17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ1517歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧ないだろう。しかし、そのような人たちでも、音楽はドレミという音階だけで出来ていると考える人がほとんどだ。でも私は、音楽というものがドレミだけで出来ていると考えるのはあまりにも勿体ない気がしてならないのだ。私は、世界は本当に音楽であふれていると思う。周りの音にもっと耳を傾けて欲しい。道路を走る車の音、頭上から聞こえる小鳥のさえずり、子どもが元気に外を走り回る音。ほら、少し耳を傾けるだけでいろいろな音が聴こえてくる。それらの音はピアノやギターなどの楽器から生まれた音楽ではない。豊かな自然や生物から、自然にあふれでる音楽なのだ。そう考えると音楽とはなんてすばらしいものなのだろう。私たち生物や自然がうごくことで音楽が生まれる。音楽は生きている証なのだ。私たちは音楽という広い生の証の中で生きているのだ。みなさんも暇な時、少し時間が余っている時だけでも良い、少し周りの音に耳を傾けて欲しい。そうすれば、ドレミだけではおさまりきらない、「音楽」という大きな世界があなたの周りに広がっていくことだろう。手のひらの上の映画館京都市立紫野高等学校(京都府)井山さらさん「想像力」の有無によって、読書という行為の面白さは10倍にも100倍にも変わってくると私は考えている。読書が苦手、もしくは嫌いだと主張する人は、よくこうのたまう。「だってあんなん、字ぃ読むだけでつまらへんやん。」果たして本当に字を読むだけなのだろうか。自慢ではないが、私は幼い頃から創造力が豊かだった。まぁそれゆえに考え込みすぎてしまい、しんどくなった事もあったのだが、それはそれこれはこれである。何せ私は想像力のおかげで、「彼ら」が手持ち無沙汰に果はか敢なく無益に時間を浪費している間、ひとりノリノリで読書を楽しむ事ができるのだ。ちょっと嬉しいよね。想像力を働かせると、読書はどのように変わるのか。人によって様々な違いがあると思うが、私の場合本の表紙をめくると同時に幕が上がり、脳内で映画の上映が始まる。監督・脚本・演出……作者、キャスティング…私、である。文庫サイズの小説だと平均2時間半程で読み終わるので、丁度実際の映画と変わらない上映時間だ。本と対峙している間、眼球裏のスクリーンには大脳にある映写室からの光が煌々と降り注がれている。観客は、私ひとり。実際の映画と違うのは、自分のタイミングで上映を中断でき、フィルムの巻き戻しも自由自在なところだ。お値段の方もお手頃である。さて、「ただの文字列」からどのように世界を展開できるのか。それは自分自身の「想像力」にかかっている。私と母と傘と大阪市立南高等学校(大阪府)片岡睦美さん今日は最悪な一日だ。私の気分を表すかのように、空からは雨が降っていた。肌に纏わりつく湿気で前髪がいつも以上にうねっている。傘を家においてきた自分も、鼻につく雨のにおいも、全てが私を苛立たせた。きっと街行く人々は、雨やどりをしている私を見て「傘を忘れたのか、馬鹿だな。」と思っているにちがいないと卑屈な考えになる。なぜ私が傘をおいてきたのか、それは今朝、母と喧嘩をしたからだ。原因は、私が勝手に母の洗濯物をたんすに直したことだった。私はよかれと思ってしたことなのだが、少し直す場所がちがったようで、それをやんわりと指摘されたことが気に食わなかった。そのあとに母が「雨が降るから傘をもって行きなさい。」と言ってくれたにもかかわらず、つまらない反抗心で母の好意を無下にしたあげくがこの始末だ。あの時に少しでも冷静になって考えていれば、と今更後悔してしまう。帰ったら、きっと母に謝ろう。そう心に決めた時私の携帯に着信が入った。母が傘を持っていない私を心配し、迎えにきてくれるとのことだった。母は、私が母に苛立ちを感じている間にも、私のことを気にかけてくれていたのだと心から思った。私が意を決して謝罪を口にする。その言葉を聞いた母はさも気にしていないように、でも少し嬉しそうに笑っていた。雨はまだやんでいないが、私はどこか晴れ晴れとした気分だった。だんじりは簡単に終わらせない大阪市立都島工業高等学校(大阪府)井上涼平さん夏になるとだんじりの鳴り物が町中にこだまする。祭りの当日は十月頃だが、練習が始まるのはこのぐらいの期間からだ。だんじりは江戸時代から始まったとされ、三百年以上の歴史がある。また、地域の人々と力を合わせて行われる祭りなので、人と人とがつながっている。今日では日本でも名の知られた有名な祭りとなり、多くの観光客が訪れるようになった。しかし、少子化によってだんじりに参加する人がとても減っている。また、近くの町では人手が足らず、祭りに参加できなくなっている状況にある。自分の町でも人事ではなく危機感があるので、これからどうなってしまうのだろうかと、とても不安である。だから、だんじりにちょっとでも興味を持ってもらうために、ビデオを見せたり、だんじりはこういうものなんだと話したりしていきたい。また、地元の中学生に声をかけて、積極的にコミュニケーションをとり、そして青年団に入ってもらう。そうやって人数を増やし、だんじりを未来へ存続させたいと思う。自分は幼い頃からだんじりが大好きで、この祭りに誇りを持っている。だんじりがなくならないように、できる限りの事は努力していく。幸せな音関西学院千里国際高等学校(大阪府)織田郁公子さん私にはたまらなく好きな音がある。料理音だ。包丁で野菜をザクザクと切る音、天ぷらを揚げるときのジュワッとした音、お肉をあつあつのフライパンでジュージューと焼く音。すべての「音」が私の耳を包みこみ、私はとても幸せな気持ちになる。けれど、この気持ちは自分で料理をしても得ることができない。野菜を切る音も、天ぷらを揚げる音も、自分でするとどうってことない音になってしまう。私にはたまらなく好きな音の中でも、たまらなく好きな瞬間がある。それは朝起きたときに台所から聞こえてくる、母が料理を作っている音だ。手際よく包丁を動かし、菜箸を