17歳からのメッセージReport2013

17歳からのメッセージReport2013 page 32/48

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3117歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ2冊目に差しかかった時、私の横には弟がいた。一緒に写り始めた最初のほうは小さかった弟も、ページをめくる度に元気な男の子になっていくと共に、私も「お姉ちゃん」という感覚に慣れていった。6冊目を半分までみたところで、突然真っ白のページが現れた。空白のページはその後も続き、そのまま6冊目は終わってしまった。次のアルバムは、もうなかった。写真は、紙からデータへと変わってしまったのだった。寂しいような、悲しいような、心にぽっかり穴が空いたような気分になった。パソコンを開けばアルバムの続きは見ることができるが、アルバムを眺めている時にあった温かい気持ちはあまり感じられなかった。最近はデジカメ、ケータイ、スマホで気軽に撮ることができ、それらはすべてデータ化する。フィルムのカメラよりもずっと便利で枚数も多く撮れる上に、かさばらずに持ち運びできる。だが私は不便で少ない枚数しか撮れなくてかさばって温かみのある「紙の写真」が好きだ。忘れないうちに、感じたことを、今。北陸学院高等学校(石川県)橋茉尋さん情報の公表の大切さ東日本大震災……あの悲劇から二年たった今でも復興していない地域、未だに危険である原子力発電、そして心の傷が癒えきれていない被災地の人々……。その中で、今まで日本が隠してきた情報、ついこの前まで公表していなかった正確な情報、未だに隠している確かな情報が存在している。なぜ海外の新聞、メディアが公表している東日本大震災の情報を、被害にあった日本の新聞、メディアが公表しないのだろうか。日本の政府は、日本に住んでいる人々を守らなければならない。日本の人々をパニックに陥らせないようにしなければならない。だからこそ、正確な情報全てを一気に公表することができなかったのだと思う。全ての情報を一気に公表すると、日本がパニックに陥るから……。しかし、それでは「今」のことしか考えていないことになる。「数十年先」を考えた時に放射線などの確かな情報が出されなかったがゆえに放射能で苦しむ人が現れるだろう。それを避けるために、正確な情報を小出しにして世間に公表すべきだと私は思う。そして、一日でも早く復興して被災地にも多くの笑顔が戻るように、政府だけでなく私たちにもできること「復興の種」を蒔いていきたいと思う。北陸高等学校(福井県)三原万里子さん死にたくなくなった話先日、交通事故にあった。自転車に乗って、ピアノ教室にむかうところだった。車と私がぶつかる鈍い音がして、私は空中にいた。「車にひかれた!!私は死ぬの!?え!?やだ!!」私がその一瞬をスローに感じている間、たくさんの考えが頭をかけめぐった。その日、私は進路や部活動のことに考え疲れて、何もかも嫌になっていた。今からピアノ教室に行くことさえもおっくうで、もう死んだほうが楽だとさえ思っていた。しかし、地面にたたきつけられた私は、まず最初に、「生きていてよかった。」と思った。「死にたい。」と思っていた私は、生きていることが嬉しくて泣いていた。その日から私はちょっとやそっとではくじけなくなった。一度死にそうになったら死ぬのが恐くなったため、「死にたい。」と思うことが恥ずかしくなったのだ。私は交通事故をきっかけに生まれ変わった。一度事故にあってみて下さいとは言えないが、死にそうになるほど頑張ったり挑戦したりしてほしい。問題と正面からぶつかって(私は車ともぶつかった)、限界を超えなければならない。「死にたい。」はそれをやってからだ。山梨県立都留高等学校(山梨県)鈴木大輔さんビンタ関東大会が懸かった大事な試合の三日前、私の胸骨は不意に折れた。球技大会でサッカーをしていた時のことだった。相手が蹴ったボールが偶然私の胸に当たった。その瞬間私の胸に電流が走った。その日の夕方、私は母に連れられ病院に行った。レントゲンを撮り、結果を待った。私の身体は小刻みに震えていた。怖かったのだ。そして祈った。「頼むから、頼むから折れていないで下さい。」そう思った時、アナウンスで私の名前が呼ばれた。イスに座り、医師が話すのを待った。医師は私のレントゲンをじっくり見て一言、「骨折してますね。」と言った。「あー終わった。」私は絶望した。しかしどこかで「絶対泳いでやる。」という気持ちがあったのも確かだった。翌日、私はプールに向かった。もちろん泳げるはずもない。でも確めなければ気が済まなかった。静かに水に入り壁を蹴った。その瞬間「無理だ。」私は水中で泣いた。顔を水で濡らし、泣いているのがみんなにバレないように。「なんで俺なんだよ、くそ。」そんな想いだけが私の頭を巡った。もう逃げだしたかった。プール、勉強、試合、全てを投げ出したかった。試合の朝、私は自分の頬を一発たたき、家を出た。「今日の俺はマネージャーだ、精一杯みんなを支える。」私は自分に克った。そして「勝負はこれから。」そう自分に言い聞かせるようなビンタだった。山梨県立都留高等学校(山梨県)原田桃花さん「自由」でいるために青く青く…どこまでも続くコバルトブルーの海と、開放的で陽気な人々、ゆっくり流れる時が大好きで、私は何度か沖縄を訪れた。十四才の夏休み。飛行機から降り立ち、ジリジリと焼け付