17歳からのメッセージReport2014

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1117歳からのメッセージ1117歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧大阪府立港南造形高等学校(大阪府)加藤美智子さん記録より記憶私はアーティストになりたい。しかし大人は「好きなことばかりじゃダメになる。」と口を揃え、私の夢を妨げてくる。そんな中、頭から離れないことがひとつある。祖父の事だ。プロ野球選手だった祖父は、私にとって身内で唯一夢を掴んだ憧れの存在であった。その祖父の葬儀で、弔問客の多さに驚いたのを覚えている。そしてみんな祖父を囲んで「最後まで、好きなことして、満足そうな顔してる。」と話していた。引退後もコーチとして活躍していた。「昔はすごい選手やってんで。」と祖母はよく言っていた。壁に飾られた白黒写真のランニングホームランの時の姿は、目に焼きついている。しかし当時の活躍の内容はほとんど聞かずに育った。私は興味を持ち祖父の記録を探った。しかし雑誌などに載っていた打率などの数字は、野球に無知な私にはなんの魅力も感じなかった。すると母がある二枚の紙を引っ張りだしてきた。それは祖父と親しかった人の綴った祖父の母校の新聞だった。そこには人間味溢れる祖父の話が書かれていた。あぁ、知ってる…私のよく知る優しい祖父だ。あの話は祖父と関わってきた人々の親しみから出たものだったと知り、人との繋がりの大切さを知った。私は夢を諦めない。祖父の残した記憶が、私に力をくれた。記録より記憶。私は人の記憶に残る人になりたい。大阪府立泉陽高等学校(大阪府)横山由起江さん肩こり私の母は、私を産んで一年余りで仕事に復帰した。それ以来、平日は夜遅くに帰り、休日に出勤することもある。母は私と過ごすことを出来る限り優先してくれるが、それでもやはり、学校から帰ると母親がいる友達をうらやましいと思うことは多々あった。「うちのお母さんはなんで仕事をしてるんやろ?なんで家におってくれへんのかな?」一度も口には出さなかったが、小さい頃から何度もそう考えていた。ある日、テーブルの上に女性の幹部登用についての新聞記事が置かれていた。そこには家とは違った母の顔があった。記事を読むと、母の責任の重さや苦労がよくわかった。「お母さんは、なんで仕事をするん?」その晩、ずっと抱えていた疑問を投げかけると、母は少し考えてからこう答えた。「一緒に働く人たちが楽しそうならお母さんも嬉しい。しんどいこともあるしお母さんだけでは小さいことしかできんけど、皆で力を合わせてそういう職場を作りたいから。」母は、確かにあまり家庭的ではない。良い母親でないと言う人もいるだろう。しかし、それでも私はそれを聞いた瞬間、「お母さんみたいになりたい!」と強く思った。「周囲を慮おもんばかり、社会で活躍するかっこいい女性になるんや!」そんな決意をこめて、私は久しぶりに母のこった肩を強く揉んだ。私も将来こんな風になるんだと確認するように。兵庫県立明石西高等学校(兵庫県)網代将承さん昔と今と夢と自分幼いころの僕は、将来は漁師になるんだとずっと夢見ていた。家業が代々漁師であること、長男であること。特に両親からそのような教育をうけたわけではないが、将来の夢については頑なにそれになりたいと言いはっていた。いや、もしかするとそんな深い意味もなかったのかもしれない。家業を継ぐと言うことで、家族は喜び親戚にほめられる。そうして口に出すことで次第にその意志が固くなっていった、それだけなのかもしれない。まるで一種の自己暗示のようだ。中学生になって、本格的に将来のことについて考えるようになっても、決意にまで大きくなっていたその意志は揺らがなかった。しかし、ある日、父から自営業の厳しさや、次の世代の後継者不足、それをふまえて僕自身にそんな大変な思いをさせたくないということを打ち明けられた。ショックだった。初めて決意が揺らいだ。ただただ夢を見ていただけの決意は、こんなにももろく崩れたのだ。今僕は栽培漁業の確立という将来を考えている。栽培漁業は養殖漁業と違い、育てた稚魚や稚貝を海に放流し、それによって資源を増やし採捕する漁業だ。しかし、昔と比べ海の環境変化や知名度の低さからあまり良い効果が期待できないのが現状である。僕はもう幼くない。祖父や父が時折話す「昔の海」をもう一度見せてあげたいという夢もできた。だからこそ、もう夢を夢だけで終わらせたくないのだ。和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)柳瀬志穂さん私の家族私は自分の家族が嫌いだ。小さいとき、母親が家を出ていった。「すぐ帰ってくるからね。」と母親に言われた。その時の私はその言葉を信じて待っていた。でもそれから母親が帰ってくることは無かった。何故母親が帰ってこないのか、何処へ行ってしまったのか、誰も私に教えてくれなかった。私は祖父と祖母が嫌いだ。小学校の入学式の時ほとんどの子が両親と一緒に来ていたけど私は父親と二人だった。父親は仕事があったので私の世話は祖父母がしてくれた。ご飯は祖母が作ってくれた。遠出するときは祖父が車を出してくれた。でも周りと違う、ということを学年が上がるたびに感じるようになり、私は二人に反抗するようになった。私は自分の父親が嫌いだ。小学校高学年に上がった頃、私は両親が離婚していたことを知った。教えてくれなくてずっとその事実を隠されていたことに腹が立った。しだいに父親にも反抗するようになった。中学校に上がり、部活を始めた頃、私は今までずっと家族に支えられていたことに気づいた。体調が悪いと心配してくれた。部活を辞めたいと言ったとき、何かあったのかと話を聞いてくれた。それがとても嬉しかった。高校二年生になった今でも周りに劣等感を感じることはある。でも、今では昔と違って家族のことを好きになることができた。今まで支えてくれていた家族に自分が出来る限りの精一杯の感謝の気持ちを伝えたい。