17歳からのメッセージReport2013

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3517歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージりたいほどくるしい、けど、いやなことだけじゃありません。いまは、いい友がいます。やさしくしてくれる家族がいます。みんながいると心もおちつきます。みんなにはこれだけはいっておきたいことがあります。人はおもちゃじゃない、いじめはあそびじゃない、もし人を、いじめをあそびだと思っているなら、そいつはもう人じゃない。ただの虫以下の悪魔だ。いじめは心に一生のキズをのこします。だから、いじめはなくさなきゃいけない。いじめているやつらを正さなきゃいけないとオレは言います。自分と同じ被害者がでるまえに。京都市立日吉ヶ丘高等学校(京都府)佐藤彩花さん無題私はこの春、高校のサッカー部を引退した。私は小学校の頃から高校までずっと男子に混ざってサッカーをしてきた。小さい頃に兄といとこに影響されて始めたが、女子が普通にプレーをできるのはクラブチームくらいしかなかった。私はクラブチームに入ることもなく、ずっと部活動でサッカーをしてきた。中学で3年間続けたサッカーを、高校でするかとても迷っていたときに高校のサッカー部の顧問の先生に誘われて、また男子に混ざってサッカーをすることになった。私は高校のサッカー部に入ってチームメイトに女子である自分が受け入れられるのか、練習についていけるのか、不安でいっぱいだった。毎日の練習もしんどくて、試合に行くと「なんで女子が。」と言わんばかりの顔で見られ、つらいこともたくさんあった。でもチームメイトやマネージャーに支えられ、引退まで続けることができた。最後の試合が終わったとき副キャプテンが「今まで練習しんどかったり偏見とかでつらいこといっぱいあったと思うけど、最後まで一緒にサッカーできて良かった。」と言ってくれて、私は嬉しくて涙が止まらなかった。私はこの引退の瞬間まで、全国の中学・高校にもっと女子サッカー部を増設するべきだ、とばかり思っていたが、男子・女子問わず、同じチームでプレーをするのも良いのではないかと実感した。京都市立紫野高等学校(京都府)清水咲さん当たり前じゃないんだ。普段通り家に帰ると、いきなり両親に「話がある。」とリビングに呼び出された。父が一言「お母さん、乳がんかもしれんのや。」と言った。背筋が一瞬にして凍りついた気がした。両親は目を真っ赤にさせ、姉は泣き出した。でも、私の目に涙はなかった。乳がんによって母がこの世からいなくなってしまうかもしれない、その事実を認めたくなかったからだ。その日から、家族は変わった。自分の事は自分でやる!と決め、一人一人が率先して、掃除・洗濯なにからなにまでお母さんの負担にならないように、二週間後の検査結果発表日までを過ごした。当日、私は学校だったため病院にはいけなかったが、一日中携帯を握りしめ、父からの連絡をまった。すると突然携帯がなった。メールを開くのが怖くて、ためらいながらもメールを開くとそこには「乳がんじゃなかったよ!」という文字だった。それまで溜まっていた、大きな大きな不安が大量の涙で溢れ出し、涙とは裏腹に心は晴れわたっていた。私はこの二週間で学んだことが沢山あった。両親がいて、姉がいて、当たり前の生活が当たり前じゃないってこと。私を心配してかけてくれる一声一声に、今まで沢山助けられてきたこと。私はずっと感謝の気持ちをもって、大好きな家族をこれからも大切にしていきたいと思う。大阪府立園芸高等学校(大阪府)荻野歩さん『最後の』が付く学年三年生が卒業してから心拍数が上がった気がする。新しい後輩もでき、新三年生としての『進路』が目の前に迫ってきた。「樹木医になりたい。」そう思って専門知識を学べる園芸高校に入学し、四年制大学を目指して今までもこれからも頑張っていく。自分の『進路』は今のところ問題なく順調に進んでいる。でも最近すごく不安になる。今の高校生活が終わるのが恐い。進学のための勉強や資格取得にプレッシャーを感じる。嫌でも心臓の音がドキドキと聞こえてきてしまう。すべてのことに『最後の』が付いてしまうのがとても寂しい。そんな中、特別教室前の掲示板に張ってある先輩方の『作品』を改めて見る機会があった。園芸高校では庭の設計図を書く授業があり、その作品が何年もの間張られている。生徒が作った色々な作品が数多く残っていて歴史を感じる。私も何か残したいと思えてきた。最後だからこそいい作品を作ってこの学校に残したいと思った。不思議とやる気が沸き上がった。寂しいけど最後まで夢中で何かやりたい。そう思うと心臓の音も少し落ちついてきたように聞こえる。将来は樹木医になる。大学で勉強して、社会に出たら技術を身につけていきたい。その過程の一つとしてこの園芸高校に何か大きなものを残したい。それが今、私が最後までやりたいことである。大阪市立工芸高等学校(大阪府)古里綾花さん私のお父さん「お父さん今日も帰ってこれんて。」私の父は家から片道二時間もかかる現場に、毎朝五時に家を出て通っている。帰ってくる時間も遅い。父が帰宅する時間はだいたい日付が変わっている。だから、父とは一週間くらい会わないなんて、あたり前になってきていた。最初、あの現場に決まった時、父は一人暮らしをすると言って家を探していた。私は、今の家に帰っても三時間程度しか寝れなくて、家と現場を往復する時間を考えると、家を探した方が良かったんじゃないかと思う。そんな事を考えていると母が突然口を開いた。「お父さんはあんたを好きな大学に行かせてあげようと頑