17歳からのメッセージReport2013

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30 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ湊曳山祭りは、どこの曳山祭りより元気がよく「いやさー。」のかけ声が町に響きます。曳山は一人で動かせるものではなく、多人数で力を合わせて動かします。朝は花山、夜はちょうちん山と朝と夜で姿を変えます。とてもきれいです。それでも京都のぎおん祭りや大阪のだんじり祭りにくらべて、知名度が低く全国ではあまり知られていません。僕はいろんな人に新湊曳山祭りを知ってほしいし見てほしいと思いました。これからも祭りに参加していき歴史ある獅子舞、曳山をどんどん伝えていきたいなと思います。高岡第一高等学校(富山県)後藤愛香さん母のはなし私は父が日本人、母がフィリピン人のハーフだ。母は日本に来てもう二十年ほどになるが、未だに日本語はつたない。私はそれが恥ずかしかった。それは、小学校の卒業式の前日。私は母とけんかをした。「どうしてうちのママは日本人じゃないの?なんでパパは日本人と結婚せんだん?」と両親に当たり散らした。当然母は激怒し、温厚な父も私を強く叱った。あの頃私はまだ精神的にも幼く、何故自分が怒られなければならないのか分からなかった。ただ母が悪いのだと思った。卒業式当日、母は式には来なかった。式で貰った花束を友達は皆母親に渡していたが、私だけ父に渡した。その日の夕食は母抜きで食べた。夜中になっても母は帰って来なかった。私は愛想を尽かされたのだと思い、日付が変わっても眠れずこのまま母が居なくなることばかり考えた。怖くなった私は布団から飛び出し慌てて母に電話をかけ「ママ、この間はごめんなさい。早く帰って来てほしい。」と泣きながら必死に謝った。この世でたった一人の母の大切さに気付かされた。母はフィリピン人。日本語は上手くはない。それでも私の自慢の母親だ。今ではユニークな発言の多さから、部活内ではちょっとした人気者になっている。卒業式の夜、母が夜勤だったと知ったのは中学に上がった後だった。(富山県)匿名希望スマートフォンの普及によって今、世の中にはスマートフォンが急激に普及している。高校生ならば九割の人が「スマホ」を持っているだろう。しかし、今そのスマホという機械にたくさんの人が動かされているように見える。その例として、電車の中での様子である。僕は、通学時に電車を利用しているが携帯は持っておらず、通学時は読書や授業の予習などをしている。しかし、ほとんどの高校生はスマホを使用しているのである。携帯を持っていない側から見るとどこか異常に見える光景である。この原因は、携帯電話というその物が急激に普及してしまったからだと思う。またもう一つの原因として、「孤独」ということに恐怖を感じているからだとも思う。その「孤独」から逃げるため、友達にメールを送り、その返信をずっと待っている。返信が遅くなると他の友達に送ったり、アプリのゲームを使ったりして気持ちをまぎらわすという背景もあるのではないだろうか。さらに自分から見ると時間を上手に使えていないようにも見える。通学時や昼休みの時間にスマホを使うぐらいなら、今やらなければいけない勉強をして家で好きなだけスマホで遊ぶなりした方が良いと思う。通学時などにスマホやゲーム等をしている人に限って家でもダラダラとしているのだと僕は思う。これらのことは意識して改善していかなければいけないと思う。近い将来僕もスマホや携帯を買うと思うが、きちんとこれらのことに注意して使っていきたいと思う。日本航空高等学校石川(石川県)森茉里奈さん「ありがとう」私のお母さんは美容師です。そして美容師が終わって夜からは、毎日のようにバイトをしています。バイトもするようになったのは私が高校生になって親元を離れて寮に住むことになったからです。私がまだ小さかった頃に両親が離婚して、お母さんは一人で私と妹のことを育ててきてくれました。私が私立の寮に住みたいといったときに、お母さんは「行くなら何事にも負けんと頑張らんなんよ。」と言ってくれました。けれど夏休みなどで家に帰ってもお母さんと家で会うことすら、とても少なくなりました。夜は遅くまでバイトをして朝の8時には美容院の仕事に行くことの繰り返しです。私は自分のためにここまで頑張って働いているお母さんを見て、自分が頑張れることはもっとあるはずだと思いました。なので、もし何かに対して諦めそうになったときは、お母さんの姿を思い出して前向きに何事にも立ち向かっていきたいです。いつも恥ずかしくて直接「ありがとう。」と言えません。けれど高校を卒業したときに自信をもって「今までありがとう。これからは私がお母さんを楽にさせていくからね。」と言えるように、今はまだ「ありがとう。」の代わりに勉強や家に帰ったときにお手伝いなど自分に出来る精一杯のことをしていきたいです。北陸学院高等学校(石川県)根﨑麻依さん紙の写真ふと昔が恋しくなって、母の部屋にあるアルバムを手に取った。古い順番から眺めていく。エコーの写真から始まって、私はどんどん育っていく。父、母、祖母、祖父、おば、親戚、近隣の人たち、いろんな人に抱きかかえられた私、ベビーカーに乗った私、椅子につかまりながら立つ私、誕生日ケーキをほお張る私…。