17歳からのメッセージReport2015

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22 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞学校特別賞応募参加高校一覧銀賞奨励賞最近の女子高生は、「父親と一緒に服を洗いたくない。」「話したくない。」などと言っている様子をテレビで目にした。私はそのようなことを思ったことが一度もない。それは、父のいつも一生懸命な姿を知っているからだ。バスの運転手をしている父は、私が幼い頃よくバスに乗せてくれた。運転している姿は、お客さんの命を預かっている真剣なまなざしそのものだった。そのわりに、家にいる時は、今日あった出来事を面白おかしく話したり、休日は私の部活の応援にきてくれる。また、祖父や祖母の病院への送り迎えもかかさずしている。毎日毎日、いつも私たち家族のためにいろいろなことをしてくれて、尊敬する。母に一度、「父はどうしてこんなに、みんなのためにできるのか。」と聞いたことがある。すると、「自分がおじいちゃんやおばあちゃんにお世話になった分、今返しているんだよ。たぶんあんたには、自分が子供の時してほしかったことをやってるんじゃないかな。」と言った。これを聞いて、私は、「本当にいい父親を持ったな」と思う。だから将来私が母親になったら、父のように家族に思いやりを持てる家庭を作りたい。そして、いつか母に「お父さんにそっくりだね。」と言われたい。匿名希望障がいみなさんは、知っていますか。今、障がい者の「がい」の字が、平仮名表記されるようになったことを。「そんなのどっちでもいいやん」そう思う人もたくさんいると思います。でも漢字の意味を考えた時どうして、平仮名表記されるようになったかがわかってくると思います。漢字の意味、それは、さまたげる、傷つけるなどどれを取っても悪い印象のものばかりです。私の家には障がいをもつ家族がいます。祖母は、全盲で目が全く見えません。姉はパリスターキリアン症候群といって自分でご飯を食べることもできない難病です。そんな祖母と歩く時や姉の車イスを押して人の中に行く時、まだ周りの視線は優しいものではありません。そんな時情けないのですが、恥ずかしいと思うことがあります。その気持ちを母に見破られてしまいます。「何も悪いことしてないよ。好きで障がいをもって生まれてきたわけじゃないけん、恥ずかしいことなんかないよ。」母は自分の親も子供も障がいがあるけれど、人の視線など気にせずに堂々としています。私も母を見習い、堂々としていようと思います。ここでもう一度障がいの「がい」の字が平仮名表記になったことを思い出して下さい。ただ表記の仕方が変わっただけなら何の意味もありません。障がい者の人たちに対するみんなの思いが漢字の意味で平仮名表記に変わった時、障がい者の人権が少しずつ守られていくと私は思います。86作品奨励賞今までの自分、これからの自分1テーマ高岡向陵高等学校(富山県)松本奈菜花さん生きている音を奏でたい母が音楽指導者のため、私は音楽を身近に感じ、幼い頃から自然とピアノを弾いていた。五歳のとき、初めて出場した富山大会で一位を受賞したことで、ピアノが大好きになった。しかし、次の北陸大会では結果が出せなかった。私は初めて悔しい思いをした。それからは毎日何時間も練習した。十歳のとき、ショパン国際ピアノコンクールinASIAのアジア大会コンチェルト部門に出場し、銀賞を受賞した。翌年、同大会のソロ部門に出場した。前の年とは違い、テレビ局の取材や沢山の人から「次は金賞ですか。」など、メダルをとることは当然のように思われていた。そのことは、私にとって強いプレッシャーとなった。結果は昨年同様、銀賞だった。しかし、そのとき嬉しいことに韓国人のお友達ができた。その後、ジャパンウィークに参加しポルトガルでピアノ演奏をした。多くのヨーロッパ人から感動したと声をかけられた。このとき、たとえ言語が違っても音楽は世界共通だという素晴らしさを知った。この年の三月、日本では東日本大震災が起きた。日本中が暗闇の中、私に金沢で行われるチャリティーコンサートの出演依頼がきた。私の演奏が被災地の人達のためになるのだと思い、嬉しかった。私はこのことで、音楽は人々の役に立つと確信した。音楽は生きている。心が通じ合う音を出すことができたなら、世界は、もっと仲良くなれると思った。私はこれからも生きている音を奏でていきたい。日本航空高等学校石川(石川県)チャイパンヤーパニッターさん今までの自分、これからの自分今、私は17歳です。私は日本に来る前中学生でした。中学生のときの私の夢は「日本へ行きたい」です。そして、自分で一生懸命日本の学校を探しました。6ヶ月ぐらい日本の学校を探しました。やっと、日本に行けました。今、私は2年間日本にいます。日本に行ったとき、私は非常にうれしかったです。今、私は日本航空高校石川で勉強しています。私は日本に留学しています。今、私は高校3年生です。もうすぐ大学生になります。私は日本の大学に入りたいです。難しいかもしれませんけど頑張ります。大学に入れたら、経営学部で勉強したいと思います。私は会社員になりたいからです。そして、夢は日本で働きたいです。給料が高いからです。私は日本とタイで働きたいです。私は大学を卒業してから、仕事をやります。私は大学院で勉強したいと思います。しかし、仕事をやっている最中に私は外国に遊びに行きたいです。私は日本で8?10年間ぐらい仕事をやると思います。それから、私はタイに帰ります。そしてタイで仕事をやります。私の夢は家と車を持つことです。私は29歳ぐらいで結婚したいと思います。それから子どもがほしいです。その後、私は親と一緒に住みたいです。しかし今、一番大切なことは勉強です。今、私は毎日作文や日本語などを勉強しています。そして、大学のことを頑張っています。これからも頑張ります。