17歳からのメッセージReport2014

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1717歳からのメッセージ1717歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧が必ずしも指示通りに動いてくれるとは限らない。言うことを聞かないときももちろんある。そんな時には、なぜ思い通りにならないのかと腹を立ててしまう。しかし、それはよく考えれば当たり前のことである。馬は、性格、気分や機嫌によって毎回動きが違ってくる。馬の背中にまたがっているとつい忘れがちになるが、あくまで馬は「乗り物」ではなく「生き物」である。私達と同様に感情が存在するのだ。つまり、馬の気持ちを理解しないと、心を通じ合わせて良い時間を共有することはできない。人間関係にも同じことが言えるだろう。人と良い時間を共有したいのであれば、まずは相手を理解することから始めなければいけない。価値観が違うから、といった理由だけで人間関係を築くことを諦めてしまうことはとても勿体無い。他人と違うのは当たり前だ。むしろ、違うからこそお互いの足りない部分を補うことができる。そうして多くの人の中で揉まれることが、未熟な私達が大人になる近道なのだと私は思う。大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校(大阪府)池内朱梨さん一致しない「性」私は、心と体の性別が一致しない。いわゆる、「性同一性障がい」とよばれるもの。物心がついた時から男の子と同じ様な遊びや格好をしていた。当時は私自身も周りも気にせず過ごしていた。中学になって言われた一言が「女のくせにきもい。」だった。私はその一言で傷つき、この体と一致しない心で生まれてきた事に不快感と違和感に包まれた。当時はいじめにもあったり、辛い思いを沢山した。中二のある日、ある言葉を見つけた。「性同一性障がい」気になって沢山調べた。そこには共感する話の数々が書かれていた。その瞬間、私の中の不安や苦しみが一気にほどけた。「自分は一人じゃないんや。」そして中三の夏、友達や親にカミングアウト。あの頃のようにきもいなんて誰一人言わなかった。むしろみんなが自分のことを支えてくれた。今まで「こんな人生なら、生まれてこなければよかった。」と思っていた私はその日には、「生まれてこれてよかった。」と思えるようにまでなっていた。それは、友達や家族が誰も私の事を見捨てず、むしろ支えてくれたから。だから私は今の自分に胸を張って堂々と生きると決めた。そして感謝を忘れず、自分にしかない輝きを大切に、個性は素晴らしいということを伝えていきたい。履正社高等学校(大阪府)子安輪さん優しいオバケみなさんはオバケを見たことがありますか?僕はあります。とても優しいオバケを見たことが。あれは、小学校の4年生の頃でした。当時僕には小学1年生の弟がいました。ある夏の日、僕たちはおばあちゃんの住む山奥の古い家にお泊りにいきました。一日中遊んでいると、あっという間に日は暮れ夜になりました。布団に入り寝る前、僕は出来心から怖がりな弟に怖い話を聞かせてしまったのです。それからというもの、弟の怖がりはどんどんひどくなり、ついには一人でお風呂に入ることもできなくなってしまったのです。弟が2年生になったある日。なんと、うちに、オバケというにはあまりに不格好なオバケがやってきました。それでも一人で部屋にいた弟はパニックです。そしてオバケはゆっくりと弟に近づいていきました。次の瞬間、オバケは弟の頭をなでました。そして「オバケはみんな優しくて、怖くないんだよ。」と言い、着ぐるみを脱いだ母が現れました。弟は笑っていました。その日は10月31日、つまり、ハロウィンだったのです。僕はいつもはハロウィンがいつかもわかっていないような母が前々からこっそりとなにかを作っていたのを知っていました。まだ幼かった僕なりに、なにかジーンとくるものがあったのを覚えています。その日から、弟の怖がりはなくなりました。僕がオバケを見たのは後にも先にもこの日だけでした。また見れるかなぁ。履正社高等学校(大阪府)末松拓也さん意志の強気「最近の若者は、人としてのマナーが悪い。」とよく聞く。言われてみれば確かにそうだ。例えば、公園はどうだろう。たむろして、夜遅くでもお構いなしに騒ぎ、そのうえ出したゴミも持って帰らないといった若者がいる。しかし、野球部のある先輩とこんな出来事があった。それは、高校のグラウンドに向かうバスの中で起きた。その日は、昼までの授業で午後から練習の日なので、みんな昼ごはんを食べていた。その先輩はコンビニで買ったパンを食べていた。僕は、ごはんを食べ終えてたので、ボーッとしたり先輩と話をしたりしていた。バスが出発してから10分ぐらいたったところで先輩がごはんを食べ終えた。僕は、先輩のゴミを捨てようと思い、先輩に、「ゴミ、捨てておきます。」と言うと、先輩に、「あ、エエわ。」と断られた。すると、先輩は続けてこう言った。「自分のゴミくらい自分で捨てへんと。1年の時に先輩のゴミを捨ててたけど、なんで、自分で捨てへんのかが分からへん。自分で捨てへんのやったら食べへんかったらエエやん。」と言われた。この言葉は、すごく胸に響いた。もし、この状況で後輩に「ゴミ捨てときます。」って言われたら、捨ててもらってたと思う。中学校がそうだっただけに恥ずかしかった。最後に先輩は、「お前も来年、先輩になるけどゴミだけは自分で捨てろ。」と言った。この時、意志の強い人で凄いなと思ったのと同時に、この人に一生ついて行こうと思った瞬間だった。兵庫県立芦屋国際中等教育学校(兵庫県)崔多瑛さん今こそ、共に歩もう国や文化が違っていても、平和で共に生きる世界、そんな世界はあるのだろうか。いやそういう世界を作ることは可能だろうか。少なくとも隣国同士の日本と韓国なら、不可能なことではないと、私は思う。私は小学校二年生の時に韓国から引っ越してきた。最初は