17歳からのメッセージReport2015

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18 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞大阪府立だいせん聴覚高等支援学校(大阪府)道幸悠生さん障がいと喜び私には、聴覚障がいと上肢障がい、咀そ嚼しゃく障がいがある。障がいがあると不便なこともあるが、その分出来た時の喜びも大きい。例えば、私は中三の時、初めて牛乳パックが開けられるようになった。高一の時、初めてペットボトルの蓋が開けられるようになった。高二の時、初めてベルトを外せるようになった。高二の二月、初めてクッキーが噛めるようになった。三日前、初めて蒲たん公ぽ英ぽの綿毛を吹けるようになった。今日、初めてストローで飲み物が飲めるようになった。これらはほんの一例にすぎない。ベルト以外の五つは、健常者なら小学生くらいになれば誰もが、いとも簡単に出来ることだろう。もしかすると、ベルトも出来るかもしれない。それを私は何年も遅れてようやく出来るようになる。出来るようになるまでには、何回、何十回、何百回挑戦しても出来なくて、だんだん嫌になってくることもある。しかし、その分出来た時の喜びはとても大きい。私がもし健常者だったら、何かが出来るようになっても、それほど大きな喜びは感じなかっただろう。こう考えると、確かに障がいは不便な面もあるが、幸せや喜びも多い。そんな多くの喜びや幸せが感じられることを思うと、私は障がいがあってよかった。私はこれからもさまざまなことに挑戦し、出来た時の喜びや幸せをかみしめたい。次の目標は胡きゅうり瓜を噛めるようになることだ。大阪市立工芸高等学校(大阪府)森原真歩さん残っています私には、四つ年下の妹がいます。彼女は、小さいころ親指が三本ありました。私もまだ幼いころでしたので、彼女の奇妙な手を疑問に思っておりました。右手はいたって普通なのですが、左の親指だけ、根元から枝分かれしたその親指を、心の内でバカにしてもおりました。今思うと最低です。彼女がその事で近所の子供から嫌がらせをうけると、母親は決まって彼女を抱きしめ、なだめるのでした。私は根っからのマザコンでしたから、そんな彼女を妬ましく思っておりました。「嫌がらせされたって仕方ない。だって気持ち悪いもの」とそう思っておりました。彼女が病院で手術をうける事になりました。横に枝分かれした親指の切断です。入院が必要なため、当然母親が妹と一緒に病院で寝る事になります。いやだな、お母さんをとられたくない。私はとうとう我慢できず、「切ってもどうせ気持ち悪いままじゃん。妹のバカ。」と大声で怒鳴りました。妹と母親は、結局入院してしまいました。その夜、父が私に、「あいつ(妹)は、今まで一度も手の事で泣かんかったぞ。」と言い、私は自分の言動を深く後悔しました。次の朝、病院に父と見舞いに行くと、手に包帯と点滴をつけた妹が「ねーね!」と笑顔でかけよってきました。私は「ごめんね。」と謝り、妹に折り紙のツルを作りました。その時のツルも、妹の手術痕も、今でも残っています。大阪市立南高等学校(大阪府)山下桜花さん言葉の捉え方「早く起きなさい。」私はこの言葉がきらいだった。ちなみに、この言葉を毎日私にあびせてきていたのは私の母だ。朝ひとりで決まった時間に起きない私が悪いのは自分自身よく分かっている。だが、私の睡眠時間をこわしてくるこの言葉がきらいだった。そして、母にやつあたりをしたこともあった。年ごろになった私は無意味に母に冷たくしてしまうことが多くなった。そんな日々が続いていたある日、私は部屋で姉と二人で話していた。すると、隣の部屋から誰かと電話している母の声が聞こえた。私と姉はその母の声に耳をすました。すると、「家族に迷惑をかけてしまうかもしれない。」そんな声が聞こえた。私たち二人は状況がよく分からなかった。それから約一週間後、私たち家族に母から話があった。「お母さん、がんやねん。」私の頭の中は真っ白になった。よく理解できなかった。だが、母の顔は笑っていた。その笑顔は無理をして強がっている笑顔だった。心配をかけまいという母の気持ちがひしひしと伝わってきた。そんなことを感じながらも、私の心には今までの行動言動への後悔が浮かんでいた。それからすぐに母の闘病生活が始まった。長いようで短かったが、その間にあった出来事はほとんど覚えていない。「早く起きなさい。」私はその言葉がきらいだった。だが、今は違う。聞くたびに生きていることを実感させてくれる言葉となった。明浄学院高等学校(大阪府)中条歩さん目標私には、卒業するまでに達成したい目標がある。それは、クラス全員の、三十三人の顔と名前を覚えることだ。私は生まれつき視力が弱く、人より相当見えにくいところがあるけれど、卒業するまでにせめて、全員の顔と名前は覚えたいのだ。新年度が始まって間もなく、担任の先生にそのことを話してみた。すると、私にも見えるような文字の座席表をプレゼントしてくれたのだ。これを見れば、どの子がどの席にいるのかがわかるので、本当に重宝している。このありがたいプレゼントのおかげで、クラスのほとんどの子の名前を覚えることができた。あとは、顔と名前を一致させることだ。休み時間におしゃべりをするのはもちろん、授業中に活動する班や放課後の掃除に至るまで、毎日の些細な出来事が、私にとっては顔を少しでも覚えることのできるビッグイベントだった。その中で、出席番号が前後の子には、移動教室の席やパソコンのわからないところを教えてもらった。体育でペアの子は、できないことがあったら笑って「いいよぉ。」と言ってくれる。前から同じクラスの子は、「もう慣れてきた?」と心配してくれる。私は、いつも感謝でいっぱいだ。担任の先生やクラスのみんなに応援されて、私は毎日、とても心地いい気持ちで学校生活を送っている。目標達成に向けて、今、少しずつ前進しているところだ。