17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ1217歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧知ったツールはSNSでした。そこで私が見たものは、震度などの地震の大きさの情報だけでなく、食料や物資が不足しているというものや、避難場所などの情報でした。また、東日本大震災の経験者からのアドバイスや気をつけた方がいいこと、応援するものなどたくさんありました。それは、SNSによる支援活動でした。SNS上にある有力な情報を熊本の人に知ってもらう為、たくさんの人が拡散していました。これは、小さいことだけど自分にでも役に立てることだと思いました。役に立ちたいという思いがあるから拡散すると思います。たくさんの人の思いが力になったのだと私は思いました。しかし、その情報が全て正しいものではないのがインターネットでのリアルです。悪質なデマが出回ったりと問題もたくさんあります。そのような問題があることを知って判断することが大事だと私は思いました。間違った情報を拡散することは混乱を招くもので迷惑にしかならないと思います。SNSは私達にとって日常的なもので、その影響力はすごいものだと思います。だからこそ上手に使っていき、必要な時には力になれたらいいなと思いました。百聞は一見にしかず上海日本人学校高等部(中国)齋藤若菜さん百回聞くよりも、一度見た方が理解できる。それを実感した出来事から一年が経った。一年前、私は初めて上海を訪れた。日本から出たことがなかった私にとって未知の世界で、自分から進んで行きたいとは思わなかった。日本のニュースでは、中国に対する批判的な報道が多く、そのせいか私は中国へ悪い印象ばかり持つようになっていた。しかし、それは日本にいたときのことで、上海に住みはじめてからは印象がガラリと変わった。地下鉄に乗れば席を譲り合う光景があったり、街へ出ると道を教え合う人々の姿がある。日本のニュースで言っていたことが嘘のように思えるくらい温かみを感じる光景だ。今でも日本では中国に対して良い印象を持たない人が多いが、日本のメディアを通すと両国の間に立って上海日本人学校高等部(中国)宮崎優宗さん歩道橋の欄干に身をもたれ、そこから周囲の街並みを見渡す。街のきらびやかな灯はあまりに目に眩しい。いつも、帰宅する際に見ている光景なのにもかかわらず、美しさのあまり立ちどまってしまう。思えば、上海に住んで五年が経つ。今まで、自分は、どんな生き方をすれば良いのか悩んでいた。母は韓国人で父は日本人。日本人として生まれ育ったが、ときには、母の実家で何気無く韓国語を使う。そんな環境の元にありながら、今は上海で生活している。はっきり言うと、転々と住所を変えてきた自分に故郷は無い。今後どうなるかは分からないが、今は郷国というところが、定まっていない。ところが、最近、自身の生き方に気付いた。自分は純粋な日本人ではない。日本人と韓国人のハーフだ。しかし、僕は日本を誰よりも愛している。勿論、韓国も好きだ。それに、韓国人の血だって混じっている。だからこそ、二つの国の中心に立ち、互いを結んでいけるのだ。今の日本に国際交流は不可欠だ。今までお世話になった皆に恩返しがしたい。そのために、日本と他国の関係を良くして、皆を幸せにしたい。生き方は人によって様々だ。大事なのは置かれている境遇ではなく、どんな方向に歩んでいくかなのだ。だから、今、学んでいる英語、中国語、そして、使っていくべき韓国語と日本語を上達させて、立派な国際人として、生きていこう。テーマ2ソーシャルメディアのリアル災害とSNS京都府立京都すばる高等学校(京都府)大川美和さん私はSNSの力はすごいなと思ったことがあります。それは、たくさんの人の小さな力が大きな力になり、人の手助けができることです。四月十六日に熊本で地震が起きました。私が地震についてしかし、現在集落民の高齢化が進み、数年前と比べ活気がなくなってきているように思える。若者の数が減り、少ない人数での八月踊りはどこかさびしげである。だが、そんな中奄美大島を舞台としたメディアの関係で近年人々が戻りつつある。島を全国へ発信することで少しでも多くの人に興味を持ってもらえる。島の良さを分かってもらえている。そんな気がした。今では内地からの人が多く島だけではないと強く感じる。島で暮らしている今、自分には何が出来るのだろうと考える。高校を卒業し島を離れる人が多いが、それが島を全国へ発信するチャンスでもあると私は思った。今のままがいい。昔も今も未来も変わらない。そんな場所であってほしい。だから、この島を自分の故郷だと誇りを持って全国へ発信できるような島人でありたい。都会っ子になりたい沖縄県立開邦高等学校(沖縄県)島袋真帆さん都会っ子になりたい。早くここから出たい。中学一年生の時からそう思っていた。「山やんばる原」と呼ばれている私の故郷。文字通り山しかないような所だ。買い物をしに行くにも車を三十分以上走らせなければならない。私はそんな不便な生活が嫌だった。「田舎者」という肩書きがとにかく嫌だった。高校進学を機に、私は念願の都会デビューを果たした。自分で行きたい所に短時間で辿り着くことができ、私には夢のような場所である。しかし、ふとした時、夜空を見上げるとどこにも星が見当たらない。深夜にバイクやパトカーの騒音が鳴り響き、よく眠れない。深呼吸をしても、スゥーと体の中が洗われるような、きれいな空気じゃない。今、私は都会っ子である。そしておそらくこれからも都会っ子だ。今の私の願いは「田舎者」になることである。夜空を見上げれば溢れるほど輝いている星たち。見渡せば心が落ち着いていく深い緑色の景色。道を歩けば「あい、まーほー、元気ねー?」と声をかけてくれる地元のおじいちゃん、おばあちゃん。都会に来たからこそ、自分の故郷の、田舎の良さが分かった。今、私の後輩に早く都会に行きたいという子がいる。その子に言いたい。「今のうちに田舎を楽しんでおきなさい。」と。