17歳からのメッセージReport2015

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1917歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞金賞(岡山県)匿名希望知識は力になる「知識は力なり」これは、かつての先人が残した言葉です。では、この言葉に込められた意味とは何でしょうか。私は先日その言葉を自分なりに解釈する、ある出来事に遭いました。ある日の帰り、私が利用している駅で友達と話していると、突然後ろから「大丈夫ですか!?」という声が聞こえました。振り返ると駅の階段を下りたところで女性が倒れていました。周囲の人々が声をかけても、意識はなく、応答もありませんでした。私は突然の事ですぐに状況が理解できず、ただ呆然とするだけでした。どうすればいいのか知識がなかったからです。しかし、私の友達は違いました。すばやく駅に設置されているAEDを取りに行ったのです。その時の私には、AEDを取りに行くという考えもうかばなかったのにです。でも、私の友達は、とっさに判断し、AEDを取りに行きました。私の友達にはAEDという知識、そして、行動力があったのです。そしてその後も私の友達は、窒息する恐れがあるから、とその女性の巻いていたマフラーを外しました。その後、救急車が到着し、病院へと向かいました。この日私は、先人は「知識は自分の力や糧となり、他者を助けられる」という意味を込めて言ったのではないかと、意味を解釈しました。私は、これから、自分の力となる知識を身につけたいです。広島県立竹原高等学校(広島県)山中璃々花さん同じ命私が今、これだけは言いたいと思っていることは、同じ命なのに差別をしないで欲しいということです。最近では、妊娠している時にお腹にいる赤ちゃんの障害の有無が分かる検査がありますが、障害を持っているから産まないなどといった考えは、私にはあまり理解できません。私の弟は、「自閉症」という障害を持っています。十六歳ですが、知能レベルはまだ八歳です。それに、自分の思っていること、言いたいことを上手く人に伝えることができず、コミュニケーションをとるのが苦手です。たしかに、健常者からすれば、あたり前にできることができなかったりしますが、弟は私より遥かに記憶力が良いです。障害者だからといってできないことばかりではないし、できないことは、健常者が助けてあげたり、手伝ってあげれば良いと思います。幼い頃は、弟のことでたくさん悩んだし、泣いたこともありましたが、弟のおかげで学んだこともたくさんあります。だから、自分の子供に障害があるからといって悲しむことは一つもないと思います。お腹にいる赤ちゃんの障害の有無が分かる検査は、産むか産まないかの選択をするものではなくて、もし障害があると分かった時に、その障害を理解してどう向き合って行くかを考えたり、子供を育てていくための環境の準備をしたりする時間を作る、心の準備のための検査になって欲しいと私は思います。広島県立宮島工業高等学校(広島県)吉川陸也さん父の背中父は、トラックの運転手をしている。学校から帰ると寝ていて、朝起きると仕事に行っている。一日中会わないことも多々ある。けど、僕は父が好きだ。無口な性格であまりしゃべらないが、学校から帰ると僕のために夕食を作ってくれている。腹ペコの僕にとってこんなにありがたいことはない。仕事が休みの日では、朝早く起きて弁当を作ってくれる。僕は、父の味が好きだ。先日、父と二人で釣りに行った。誘ったのは、僕だ。話したいことがあったからだ。父は、最初に釣りについていろいろ教えてくれた。その後、二人で約一時間くらい無言で釣りに没頭した。ふと父を見ると父は海面を眺めていた。僕は小さいころからその背中にあこがれていた。僕は、父の背中を見て成長してきた。家族のために汗水流して働いている父の姿は、いつもかっこよかった。釣りの帰りに「卒業したら家を出る。」と僕はうちあけた。すると父は「なんで家を出るんだ。家にいてもいいじゃないか。」と言った。いつも僕の味方をしてくれる父でも、今回は納得してくれなかった。なぜ家を出るのかいろいろと説明すると「さみしくなるな。」と納得しつつも悲しそうな様子だった。自分の選択を認めてもらい僕はうれしかった。僕は父を尊敬している。家族のために一生懸命に働いている父のようになりたいと今でも思っている。父のように自分の息子に尊敬される父に将来なりたい。ノートルダム清心高等学校(広島県)藤岡小雪さん「させていただく」こと「今回?に立候補させていただきました?です。」最近このような表現をよく耳にする。私はこれを聞く度に、「させていただく」という言葉の使い方に疑問を覚える。本来「させていただく」という表現は、誰かの許可を得て物事を行うときに使うものである。そこから派生して、「人に配慮しながら、自分の一方的な行為や意向を伝えるのにも使われる」(明鏡国語辞典・第二版)ようにもなったという。しかし、近頃はこの用法が濫用されているように思えてならない。「させていただく」という表現が多用されるようになったのは、恐らく周囲の人々への感謝の表れであるのだろう。この言葉を使用することで、「私が立候補できたのは応援してくださるあなたたちのおかげです。」ということが聞き手に伝えられる。しかし実際「立候補する」という行為を行うのは、他でもなく立候補者自身である。「させていただく」という言葉を使うことで、選挙にかけるやる気や積極性が伝わりにくくなってしまうという弊害もあるのではないだろうか。私は国の選挙でも生徒会の選挙でも、立候補しているからにはその仕事をやりたいという気持ちが人一倍強い人に当選してもらいたいと思う。それは私だけではなくて誰だって同じはずである。謙虚な気持ちを表すと同時に、自身の持つ熱意を伝えることも決して忘れないようにしたい。