17歳からのメッセージReport2013

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2317歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージる、と思うと、心が温かくなる。そんなことを言ってくれる高齢者も、若い子と話せて嬉しいと喜んでくれる。お互いに気持ちが温かくなれるなんて、こんな良い事はない。私は会話の始まりはあいさつだと思う。あいさつをすると年齢問わず話せるキッカケになるし、たくさんの人と関われる。そしていつも相手は笑顔になってくれるのだ。あいさつした分だけ、多くの人の笑顔が見れるし、人の笑顔が目に見えてわかるのはとても嬉しい。だから私は、今までよりももっと多くの人にあいさつをし、その分だけたくさんの笑顔が見れるようにしていきたい。愛知県立一宮高等学校(愛知県)小島響子さん私たちの神様十四歳のとき、私と友人は神様をつくった。ただの厚紙に、将来の理想像を書き連ねただけのそれは、校庭の隅に埋められた。私たちはそれを、みゆきだるまさま、と呼んだ。その頃、受験生になった私たちは、将来への漠然とした不安を抱えていた。テストの前に二人でお参りに行くと、不思議と自信を持てたものだ。みゆきだるまさまは合格祈願というよりもむしろ、将来への確約だった。その後、私たちはそれぞれの志望校に合格した。だが依然として不安定な今を、私たちは生きている。あの頃思い描いていた理想通りとは到底いえない。「ご利益、あったのかな。」友人にメールをしたら、返信はこうだった。「埋めっぱなしなのがいけないのかも。」そうして、約三年ぶりに掘り出しに行くことになった。二時間近く土を掘り返した後、諦めて二人で立ちつくした。友人と共に、確かな存在を求めるのに必死だった頃が、切なく、愛しく思い返された。そして、独り新しい道を歩いている私、その不安定さを、今なら信じられる気がした。見つからなくてよかった。ふと見上げたら、あの頃と同じ藤色の空に、片雲が流れていた。なぜだか目の奥が熱くなって、隣を見られなかった。桜花学園高等学校(愛知県)石原沙奈さん今までの自分にバイバイ私は高校に入学する前、高校で生まれ変わりたいと思い、今までの自分にさようならをしました。中学の頃、私は小学校の時からすごく仲の良かった二人にいじめられました。「最初は少しいじわるされているのかな?」と思うくらいでした。でも時間が経つにつれてエスカレートしていき、いつも一緒に帰っていたのに置いてかれたりコソコソ自分の事を話されたりしました。部活動も一緒だったので部活をやめようということを考えたりもしました。でも今ここでやめたら二人に負けたことになるのでやめるわけにはいきませんでした。お母さんにも担任の先生にも相談しました。先生やお母さんは無理して部活を続けなくてもいいと言ってくれました。「でも私は強くなりたい!毎日泣いている自分は嫌だ!」と思い毎日学校に行きました。しばらくすると二人からのいじめはなくなり、何事もなかったかのように話しかけてきました。私は二人を許したわけではないけれどここは私が大人にならなきゃと思い昔の仲の良かった頃のように接してきました。私は中学の頃に辛い思いをしてきました。学校にも行きたくない日もたくさんありました。それでも強くならなきゃという思いがあったので乗り越えることができたのだと思います。この先長い人生を歩むのにつまずくことが多いと思います。だけど私は昔の弱い自分を捨てて強い自分になっていきたいと思います。三重県立宇治山田高等学校(三重県)市川このかさん「お母さん」私は親の前で泣くことができない。何年も泣くことを我慢してきたから今更泣けなくなってしまったのだろう。泣くのを我慢しだしたのは私が小学四年生のとき、両親が離婚してからだったと思う。あのときの父のせつない顔、母と妹の泣いている姿を目の当たりにしたら、自分が泣いたらあかん、そう勝手に思ってしまったのか。だからたまに会える父とのお別れのときも、その場では泣かず、トイレやお風呂場で静かに泣いていた。小学生なりの強がりを精一杯していた。そのことが原因だろうか、私は家での一番のしっかり者になった。中学生になっても弱い一面は見せなかった。友達がいろいろな相談を母親にすると聞いて、私にはありえないと思ったけれど、ほんのちょっぴりそういうのもうらやましいと思った。ある日、とっても辛いことがあって一人になりたくて部屋にこもっていたときのこと。母の前では辛い表情を見せてないつもりだったのに、母が急に私の部屋に来て「なんかあった?大丈夫?」と声をかけてきた。とっさに私は「え、全然何もやよ。」と強がってしまったけれど、母が「そっか。」と言って部屋を出て行った瞬間涙が止まらなかった。自分が弱い姿を見せていないつもりでも母は気付いてくれていた。今まで育ててくれた母の目は欺けないのだ。だからたまには弱い姿を見せてみようと思うよ。「お母さん。」滋賀県立盲学校(滋賀県)村松明日香さん見えない私の『ひかり』とは幼いころのことだ。母が仕事から帰ってきて、一番に甘えるのは弟だ。私はいつも甘えられない。車の音で母が帰って来た事に気が付くのは、見えない私も弟も同じである。しかし、母の姿を見ることは私にはできない。私はずっと自分が不幸だと思っていた。中学生になり、あるイベントで秋篠宮紀子様と会う機会があった。その時、『明日香さんは目が見えないから。』と手を二回握ってくれた。その手はとても暖かい手で、紀子様の優しさが私の心の奥底の暗闇に届き、周囲の人に対して優越感を感じることができた。私は、自分に自信が持てない、劣等感の塊で、『見えない