17歳からのメッセージReport2015

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2917歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞学校特別賞応募参加高校一覧奨励賞彼は優しそうな好印象で、自己紹介の際には真っ先に挨拶してくれた。ただ、それは彼の文化である「ハロー」というものではなく胸のあたりで手を合わせてお辞儀というアジア圏のものだった。私はこのとき、彼が、日本人であることを理解し、文化的に尊重してくれていることを感じた。これにより、少し緊張していた自己紹介もリラックスして言うことができた。しかし、その後の会話は発音がなかなか聞き取れず、思うようにできないことに焦りが出てきた。ただ、海外の人と面と向かって話せる貴重な企画を大切にしたいという気持ちから、私はあきらめずに何度も彼と会話をしようと聞き直したり、ジェスチャーもつけた返答や意思表示を積極的に心掛けた。すると彼も周囲の人や物を使って説明してくれたり、なるべく分かりやすい文章に直してくれたりもして、最後にはお互いに理解を深めることができ、異文化の人と分かりあえたという大きな感動を得た。言葉の壁を前に後ずさりする人は少なくない。しかし、この交流の様にお互いに理解しようとすることで異文化に生きる人ともつながっていくことができる。今日のグローバル社会で、これを忘れずに多くの人とつながっていきたい。長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)浦優歌さん五年後に向けて二〇二〇年に東京オリンピックの開催が決まった。日本には、たくさんの外国人が訪れることになる。果たしてその時、私たちはおもてなしの心で外国人を迎えることができるのだろうか。私たちの住んでいる佐世保市には、米軍基地がある。街へ出ると、外国人と出会うことがよくある。しかし、外国人と会話をすることはほとんどない。英語がまだ上手に話せない私は、道を聞かれても、英語で答えることができないだろう。私には、アメリカ人の友達がいる。彼ら家族は全く日本語が話せない。だが、身ぶり手ぶりのジェスチャーや、少しの英単語でコミュニケーションをとり、とても楽しく過ごしている。しかし、英語が話せたら、もっと気持ちが伝わるだろう。私は現在、英会話部で活動している。入部のきっかけは、アメリカ人と英語で会話をしている日本人を見て、かっこいいと思ったからだ。私も英語を話せるようになりたいと思った瞬間だった。私は、この英会話部で、コミュニケーション能力、表現力を高めていきたい。そのために、自分の意見を積極的に述べていくことを目標とする。そして、いつかアメリカへ帰ってしまう彼らに英語で気持ちを伝えたい。二〇二〇年、私は二十歳になっている。エクスキューズミーと尋ねられても、堂々と答えられる私でありたい。宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校(宮崎県)日髙碧海さんグローバルの中の自分グローバル化が進むこの世界。自分はどのように生きるのか。昨年、私は研修でインドネシアに行った。初めての海外に胸を躍らせていた私。そこでは、思いもよらない現状があった。一目で分かる貧困街、お金を求め、手を差し伸べる子供、落ちていた水が入っているペットボトルを拾って自分のバッグに入れる女性。今、経済的に発展しているインドネシアでも、そのような状況を目の当たりにするとは考えていなかった。その後、私はよく考えるようになった。世界はグローバル社会としてつながり、ますます発展していく一方、生活を必死に遺り繰りする人々は置いてきぼりをくうのではないか。そのような地域を救い出すためには、何が自分達に出来るのか。私は、そのような課題を解決することが世界の貧富の差をなくし、平和に過ごす未来を作るための第一歩だと考える。まだ、自分に何が出来るのかという疑問は解決していない。これからの高校生活、社会人生活を通して、一つではないその答えを見つけていきたい。そして、貧困地域の支援をする、という視点で自分はグローバル社会を生きていく。上海日本人学校高等部(中国)菜中奇さん両国人私の両親はどちらとも中国人だ。しかし、私は日本国籍で大阪市出身だ。時々、名前の都合で初対面の人に「何人なの?」と聞かれることがある。正直、私はその質問に対していつも困ってしまう。なぜなら日本と中国の要素をどちらも持ち合わせているからだ。そして、このことをコンプレックスに思っていた。私は大阪で生まれたが、南京で祖父母と共に小学二年生を終えるまでを過ごした。それから大阪にある市立の小学校に通った。もちろん周りには日本人のみがいて、日本語を話せない私にとっては毎日が恐怖だった。そのころから私はしだいに中国のことしか知らない自分が嫌になり、心のどこかで純粋な日本人になりたいという願望が生まれていた。しかし、七年が経ち、いつのまにか日本語が母国語となり、日本と中国に対しての考え方がずいぶんと変わった。かつては両国の悪いところばかり見ていたが、今ではそれぞれにたくさんの良い点が見えてくるようになった。そして一番大事なことに気づいた。それは異国人どうしがお互いの文化や習慣を知り、尊敬しあえる関係を築くことだ。日本と中国、両国の文化を知る私だから自信をもっていえることだ。今では、私は「何人なの?」と聞かれても日本人であり、中国人でもあると答える。上海日本人学校高等部(中国)藤井澪奈さん偏った情報「中国って大丈夫なの?」私が日本に戻るといつも友達に聞かれる。心配される時もあるし、少し蔑さげすんだ感じの時もある。おそらく大半の日本人は中国に対してあまり良い印象を持っていないのだろう。それはなぜか、私なりに考えてみた。日本はテレビや新聞で中国の悪いところばかりを伝えているように感じる。私がよく見る番組でも、中国の話になると「また変なことをしているよ。」と小馬鹿にしているところを