17歳からのメッセージReport2013

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3717歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ持って、自然や空を撮る。友達や動物の表情や動作を「画」として残しておく。一瞬、一瞬を残しておける写真が大好きだ。ネットなどで他の人が撮った写真を見るのも好きだ。見る度に、もっと技術を上げたいと思う。その時にしか起こらないこと、風や雲の表情、友達の笑顔。撮る度に、どこか違って見える。今、写真を「趣味」としてやっている。それを大学へ行き専門的に学ぶ。確かに好きなことだからいいのかもしれない。だが、将来のことを考えると、不安になって足が進まない。この好きと学ぶの境界線は低いようで、とても高い壁が立ち、私はその前でひたすら自問自答をしているのだ。そんな人は、たくさんいると思う。ひたすら自問自答をして、道を決めていくと壁を壊していくのだ。私も同じように、後悔しない道、挑戦する道を選んでいきたい。兵庫県立武庫荘総合高等学校(兵庫県)福本郁さん我喜??中国、???私が今、これだけは言いたいのは『日本人は中国を嫌いすぎ、批判しすぎ!』ということだ。日本人の中国批判は、私はいわゆる〝食わず嫌い?のようなものだと思う。それほど理不尽だということだ。メディアなどでも中国批判が一般化している中、こんなことを言う私は変わっていると思われるかもしれない。しかし、私がそう言えるのは実際に関わり合って感じたことだからだ。それは今年の春に留学センターが主催する上海留学体験ツアーに参加したときのこと。留学する気はなかったが、料金が格安な上に中国語の授業を受けていて非常に興味があったので参加することにした。現地では中国独特の華やかな文化、関西人にも似たおもしろさ、さらに人々の温かな優しさを感じることができた。そして何よりも強く感じたことは〝メディアや世間が抱いているような悪いイメージとは全然違う?ということだ。なぜ私が日本人の中国批判は〝食わず嫌い?のようだと思うのか。それは食べてみたことのないものを食べる前から嫌うように、自分自身で関わってみたことのない人や国と関わり、わかり合おうともせず嫌っているからである。中国は今、経済発展の中心地と言っても過言ではない。そんな中国のお国柄を日本も中国も、お互いに受け入れ合っていける日がくることを私は強く望んでいる。(兵庫県)匿名希望乗って残そう未来のローカル線私が鉄道が好きな理由は、車とは違い時間通りに走ることができ、乗り心地がよく、環境にやさしい乗り物だからです。しかし今地方の鉄道は少子化・高齢化・自動車の影響で利用客の減少が激しく存続が危ぶまれています。これまでもたくさんのローカル線が廃止されてしまいました。僕がとても好きだった三木鉄道も利用客の減少に歯止めをかけることができず、新駅設置、新車導入、朝夕ラッシュ時の30分間隔運行を実施したのにもかかわらず、赤字を補助していた三木市の財政圧迫の原因として廃止されてしまいました。今全国のローカル線は赤字経営の所が多く、道路整備などで大きな痛手を被っており、経営は厳しいと言えます。鉄道がなくなれば、町に元気がなくなってしまい、地価や家屋の資産価値も下がってしまいます。一部の第三セクター鉄道では高額な運賃設定で利用客の減少が進んでいるが鉄道会社が営利企業である以上、運賃収入でコストを回収する必要があり利益に見合わない投資はできません。そこで自治体や国の支援が必要です。今第三セクター鉄道などは自治体の支援だけで命脈を保っていますが税収の減少などから自治体だけでは支えきれなくなっています。国が支援するとともに、沿線住民と一緒になって鉄道の利点を見直し、今後進むとされる高齢化問題などをふまえて鉄道の必要性を確認する必要があると思います。一度廃線になってしまった鉄道は二度と帰ってこないのだから。和歌山県立きのくに青雲高等学校(和歌山県)南方純一さん居場所は自分から見つけるもの「ああこれがいじめか。」野球部を辞めてから野球部の人から悪口を言われ、同級生からは足を踏まれたり、雪が降った日には雪を投げられ、この時僕は、ここにはもう居場所がないと思った。限界が来た。倒れてしまって一年は余儀なく休養をしなくてはいけなくなってしまった。つらいつらい病気との闘いが。やっとちょうど倒れた一年後の頃、バスケットと出会った。マンガ「スラムダンク」、「黒子のバスケ」を見てやりたいと思い、体も良くなったので勇気を出して、外の中学生チームに入れてもらった。ほんとに一年も体を動かしていなかったら体は動かない。もともと体力はない方だったが。本当に好きになってしまいクラブの人より最後まで居残るようになってしまい「早く帰れよ。」とまで言われてしまうようになってしまった。六ヵ月がたったある日、大阪の大会に出ることになった。一試合目と二試合目はボロボロ負け。後でお父さんに聞いてみると、「あの185cmは全日本の選手やぞ。」その時、僕は「あのおれがよくここまでこれたな。」と思った。三試合目も負け最後の試合になってしまった。最後0.6秒のところで僕がファウルをもらいフリースロー二本。一本目はボードに当たり入り二本目。チームメートが「これ入れて和歌山に帰るぞ。」僕の居場所が見つかった。鳥取県立青谷高等学校(鳥取県)川口里佳子さん今、出来ること私も私のお母さんも、朝がすごく苦手だ。どちらかというとお母さんのほうが朝が苦手だと思われる。でも、お母さんは、毎朝家族のみんなより早く起きて、お兄ちゃんと私とお父さんと自分のお弁当、合計四個のお弁当を作っている。弟たちが弁当がいるとなると六個も作らないといけなくなる。