17歳からのメッセージReport2015

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1717歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞金賞(静岡県)匿名希望無題「私、若くてきれいな内に死にたいの。しわしわになんてなりたくないでしょ。」と、友達が話していた。私の夢は「しわしわのおばあちゃんになること」だ。なので彼女の意見は正直理解できなかった。私の生きてきた十七年間は、後悔ばかりだ。傷つくことを恐れ、大切なものを守り抜けなかったこと。大切な人の涙に、気が付けなかったこと。沢山の後悔を抱えている今、死ぬわけにはいかない。これからしたいことも沢山あるし、まだまだ見たいもの、行きたい場所がある。歳を重ねるごとに、それは増えていく。きっとそれは「しわしわのおばあちゃん」になってからも変わらないだろう。今まで見てきた沢山の「しわしわのおばあちゃん」の中で一番好きなのが、私の祖母だ。祖母は二人ともキラキラしている。気になる場所があれば、いくらでも出かける。歩ける内にすてきなものを沢山見に行く。毎日好きな花の手入れをしたり、たまに家でゆっくり過ごす。二人とも私の夢だ。少しずつしわが増えたり、背が小さくなったり、白髪が増えたり嫌なことの数も多くなるかもしれない。それでも私はおばあちゃんになりたい。嫌なことの倍以上、好きなものを見つけたい。死ぬまでの時間、めいっぱい笑いしわしわになる。いつまでも夢を持ち、欲いっぱいで死んでいく。それが私の夢。いつかすてきな「しわしわのおばあちゃん」になりたい。愛知県立木曽川高等学校(愛知県)野田菫さん優しい味卵四つにお砂糖一杯にお塩四杯。これが私のお母さんの卵焼きだ。私が小さい時からずっと同じ優しい味。私は「どうして、いつも同じ味なの。」とお母さんに聞いたことがある。それを聞いたお母さんは「もしも私が死んでしまったら、二度とあなたの服を洗ってあげることもできないし、話を聞いてあげることもできなくなってしまうけれど、卵とお砂糖とお塩があればいつでもお母さんの味を食べられるから、ずっと同じ味にしているんだよ。」と言った。こんなにも優しいプレゼントをもらっていいのだろうかと私は思った。お母さんは今まで私に、素敵な意味の名前をつけてくれたり、おいしいごはんを作ってくれたり、毎日「いってらっしゃい。」と言ってくれたり、習い事の送り迎えをしてくれたりと数えきれないプレゼントをくれた。私は今までもらったプレゼントは全て愛情だと思い、本当に嬉しいと感じていた。しかし、まさか自分が死んだ後の私の人生のことまで考えていてくれたとは思っていなかった。だから卵焼きを通して、お母さんの愛は世界で一番強くて優しいと思った。これから、たくさん嬉しいことや悩むことがあると思うけれど、お母さんの優しさや愛を絶対に覚えていたい。そして、自分の子供ができた時、私がお母さんにもらった愛情の二倍三倍以上の愛をその子に注ぎ幸せにできる、そんなお母さんになりたい。桜花学園高等学校(愛知県)青木穂乃香さんしあわせが降り注ぐ「お日さまはちゃんと見ていますよ。」私が小学生の時、同級生に嫌がらせを受けて泣いて帰宅した日があった。そんな私を抱き締めながら母が言ってくれた言葉である。いつしか私は空を見上げることが大好きになった。しあわせが降り注いでいて、いつも私に力をくれるのだ。高校生になって、スマートフォンを持つようになった。新しい学校でできた友人たちとメールで会話することが楽しくて、歩きながらスマホを触ることがたびたびあった。自然と目線は下向きになる。空を見上げることも忘れてしまっていた。友人とのチャットは楽しいはずなのに、何かが抜け落ちてしまっているような喪失感があった。それが何だったのかに気づくまで、かなりの時間を要した。最近、「歩きスマホ」という言葉をよく耳にする。それが原因で起こった事故も話題にのぼる。情報や物流が速ければ速いほど良いとされるこの時代で、皆忙しさにかまけて空を見上げることを忘れてしまっているのだろうか。そうであるとしたら、思い出してほしい。高く抜けるような空も、しっとりと包み込むような曇り空も、落ち着きを与えてくれる雨の空も、毎日違う表情を見せてくれる。表情豊かで、いつでもしあわせを降らせている。どうか少しでも空を見上げて、大きく深呼吸をしてみてほしい。きっと世界が大きく変わるはずだ。今日もまた、空からしあわせが降り注ぐ。京都府立向陽高等学校(京都府)星簇泰雅さん言いにくい言葉「また、昨日も言えなかった」そんなことを思いながら母が起こしてくれるのを私は目を閉じながら待っていた。待っている間ふと考える。「なぜ言えないのだろう」と。朝、起こされた私は母に「おはよう。」と言うと母は待ってたぞと言わんばかりに「おはよう。」と返してくる。母は仕事で私より先に家を出るので「いってらっしゃい。」と私は言う。家に帰るのは私の方が早いので「おかえり。」と言う。そんな日常の何げない会話はいとも簡単にできるのに。ある日私は母に「そのリモコン取って。」と言い、母はそれを取って渡してくれた。その時私は何も言わなかった、いや言えなかったのだ。それはその時だけでなく、ご飯を作ってくれた時や、朝起こしてくれる時も私は何も言えない。それがあたりまえになっているから言えないのか、それとも恥ずかしがっているのかはわからない。どうしても感謝の言葉が喉に隠れて外に出るのを嫌がってしまう。母は仕事で忙しいにもかかわらず、私の世話をしてくれる。母は私にとって大きな存在、まさに太陽のような存在である。そんな母に私は感謝の言葉が言いにくい。「摘出手術」のような言いにくい言葉は言えるのに、どうしてもあの言葉だけが言いにくい。もうすぐ母の日だ。日ごろの感謝の思いを込めてその日には絶対に言おう。いつも「ありがとう。」って。