17歳からのメッセージReport2015

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36 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞学校特別賞応募参加高校一覧奨励賞(大阪府)匿名希望選挙権の重み近年、投票率の低下が声高に叫ばれている。国から保障されている権利を自ら捨てる行為が横行している事は、確かに憂慮すべき事態だ。そこで、選挙権という権利の重さについて、改めて考えてみる事にする。国そのものを変えられる唯一の権利、それが選挙権であると私は考える。誇張だと思う人もいるだろうが、それは大きな間違いだ。考えてみてほしい。ただ一つの権利を巡って、民衆と国家の間で数百年も争われた事例が、この他にあっただろうか。選挙権の重さを理解していたからこそ、民衆は国家に対して権利を求め続け、また同じくその重みを理解していたからこそ、国家は民衆に対し妨害、弾圧を繰り返してきたのである。そんな先人達の想いと血と汗の結晶でもある選挙権を、その重みを理解せず、あって当然というように権利を享受する私達は、先人達の眼にどのように映っているだろうか。これは、若者や老人という一世代に責任をなすりつけるのではなく、国民全員で取り組むべき問題なのである。それでも、私には関係ない、政治に興味なんて無いと言う人に対して、私はこれだけ言いたい。「その選挙権、要らないなら、私に下さい。」兵庫県立神戸商業高等学校(兵庫県)中田菜々さん今、私が言いたいこと0歳を除く子供の死因として「不慮の事故」が上位として挙げられている。データによると、浴槽転落による溺死・溺水、転倒・転落、誤飲などがある。このデータを見て私がまず思ったことは、すべて防ぐことが出来るということだ。では何故防ぐことが出来る事故を防げていないのか。私はその理由として、「親が親になりきれていない」ことが原因だと思った。ある日、学校帰りのバス停で、私が列に並んでいると前の方にいた母親と3歳くらいの女の子が目に留まった。本当なら何の変哲も無い光景であるが、その時は違った。その女の子は大泣きしているのだ。本当なら親が泣いている理由を聞いたり、慰めたりするのが当たり前のはずなのに、その母親は平気な顔で泣いている子供に見向きもせずスマホをいじっているのである。私はそれを見た時、何故自分の子供が泣いているのに無視が出来るのか、また本来親は子供を守るのが役目のはずなのに、何故それを平気で放棄するのか、私はそんな母親に腹が立った。と同時に私の中で、悲しいという感情が込み上がってきた。こうした親になりきれていない親のせいで、何故罪の無い子供が命を落とさなければならないのかと。しかし一人一人の親が、ほんの少し子供の声に耳を傾けるだけで、ほんの少しスマホをいじっている手を子供の頭を撫でる手に変えるだけで、罪の無い子供の命が不慮の事故などというものに奪われることはないだろう。兵庫県立西宮南高等学校(兵庫県)今村優花さん当たり前とありがとうみなさんは考えたことがありますか?ありがとうと当たり前の違いについてを。世の中には「ありがとう」と「当たり前」を勘違いしている人が少なくないと思います。そして自分でも勘違いしていることに気付いていない人も数多くいると思います。だから一度考えてみて下さい。必ず自分のためになると思います。中学校の国語の先生に集会の時、「ありがとうの対義語何やと思う?」と問われたことがあります。当時の私は、この先生何を言っているのだろうという感覚で話を聞いていました。すると先生は、「君ら何もわかってない。ありがとうの対義語は当たり前や。」と言いました。この時私は自分が間違っていることに気付きました。ずっと当たり前だと思っていました。先生に勉強を教えてもらうこと、親は子供を育てないといけないこと、先輩が自分たちに基礎から教えてくれること、このようなことは全部当たり前なんかじゃありません。全部が全部私にとってありがとうだらけなことに気付きました。先生の言葉がなかったら、今も勘違いしていたかもしれません。だから先生にありがとうと言いたいです。私の間違いを正してくれてありがとうございました。兵庫県立三木高等学校(兵庫県)迫田健太さん感謝僕には、長年連れ添った友がいる。多分、彼がいなければ、今の僕ではいられなかっただろう。そして、彼はライバルであり、憧れの存在でもあった。だから、僕は彼にとても感謝している。彼は、元から足が速かった。案の定、彼は陸上クラブに入った。対照的に僕は、スポーツは好きだったが足は遅かった。だから、鬼ごっこなどを始められると、いつもその場から離れていった。何もしてなかった訳ではなかった。幼稚園に入る前からサッカーをやり、練習の無い日は公園で野球をしていた。こんなに運動をしているのに、一向に足が速くならない自分に嫌気が差していった。小学5年の夏、彼は強引に僕を陸上クラブに入れた。流されるがままに陸上を始めたのだが、やはり練習についていけない。それでも僕は練習を続けた。自分を変えたかったという思いもあったが、一番は彼に憧れがあったからだ。それと同時に彼をライバルにした。それから必死に練習し、リレーメンバーにまでなった。中学では、彼のおかげで、リレーで2度入賞することが出来た。高校に入学してからも陸上を続け、種目は違うが彼を目標にがんばった。でも、勝てなかった。けれども、不思議と悔しくなかった。むしろ、嬉しかった。どんな時でも前を走る彼を見るのが楽しかった。そんな彼に僕は感謝している。今更そんなこと恥ずかしくて言えないが、その気持ちは一生忘れないでいるだろう。