17歳からのメッセージReport2013

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06 17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ06 17歳からのメッセージ東日本大震災での原発事故、放射能漏れで数多くの家畜が犠牲になった。殺処分や餓死、衰弱死した家畜の写真を見てショックを受けた。私は農業高校の畜産科に入学し、様々な家畜の世話をしてきた。その中で一番記憶に残っている家畜は難産を経て産まれてきた雄羊である。この羊の母親は子どもに乳を与えようとしなかった。先生が「あなたたちで育てなさい。」と学生審査員講評今年から、私達家族は、離れて暮らしていた祖母達と同居することになった。私は昔から友達が祖父母達と暮らしているのを見ていて、とてもあこがれていたので、すごく楽しいと感じている。冒頭の会話は、家に帰って来た私が、テレビを見ている祖母の背後から大きな声で驚かせるということが毎日の日課となっている会話だ。祖母達と暮らしていると、とても心がポカポカしてあたたかい気持ちになる。だが、最近会話があまり通じないことに気付いた。「キュウヤイイチチデービルヤサヤー。」(今日もいい天気だね。)という感じで祖母達は方言でしか話さない。方言が分からず困っていると、「ウナタイワカランバー?」(こんな言葉も分からないのか?)と祖父に言われ、はっとした。そうだ、なぜ私は、私の住んでいる地域の方言が分からないのか、そしてもし、今私達が祖父達から方言を学んで使わなかったら、次世代の子達はさらに、方言を知らないまま大人になり、もしかすると地域の言葉が無くなってしまうのではないか。そう思うとなんだか、悲しい気がする。方言も、人の感情や思想を伝える大切な国の文化の一部だと思うからだ。だから、私は祖母達に方言を教えてもらいながら、今日も会話を楽しんでいる。言った。その日から私は「よしゆき」と名付けた子羊を育てることになった。毎日朝も晩も畜舎に行き、ミルクを与え掃除をし、体調の変化を記録する。よしゆきは私にとって家族のような存在になった。けれど家畜は人の食料となる運命だ。先生と話し合い、一年後に出荷することになった。出荷の日、私は屠殺場までついていくことにした。頭では分かっていても家族同然のよしゆきが屠殺された時、涙が止まらなかった。肉となって帰ってきたよしゆきを生徒と先生で美味しく頂いた。その時私は、殺処分と屠殺される家畜の違いに気付いた。屠殺は家畜の使命。その命は人が生きる上で大切なものとなるのだ。しかし、殺処分は食料にもなれない。その上、殺処分を行うのは動物の命を助ける獣医師。誰もがやりきれない思いになる。このことに気付いた私は、殺処分される家畜をなくしたいと思う。そして、そのことに気付かせてくれたよしゆきの命に感謝をしたい。私には牛も豚も鶏も、もちろん羊も殺すことはできない。それなのに当たり前のように肉を食べている。その背景には動物を屠殺する人たちがいてくれていることを認識しているつもりだったが、本当の意味では理解していなかったような気がする。この作品は自分より歳下の高校生がこんなにも家畜の命についてしっかりと考え、そして向き合っていることに衝撃を受けた作品だった。屠殺と殺処分、家畜にとってはどっちも殺されることに変わりはないと思っていたが、全く違うものだと気付かされた。人間としての勝手な解釈かもしれないが、一生懸命育てられ美味しく食べてもらったよしゆきは殺処分された家畜より幸せだったと思う。家畜はペットとは違い食べられるために育てられる。よしゆきの命には意味があったのだ。殺処分は食べられるために育てられたにも関わらず食べてすらもらえないのだ。命の重みを身をもって知った片田さんだからこそ、この殺処分という現実に心を痛めたのだと思う。私はこれからも生きるために肉を食べるだろう。この作品を読んだ今の気持ちを大切に、命にしっかり感謝しておいしく食べようと思う。情報社会学部4年生徳武桃子さん高知県立高知農業高等学校(高知県)片田有衣子さんよしゆきの命に感謝今、これだけは言いたい!(自由課題)3テーマ学生審査員賞1作品