17歳からのメッセージReport2015

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1117歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞金賞である。以来、これまでこの言葉に励まされてきたとはいえ、人に抜きんでて誇れることもないまま、忸じくじ怩たる思いを抱えていた。進学してからは、勉強にスポーツに、才能に溢れた友人に囲まれ、ますます実力の差を意識させられた。頑張ればなんとかなるのか?天てん賦ぷの才というものは歴然と存在して、あがいても越えられない壁のようだった。そんな時、姉が言った。「よくそんなに頑張れるわね。感心するよ。禮は努力の天才になれるね。」人が一回でできることに五回、十回かかってもいい。人が一回で諦めてしまうかもしれないことを、諦めないで何度でも挑戦する。それが人に誇れること。エジソンの言葉が蘇る。資質では勝てなくても、諦めの悪い根性では負けない。これからの自分。夢は医師になって人を助けること。泥臭く人に向き合っていきたい。命と対峙し、諦めの悪い努力を続けたい。天才には届かなくても、それが持たざるものの最善の策だと思うから。「努力の天才」なんて言うと格好良すぎて似合わないけれど、絶対に諦めないで努力のマラソンを走り続けよう。そうすれば、1%の閃きが、あっちからやって来るかもしれない。関西創価高等学校(大阪府)中道紗貴さん私とブランコ私は、ブランコに乗る事が、世界一大好きだ。あのブランコという乗り物に乗るだけで、私の心は、フワフワと気持ちよくなる。嫌な事だって、悲しい事だって、全部空に飛んでいくような気がした。私は、そんなブランコが、本当に大好きだ。ある学校の帰り。誰もいない公園。風に少しゆれているブランコ。私は、自転車を降りてブランコに乗った。足を曲げたり、伸ばしたりしてブランコをこいでいく。ブランコと私は、激しくゆれながら夜の空に近づいていった。私は、瞼を閉じて暗闇の世界に入りこんだ。耳には、木と木の話し合いが聞こえる。鼻には、どこからか漂ってくる晩ご飯の匂いが、鼻をくすぐる。体には、夜の冷たい風が、私を包んでくれる。足は宙に浮き私を違う世界につれていってくれるようだ。この不思議な気持ちも感覚も全ての要因は、このブランコにある。ブランコは、本当にすごい。ブランコは、私にとってちょっとしたマジシャン。私は、大学生になっても、大人になっても、このブランコを一目見ればきっとこのブランコに乗りたくなるでしょう。そして、成長した自分と変わらないブランコは、新しい世界の扉を新たに開いていくのでしょう。(和歌山県)匿名希望過去と未来の私へ二年前の私は不登校でしたね。学校にいることが苦しくて、自分のことが嫌いでした。夢を持たず将来のことが不安で、ひたすら自分のおかれた環境を恨んでいましたね。そんな過去の私に伝えたいことがあります。人生を諦めないでください。学校に復帰することはかなり苦しいことでしたが、あなたはそれに勝てます。中三の生活は本当に幸せでした。そして今、私は無事に第一志望校に通い、楽しい毎日を過ごしています。少しの勇気で人生は変わります。だから、前を向いてください。未来の私は夢を叶えられていますか。世界のどこかで誰かを救えていますか。誰かに感謝してもらえるような行動をしていますか。私は今年、憧れの国際科に入学して、夢へのスタートを切りました。そして、あなたが「自分の選択は間違っていなかった」と思えるように毎日を懸命に生きています。きっとあなたは発展途上国の厳しい環境の中にいるでしょう。もし辛くなったら、高校生の私の決意を思い出してください。辛い過去もこれからの未来も、全ては私の人生です。過去と未来の私へ、最後に言いたいことがあります。人生という道の中にはたくさんの困難があります。だけど、どうかくじけないでください。私なら立ち向かえるはずです。自分を信じ、愛し、強く生きてください。徳島県立池田高等学校(徳島県)安宅星夏さん眩い時間に負けないくらい少し冷たい澄んだ空気を肺いっぱいに溜め込んで、まだ誰もいない朝一番の教室を、隅々まで私の音で満たす。私の最も好きだった瞬間だ。私は中学、高校と吹奏楽部に所属して、トランペットを吹いていた。小学校の頃も金管バンドでトランペット担当だったので、その延長線でなんとなく入部した。トランペットを続けた一番の理由も、運指が簡単だからという理由だ。初めはその程度の気持ちだったが、私は次第に吹奏楽の世界にのめり込んでいった。吹奏楽が私に与えてくれたものは数え切れないほどある。私の息が音になる幸せ、思い通りに演奏できないときの胸が焼けつくような辛さ、必死で練習したのに思うような結果がついてこなかったときの悔しさ、仲間と音の出るタイミングや和音がピッタリと合ったときの喜び……。私は元々、自分の気持ちを言葉にして伝えることがあまりなかったが、そんな私にとって楽器は心の拡声器だった。そして、かけがえのない人たちとの出会いを与えてくれた。特に、中学時代に出会った先輩や恩師と共に過ごした時間は、今でも私を支えてくれる。三年生になって吹奏楽部を引退した今、私はあのきらきらした時間に対して恥ずかしくない生き方ができているだろうか。楽をして楽しもうとはしていないだろうか。今日からは楽器を鉛筆に握り替え、譜面ではなく机に向かおう。愛媛県立野村高等学校(愛媛県)大森彩花さんこれから私は、高校一年生の時に「特別支援教諭」という夢をもった。しかし、障害者の方と普段の生活の中で接する際、どうしたらいいのか分からない自分がいた。分からない挙げ句、目をそらしたこともあった。そんな自分が情けなく、軽蔑した。そんな時、担任の先生が聾ろう学校の文化祭に連れて行ってくださった。そこで一人の女性を紹介していただいた。彼女は