけでなくゲームもできてしまうのだから自分を含む多くの人が、人よりもそれらの機械に接する時間が多くなってしまっているはずだ。私の家では、父が空いている時間にパーソナルコンピュータでゲームをしていて、母ですらスマートフォンのアプリでゲームをしている。兄も友人とのメールのやりとりでずっと携帯電話とにらめっこしている状態だ。しまいには私まで携帯電話とにらめっこするようになる。確かにそれらの機械は便利で色々と楽しめて画期的ではあるが、人と人との会話が減ってしまうのはとても悲しいことなのではないか、と思うのだ。実際、私の家では家族間の会話が減ってきているように感じ、悲しいな、と思うようになった。人と人とがコミュニケーションすることは、人間関係を築いていくなかで最も重要なことだ。そのコミュニケーションをするために携帯電話などを使うのは便利でいいと思うが、一番の方法は、お互いが向き合って会話することだ。だから私は携帯電話などが多く普及している今、人と人との会話を大切にし、より深い関係を築きたい。大阪朝鮮高級学校(大阪府)梁由衣さん無題私は幼いころから朝鮮学校に通ってきました。学校から帰ると近所の方々はいつも優しく「おかえり。」と話しかけてくれました。私が住んでいる地域が朝鮮人、韓国人が特に多く、受け入れやすかったのでしょう。隣の小学校と口喧嘩をすることはあってもはっきりと「差別」というのを幼いころの私は感じませんでした。高校生になって進路を考えなくてはいけなくなり、友達とある大学のオープンキャンパスにいきました。初めてみる大学は新しくきれいで広い校舎。古い校舎しか見たことがない私達は驚きを隠せませんでした。大学生が親しげに「どこの学校?」と話しかけてきました。私は言葉が出ませんでした。友達が気まずそうに「あ、朝鮮学校です。」と答えました。それから会話をしましたが、どこかよそよそしい態度に変わった気がしました。そのあと考えると、あれは私達が自ら一線を引いてしまったのです。堂々と学校の名前を言えず、知られたらどんな態度になるのかが急に恐ろしくなってよそよそしい態度になってしまったのです。「差別」をする気はないのでしょう。ですがやはり、「差別」する空気があります。よそよそしい、冷たいそんな空気。これからはもっと増えていくのでしょうか。堂々と言えない私を恥ずかしく、そういう雰囲気をとても辛く感じます。無意識であっても傷ついてしまうのです。私よりもっと幼い子供達にはそんな空気を感じてほしくありません。神戸市立兵庫商業高等学校(兵庫県)唐木里菜さん「嫌い」が嫌いよく、「あの人が嫌い」だとか「ああいうのが嫌い」というのを見聞きするが、その度私はよく言えるな、と感じる。決して、見下したり馬鹿にしているのではない。私が「嫌い」と言うのが苦手なため、そう思うのである。人や物事に対して、私は「嫌い」と言えない。言いたくないのだ。基本的に物事のカテゴリーは「好き」か「苦手」で判断している。その旨を友人に話したところ、「苦手」は結局嫌いではないか。との指摘を受けた。その時私は反論をしなかったが、内心「全然違うだろう。」と考えている。「嫌い」と「苦手」は別物である。何かに対して「嫌い」と思うのはそれを否定することになる。受け入れる気が全くないのだ。しかし、「苦手」という