17歳からのメッセージReport2015

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10 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞した。その人は新しく来た担任の先生で、とにかく元気な人だった。ある日、私は花瓶を倒してしまって、どうしようかと迷っているうちにチャイムが鳴り、授業が始まったので、私は黙ったまま席に着いた。しばらくしてそれに気付いた先生は、「誰がやったのか正直に申し出なさい。」と言ったが私は怖くて言うことが出来なかった。すると先生は話し始めた。「皆さん、消しゴムの役割を知っていますか?鉛筆で間違った所を消すため。確かにそうです。それと同時に、鉛筆に間違ってもいいんだよと安心させているのです。先生の存在は消しゴムと同じです。失敗したっていいんです。その失敗をどう変えていくか、一緒に考えていきましょう。」先生はそれ以上問いつめることはしなかった。私は、もしまた同じことがあったら、その時は素直に言える気がした。この話を私は忘れないだろう。先生と出会えて私は成長することが出来た。今まで泣いてばかりの弱虫だった私は、人の役に立てる人になりたいと思うようになった。誰かの消しゴムという存在になりたい。そう思ったら、なんだか明日の希望の光が見えてきた。将来は人と関わる仕事について、色々な人との出会いを大切にしたい。伊那西高等学校(長野県)中村恵理香さん未来予想図子供の頃、私は自分が将来有望で、すばらしい人になるだろうと信じて疑わなかった。どこからそんな自信が湧いてきたのか、今思うと苦笑してしまう。昔から変な子供だった。友だちと外で遊ぶより、おままごとをするより、ひたすら絵を描いて、その絵をほめられる事が好きだった。保育園の卒業アルバムを見てみた。絵描きになりたいと書いてあるのかなと思ったら、「カメラマンになりたい」と書いてあった。だいたい、女は「マン」じゃなくて「ウーマン」だ。しかも、カメラは当時も今も全然いじっていない。これは叶えられない。面白くなり、小学校や中学校の卒業アルバムも見てみた。そこには、「美大へ行きたい」と書いてあった。我ながら痛い所をついている。あの頃は高学歴にあこがれていたなぁと思い出す。絵もうまくなり、頭も良くなりたかったのだ。しかし美大は学費が高すぎる。加えて国立大学へ行けるほど頭も良くない。ごめんなさい。今の私にはその夢は叶えられません。では、今の私の夢って何だろう?子供の頃の夢と照らし合わせて考えてみる。私はまた、人生計画を立て直して、一から未来予想図を考え直さなければならない。そして今度こそ妥協せず、自分のなりたいものに向かってつき進まなければならない。いつか大人になった時、子供の頃の自信満々だった自分に、何とか対抗したいのだ。愛知県立豊田東高等学校(愛知県)吉本晴香さん強いこころ私には何でもため込んでしまう癖がある。例えば夏休みの課題、ファイルの中の不要なプリント、部屋の掃除。どれもためると厄介なものばかりだ。その中でも、特にため込んでしまうものがある。それは「悩み」だ。私は高校二年の春から、部長をしている。今まで、リーダーという役割は何度も経験してきたが、今回は違った。うまく部員の意識をまとめることができず、部の雰囲気が悪くなってしまったのだった。私は全て自分の責任だと思った。毎日悩んで、自分を責めた。さらに、友達に相談するのも相手に迷惑ではないかと考え、誰にも話すことができなかった。辛く、苦しい毎日だった。ある日、いつものように母と話をしていた時のことだ。ふと、私の心に限界がきた。一度口を開くと、ため込まれていた悩みが全て吐き出され、涙が止まらなかった。母は黙って聞いてくれた。すると、心がすっと軽くなった。私は一人で抱え込みすぎていたことに、その時初めて気づいた。私は学んだ。小さな悩みでも、ため込むのは良くないと。その代わり、心に響いた言葉をノートにためるようにした。そのノートには先生からのアドバイスや、好きな歌詞がためてある。辛くなった時に見返すと元気になれる、魔法のノートだ。これから苦しいことがあっても、ため込まずに相談すること、魔法のノートがあること、この二つを忘れなければ、私は頑張れる。愛知県立名古屋聾学校(愛知県)伊藤真結さん明るさをとりもどした私私は生まれた時から耳が聞こえない高校生。高一まで健聴者と同じ普通の学校に行っていたが、いじめられたりして不登校になった。高校生になった時は、いじめられないと思ったが入学し早速いじめられた。「なんで耳が聞こえない私をいじめるんだろう…。」と思った。私は絶対耳が聞こえないことでいじめられるんだろうと、毎日自分の耳のことが嫌いって思うようになった。そのせいで家族とけんかした。自分の弟も私と同じ障害がある。弟も耳のせいでいじめられたことがあった。とても辛かったけど、私と弟を生んでくれた親が一番辛いんだろうなと思った。私は高校を退学し、耳が聞こえない人が通う聾ろう学校に転校した。初めは手話とかまったく分からなかった。聾ろうについて理解できなかったし、友達とけんかばっかしていた。でも、今は聾ろうのことも理解するようになり、友達と仲良くなった。入学した時と違い、手話を使い会話をすることができるようになって、私はうれしかった。耳のことが大嫌いじゃなくなり、大好きになった。暗かった私が明るくなり、楽しく生活をしたり、ちゃんと学校に通うようになったのは母やみんなのおかげだと思った。私は感謝している。みんなと出会えたおかげで、私は暗いまま生きてるんじゃなくて明るく元気で生きていけるようになって、本当にありがたいなと思った。これからも耳やみんなを大切にしていきたいなと思う。海陽中等教育学校(愛知県)久保田禮さん天才とは1%の閃きと99%の努力である「天才とは1%の閃きと99%の努力である」発明王エジソンの言葉だ。この言葉に出会ったのは小学三年生の時のこと