17歳からのメッセージReport2013

17歳からのメッセージReport2013 page 25/48

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2013 の電子ブックに掲載されている25ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2013

24 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ事は損だ。』と思っていた。しかし、紀子様に会った事で、優越感を知り、目の前が明るくなり、光を感じた。見えなくても得をすることがあるのだ、前を向いて歩けば光がある、歩こうと決意した瞬間だった。私は、自分なりに日々、精一杯努力し、自分にできること、自分の生きている意味を考えている。これからも考える。そして、多くの人の役に立ちたい、多くの人の『ひかり』になりたいと私は思う。滋賀県立聾話学校(滋賀県)脇坂侑希子さん悲しみって悲しみの涙って何だろう。これといって何かわからない。私は「ありがとう。」と言ってもらえた時が嬉しかった。だからか小さい頃から、人々を優先に考えて行動する事が多かったように思う。だけど今、逆に自分の好きな事等がわからなくなった気がする。心にポカリと穴があいた気分だ。そんな中途半端な気持ちでいると、自分の事もわからないし、相手を十分に喜ばせる事ができていないように思ってしまう。「人は涙を流した分だけ強くなれる。優しくなれる。」という言葉を聞いた事がある。でも悲しみって何だろう。友達とトラブった時?人が亡くなった時?怒られた時?思い通りにできなくて悔しかったりむなしく思った時…それらは私も経験したし、悲しいとも思った。だからって強くなれたかな?優しくなれたのかな?私が小さい頃は泣き虫で、よく「泣くな。強い子は泣かないんだ。」と言われ、それから泣かなくなった。というか涙の流し方を忘れてしまったように思う。でも変なところ涙もろく勝手に涙が出てしまう。人生に悲しみはつきもの。これから先何回涙を流すのだろう。その涙を流して終わるのではなく、たくさん泣き、その気持ちをかみしめて前に進みたい。そして思いっきり笑えるようになりたい。いつか人の痛みをわかってあげられるような心を持ちたい。彦根総合高等学校(滋賀県)杉田来夢さん緩那ということ。緩那、と聞いて貴方は何を思い浮かべますか?人の名前、地名、工具、そのどれでもありません。緩那は楽器の名前です。楽器に名前をつけるなんて…。と思う人もいるかもしれませんね。しかし、大切な物に名前をつけるのは、ごく普通のことだと私は思っています。中学の頃、私は吹奏楽部に所属していました。その頃の部員たちは、楽器をぶつけたり、落としたり、投げたり、と全然大切にしていませんでした。このままではいけないと思い、2年生になると同時に楽器に名前をつけることを提案しました。最初は、ふざけたりしてなかなか受け入れられませんでしたが、少したった後、部員達はしっかり意味まで考えて、それぞれの楽器に名前をつけました。それから部員達は楽器を大切に扱うようになり、見事県大会まで行くことができました。県大会に行けたのはやはり、一人一人の楽器を大切にする心のおかげかなと思います。大切に思うからこそ、一緒に居る時間を長くとって練習したり、メンテナンスを毎日行ったり、何かを大切にする気持ちは本当に素晴らしいと思います。私の緩那にも意味があります。寛大で美しい子に育ってほしいという意味です。緩那と一緒に居られる時間はほんのわずかです。このわずかな時間を私は大切にしたいと思います。大阪府立八尾翠翔高等学校(大阪府)田村倫さん小さい頃の生き方と中学時代をふまえてのこれからの生き方私は小さい頃からたくさん甘やかされて育ってきました。人とのつき合いの面では、自分さえ楽しい思いができるとそれでいい、自分さえおいしい思いをすることができればそれで満足、自分優先的に物事をすすめていけないと気がすまないなどという考えでした。今思えばこの社会で生きていく中で考えられないことだなぁと思います。小学校に入ってから、私は自然とそういう考えがなくなっていきました。小学校くらいの時から、みんな楽しい気分ですごせたらいいな、自分以外の人たちの意見をきいて物事をすすめていきたいなと思うようになりました。そして中学時代、今まで生きてきたこの短かい人生の中で一番生きていきづらい環境にありました。同じクラスの子がいじめにあっていて、その子が一人でご飯を食べているときも、私は迷わずにその子の所へ行って、一緒にご飯を食べたりして、その子を親しい友人として大切にしていました。するとついにはそのいじめが私にむけられました。でも私は何をされても、おちこまない人間なので、たえられました。でも、すごく私はその時悲しかったです。「このような意味の無いことを平気でする人がいるのか。」と思いました。この人たちはまだ大人に甘やかされているんだなと思いました。だから私はこれから、正しい事は何か、また正しいことを貫いて、ひねくれずまじめな人間として生きていこうと思いました。関西大倉高等学校(大阪府)竹森未紗さん一歩を踏み出すまで私はいらない子だ。なのに、「死ね」って言うくせに、なんで殺してくれないの?私は六年間、いじめられていた。きっかけは騒がしい男子を注意した、そんな小さなこと。それから私は何か言うたび「死ね」「クズ」「バカ」「お前なんていらないんだよ。」そうやって毎日言われるようになった。先生に相談しても迷惑そうな顔で「あなたが悪いのよ。」と言われるだけで。だから私は、一人でただ耐えることにした。誰に何を言われても、何度心が壊れる音がしても「大丈夫。」と自分に言い聞かせて、耐えられなさそうなら「私がいらない子だから、悪い子だから。」