17歳からのメッセージReport2013

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20 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ日本航空高等学校石川(石川県)Chutakoon Thippayaporさん無題私は高校3年生のタイ人の留学生です。今までの自分は日本語がちょっとはなせます。毎日学校で日本語を勉強しています。日本語がむずかしいので、わからないとこもいっぱいあります。私は日本に来たら学校の寮に住んでいます。寮生の生活を楽しんでしています。寮生のみんなさんはお互いに手伝ってハッピーの寮を作って行きます。毎日学校で寮でも日本語が習っています。今まで私が日本語能力試験N3を合格しましたが、次はN2も合格したいです。日本語だけではない、私は英語も一所懸命に勉強しています。今は英検準2級をもっていますが、今年で絶対に英検2級を取れます。これからの私はいろいろなことを頑張りたいと思います。いいの大学を入れるように、未来はいいの仕事ができるよう、これから勉強のことをちゃんとします。毎日の生活をちゃんとして、自分のことをちゃんとします。これから新しいの人になりたいと思います。頑張ります。北陸学院高等学校(石川県)木沢美沙さんありがとうお父さん昨年のことであった。東京ディズニーランドに行こうとして私たち家族はバスに乗った。無事にディズニーランドまで行けるだろうと私を含めみんながそう思ってバスに乗った。しかし、そうはいかなかったのだ。群馬県の関越自動車道で私たちのバスは交通事故にあったのだ。たくさんの人が犠牲になり、7人の人が亡くなってしまったのだ。その7人の中に私のお父さんが入っていた。私はもうお父さんに会えないと思い悲しくなった。私も重傷になり命だけは助かって良かった。私が生きているなんて奇跡だと言われていた。きっとお父さんが身代わりになって守ってくれたと思っている。だからこの命は大切にしたい。お父さんへの感謝の気持ちでいっぱいだ。あと一つこの事故で、感じたことがある。それは、私は一人では生きていけないことだ。だれかと出会いそしてだれかと別れる。別れることは悲しいけれど、どっかで見守ってくれているんだと思う。事故で、将来の夢を見つけることが出来た。それは、私がみんなを笑顔にしたい。それは簡単じゃないかもしれないけど、だれかが笑ってくれたら、それだけでも幸せだ。最後にみんなに伝えたい。「命ってすごく大切だよ。お母さんとお父さんからもらった命ってお金よりも、何よりも大切な物だよ。生きていることは奇跡だよ。」福井県立ろう学校(福井県)木下志穂さんその一歩を踏み出せ「人は信用出来ない」勝手にそう決めつけていた。私は耳に障害がある。幼い頃から健聴の人と関わることが苦手だった。自分の言っていることが理解してもらえず、相手の言っていることも分からなかった。誤解され、悲しい思いを何度もした。家族は私の理解者だが、親戚の人は変に気を遣うので、それがとても嫌だった。そんな私も、高校生になり、社会人になるまでにあと2年足らずとなった。これまでの私は、健聴者は苦手だからと関わることを避けていたが、もう逃げている訳にはいかない。私は決心した。自分を変えよう。何事も前向きに考えよう。自分の人生は、自分が切り開き、創り上げていくものだから。私は今、いろいろなことに挑戦している。漢字検定や英語検定、ワープロ検定。また、他県の聾学校やルワンダの聾学校との交流。高校生の弁論大会では、自分の思いを健聴の高校生にアピールした。何度も何度も練習し、直前までとても緊張したが、よい経験になった。3学期からは、寄宿舎にも入った。本当は家が大好きだけど、将来自立するためには甘えていてはいけない。健聴の人ともどんどん関わっていきたいと思う。元来内気な私は、いろんなことに挑戦するたび、自分の心に言い聞かせる。「その一歩を踏み出せ。」自分の明るい未来のために、常にチャレンジし続ける人でありたい。福井県立ろう学校(福井県)宮本大喜さん夢の原点?野球との出会い?僕は小学4年の時、野球と出会い、夢が生まれた。それは体育教師になることだ。もしも野球と出会わなかったら、今頃僕は、何の目標もない怠惰な人生を送っていたかもしれない。しかし、野球と出会ってからこれまで、順風満帆だった訳ではない。聴覚障害の僕は、小学4年で入った野球チームで、初めて挫折を経験した。周囲とうまく関われず、誤解され、いくつもトラブルが起こった。僕は自分の障害を呪い、野球をやめてしまった。誤解され無視された時の恐怖が、蘇ってきたからだ。その後、コーチや幼なじみから説得されてチームに戻り、再び野球を始めた。それからは、障害のことはあまり気にならなくなり、自分のチームだけでなく、他のチームの仲間とも仲良くなった。そして、小学6年の最後の大会。いろいろなチームからの選抜チームで、僕は活躍し、県大会準優勝に貢献した。野球を通して、さらに信頼できる仲間が増えた。この時、僕は実感した。「コミュニケーションは言葉だけじゃない。相手を信じ、心を一つにすること。スポーツならそれができる」と。障害があってもなくても、お互いが理解しあえる社会を作りたいと思う。そのために、僕は今、体育教師を目指し頑張っている。