17歳からのメッセージReport2013

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42 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ熊本学園大学付属高等学校(熊本県)永田理子さん本当に必要な物母に携帯を没収されて一か月になる。仕事柄、高校生の生態に詳しい母は、何が一番ダメージを与えるか熟知しており、痛いところをついてきた。非は約束を破った私にあり、問答無用で「愛機」を差し出した。暇を持て余し、生まれて初めて眉毛をちょっとだけ整えてみた。そういうお年頃なのだ。その日の夜、私の顔を見た母に一瞬で見破られた。「校則を守れないような奴に携帯なんて贅沢だ。」と激怒され、今に至る。友達との接触も絶たれ、眠れない夜を過ごしたが、何日か経った頃ふと気づいた。今まで携帯を片手にダラダラと過ごしていた時間に、本を読んでいる自分がいた。買ったまま本棚に並べてあった本を、次々と読破していった。取り立てて急ぐ訳でもない会話を延々とやり取りしていた時間が、本当に必要な時間だったのかと思えてきた。母は「是は是、非は非」の人だ。眉毛が生え揃うまでは決して返さないはずだ。復旧状態はおよそ6、7割。意外と伸び悩んでいる。あと一か月ぐらいは覚悟しなければならない。でも、無いならないで生活している現状に、思ったほどの不便さは感じない。ある友達は、母の携帯に電話をかけてきて取次ぎを頼んでくる。防犯のために買った携帯だが、本当にそれが必要な物だったのか考えているところだ。とりあえず今は、あと3、4割の眉毛が私には一番必要な気がしている。大分東明高等学校(大分県)後藤緋奈子さん何かを続ける大切さみなさんは幼いころから続けていることがありますか。私にはあります。私は4歳のころから民謡を習っています。今年で習い始めて13年になります。幼いころの私は民謡が嫌いで、練習をせずに大会へ出場していました。そのため大会で賞をもらうことも少なかったです。全く賞をもらえないことでますます民謡が嫌いになっていきました。そのまま小学生になり、クラスの人たちの前で唄う機会が多くなりました。私が唄うと必ずみんな笑います。私はすごく傷つき、心から民謡を辞めたいと思うようになりました。ある日、母に「民謡を辞めたい。」と伝えました。母は首を縦には振ってくれませんでした。すねている私の方を向き、言いました。「本当に今辞めてもいいの?確かにあなたには唄の才能はない。でもね、あなたは努力の才能をもっちょんよ。練習をしたらみんなも笑わないんじゃないの?」この言葉を聞いた私は大きな声で泣いていました。このことをきっかけに私は練習をするようになり、色々な大会で賞をもらえるようになりました。昨年の10月に行われた大会で、青年部大分県代表に選ばれ、全国大会に出場することになりました。その結果を聞き、母に初めて感謝の言葉を言いました。何かを続けるということは決して楽ではありません。ですが、それを通して得るものは大きいと私は考えます。まだ何も続けていない方は今からでも探してみて下さい。(宮崎県)匿名希望辛い現実日常を車いすで過ごしている。「車いすって、ラクでいいよね。」…ラクなわけないじゃないか。すごく苦しいよ。こぐときに掌が痛い。周りが言っている言葉を聞いて時々ばかばかしく思う。障害者の気持ち知らないから、そうやって好きなように言ってくる。私は支援学校に進学した。普通校にいた私にとって、支援学校は窮屈に思える。普通校では、登校時間も宿題の量も全て同じ扱いをしてもらっていた。同じような子のいる支援学校では病気を優先しているようになる。あーだ、こーだ言っているが、初め、私は支援学校に来たくなかった。私は美術が好き。美術の道に進みたいと高校を選んでいた。でも親や先生の言葉「貴方は病気がある。体を大事にしないといけない。」…私は美術の道に進みたい夢を無くし、「体のため」に支援学校に来た。この学校の生活は、正直辛い。今までハイスピードで過ごしてきたから、今がすごくのろく思う。全てゆっくりと過ぎていってる。毎日たくさん動いて疲れてぐったりしすぎていってる。「支援」に抑えつけられているような感覚になる。私には、ここが「不便、スリルがない、つまらない」そう思う。したいことがあるのに、ここではできないことだって多い。文化祭だって体育祭だって、したいことややりたいことがあった。でもここじゃできない。たくさんの理想を抱えていたのに「病気」があるからできない。ここでの生活には入り込みたくない。…現実は残酷だ。鹿児島県立大島高等学校(鹿児島県)南佳祐さん〝伝える?ということ私は、週末になると祖父のもとへ字を習いに行く。祖父は、独学で字を学びながら、書道や水墨画の個展を開くほどの腕前だった。故郷の集落で農業を行い、週末になると、近所の家へ帰って来て、大島紬を織りながら、書道教室を行っていた。しかし、病気で二度倒れてからは、機織りをやめ、家で過ごす時間が長くなってしまい、昔のように筆を握ることも少なくなってしまった。そんな祖父は最近、私が家を訪ねると、突然昔話をするようになった。今まで祖父のそういった姿を見たことが無かったため、私はとても驚いた。祖父の話は、幼い頃の戦争の記憶であったり、集落にいた村一番の力持ちの話であったりと、とても興味深かった。どの話もとてもいきいきとしていて、ゆかりのある土地での出来事は、まるで自分もその場に居合わせたような感覚にさせ、今にも大木を担いだ大男が、目の前に現れそうだった。祖父の話からは、集落の心や誇りが伝わってきた。そのとき、私はこれが伝わるということだと思った。話を伝えることで、過去の人々の魂を伝え、故郷への愛を伝える。戦争の跡や建