17歳からのメッセージReport2013

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32 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージく暑さ。南国情緒たっぷりの空港に、気持ちが高鳴っていた。三日目。ひめゆりの塔に立ち寄り車から降りた。そこには今は何事もなかったかのような静かな時間が心地よい風と共に流れていた。多くの悲しみ、痛み、恐怖、犠牲。言葉では言い表わせないような出来事がそこにはあっただろうに…。元ひめゆり学徒隊だった方の話を聞くことができた。おばあちゃんは私と同じ歳ぐらいで戦争に駆り出されたそうだ。アメリカ兵は降伏を呼びかけたが、「捕虜になることは恥だ。」と集団自決を選んだ人々が沢山いたと。私は涙が止まらなかった。「今は自由で、自分のやりたいことを何でもできる時代。」という言葉を繰り返し話していた。全てを我慢だけで強いられていたのだ。何年かけても拭いきれないつらい中で話をしてくれたおばあちゃんの話を今でも私は忘れない。これからもずっと忘れることはできないだろう。やがて、戦争体験者の方々も高齢で実体験を語り継がれることはなくなるだろう。私にできることは、戦争の本当の苦しみ「自由」を奪われるということを、戦争を知らない次の世代に伝えていかなければならないと思った。平和の鐘がいつまでも鳴りつづけますように。山梨県立都留高等学校(山梨県)守屋菜々さん遠くて近いありがとう。三月十一日。それは衝撃な一日だった。高校に合格しまさか地震なんて来るとは思っていなかった。そして思ったことは、そこまで揺れが大きくなくてよかった。とただそれだけだった。ある日、起きてリビングに行くとお父さんが東北に募金する、と言っていた。私はあまり何も考えず財布から五百円を渡した。この五百円がどれだけ大きな存在になろうとは考えもつかなかった。募金したことなんて忘れていた。四ヵ月くらいたったのだろうか。一枚の写真つきのハガキがテーブルの上にあった。何だろう。気にもとめず目を通した。そこには今にもあふれそうな元気な子どもたちの笑顔があった。正直に言って被災者などとはわからないくらい。でもこの笑顔になるまで、小学生くらいの子どもがどれだけの苦しくて悲しくてさびしい思いを背負ってきたのかと考えると、私も胸が痛くなった。そして、ハガキにはやっと字を書けたと言う感じで〝おねえちゃんありがとう?とあった。これを見たときには、涙が出ていた。あんな小さなことでたくさんの子どもが、笑って、自分に感謝してくれている。それが強いほどに心にしみた。名前もわからない。きっと街でふらっと会うこともないだろう。ありがとうは日常にあふれている。でも、これだけ遠い、心は近い、ありがとうは他にはないと思った。長野県小諸高等学校(長野県)堀込恵さん社交辞令最近、社交辞令というものに対して疑問を持つ。他人の機嫌を取る為に、思ってもいないことを言う。言われて喜ぶ人が大半だと思う。しかし、私には悪循環に見える。例えば、よく使われる「今度家に来て下さいね。」という言葉。これを真に受けて本当に訪ねたとしたら「社交辞令もわからない人」になってしまう。反対に、本当に来てほしくてそう言ったのにもかかわらず、相手は社交辞令と受け取り、訪ねなかったとしたら失礼な人と受け取る人もいるだろう。自分の思っていることを伝わりづらくしているようにしか思えない。他人からの賞賛を全て社交辞令と考えることは、謙虚さに繋がるかもしれないが、自信を持った人にはなれない。人は相手の本当の気持ちに気づくことは難しいのだから、相手が本心から言っているのか、ただの社交辞令なのかわからない。相手がどちらの気持ちで言っているのかと考えていれば自然と疑心暗鬼になってしまいそうだ。できれば、偽ることのない素直に生きられる社会で生活したいと思う。社交辞令については、誰しも少なからず感じることはあるだろう。それでいて、今に至るまで消えなかったこの日本の言語文化というものは何なのか。完全に消し去ってしまえば、人間関係が成り立たなくなるのかもしれない。私が、社会人になったら、その加減を見極め、調節していこうと考えている。ただ前例を守るということだけではいきたくない。長野県穂高商業高等学校(長野県)太谷美絵さん栗の木庭に一本の栗の木がある。その木は多分私が生まれる前から立っていて、毎年たくさんの栗を落とした。木は大きい。十メートルくらいあるかもしれない。蜂が巣を作っているが、手が届かないので処理のしようがない。栗の木は駐車場の近くにある。車を出す際スズメバチが頭の上を旋回している。非常に危険だ。家からは駐車場に続く上りの坂道を二枚の田んぼが挟んでいて、その右側の田んぼの奥に栗の木が見えるようになっている。稲を刈る前の秋頃は、伸び切った黄緑色の稲がグラデーションを作っていてとてもきれいだ。大きな栗の木と一緒に見ると草原にいるかの様な錯覚に陥る。風が吹くと稲と木が大きく揺れる。なかなかの絶景だ。私はひそかにその光景を見るのを毎年の楽しみにしていた。そんな時、栗の木に白い紐のような物が巻かれた。神社の木とかでよく見るようなヤツだ。「あの木、切る事にしたんだ。」父さんが言った。木が太陽を遮ってしまい、稲に陽が当たらなくなってしまうことが理由らしい。信じられないと思ったけど、ちゃんとした理由で反論のしようがなかった。私はカメラを手に栗の木を見上げた。そしてうつぶせになり、下から見上げるようにして写真を撮った。家の庭にある一本の栗の木。写真をみんなが集まる場所に飾っておこう。