17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ2317歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧活動的で優しくて元気なおじいちゃんだけど、八十歳。高齢だけど、まだまだ長生きして、いつまでも自慢のスーパーおじいちゃんでいてほしい。そして、私も将来、負けないくらいのスーパーおばあちゃんになる。癖が導いた世界岡山県立岡山東商業高等学校(岡山県)藤川秋良さん「面白いな」「面白くないな」僕は最近、このように考えてしまう癖がついた。これらの意味を自分流に表すと、他人にはなく、少し尖って見えてしまう部分に魅力を感じ、「面白い」というのと、人間的に丸くなりすぎていて、あまり魅力を感じなくて「面白くない」と言ってしまうことである。この分析する癖は他人から感じ悪く思われてしまうこともあるが、自分の新しい進路を照らす第一歩になった。これが癖となりつつある時、僕は話をしている相手と今の自分を対比するようになった。「この人のこの対応はすごい」「この部分はあまり良くない」と色々考え、良いと思えば実践、悪いと思えば気を付けるようにしたが、あれこれ考えている内に、一つのことを感じた。それは話し方や性格を観察することが、自然と一つの趣味になっていたことだ。そして、人の心理について学びたいという新しい道が生まれたのだ。このような少し変わった人間観察をしていくにつれ、自分の行動や考えが大きく変わってきた。内気な性格が、様々なタイプの人と話すようになり、少し前に出て今までにない世界を見てみたい、と思い始めた。もちろんこの癖が空回りすることもある。でも、この癖を直そうと思ったことはない。なぜなら、もっと僕が見たことのない世界を見せてくれると思っていて、それがこれからの自分の一生を支えてくれるに違いないからだ。五年前の自分へ(岡山県)匿名希望はじめに、あなたに謝りたいことがあります。十七歳になった私は、あなたが大好きなお菓子を食べることができません。そのお菓子を食べたら喉が数時間激しく痛むし、一日中声が出なくなるのです。信じられないことだと思いますが、あなたが当たり前のようにできていることのほとんどが、今の私にはできなくなってしまいました。高校一年生の時に、化学物質過敏症という病気になってしまったからです。あなたはその病名を聞いたこともないと思うけれど、身の回りのあらゆる化学物質が、すべて毒になってしまう状態だと考えてください。印刷物も化学調味料もシャンプーも洗剤も、全部が毒になります。漫画を読むこと、教科書やノートを使って勉強すること、好きなものを食べて、好きな服を着て、好きなところに出かけること。どれもできません。あなたが今思い描いているような高校生活を送れなくてごめんなさい。でも私は、たくさんの人に助けられながら、ちゃんと生きています。前を向くには力が必要だけど、周りの人がその力を貸してくれることに気付きました。そして、今の私にも夢があります。将来、病気の子どもの学びを何かしらの形でサポートすることです。勉強を教えるだけではなくて、生きる力とは何なのか、子どもたちと一緒に考えられる人になれるように頑張ります。だから、私のこと、未来の自分のことを、信じていてください。感謝広島県立広島工業高等学校(広島県)正隨真唯さん学年女子は十七人、そのうちクラスに五人。やっていけるか自信がなかった。だけど自分で決めた工業高校の道、そう言い聞かせ、毎日乗り越えていた。入学し、しばらく経った頃、やっと学校生活に慣れてきたかなと思っていた。その頃から、女子が少ないことをいいことに好き勝手にものを言ってくる男子が増えてきた。誰かも知らないような人に名前を無意味に叫ばれたり、からかわれたりなんてしょっちゅうあった。朝は毎日学校に行くのが嫌で嫌でしょうがなかった。「こんな学校辞めてやる。」何度もそう思っていた。しかし、こう思っていたのは私だけではなかった。それを知り、その子と話していくうちに、その子の心の強さに惹かれていった。「一人じゃ何もできんようなやつらに泣く必要はない。」「負けたくない。」「見返したい。」この言葉を聞いているうちに、少しずつだけど考え方を変えることができた。好き勝手されて相手の思うままになりたくない。そう思えた私は、からかわれても「はいはい。」と聞き流し、むしろこっちから話しかけてやろうと思い、いろいろな人と話した。自分から変われば相手も変わってくれる。その時初めて知った。日々話すことを続けていると、相手も心を開き変わってくれる。からかっていたあの時の子も今では何でも話せるいい仲だ。今こうして楽しくいられるのは、同じ思いをしていた友達のおかげだ。感謝している。想い手山口県立田布施農工高等学校(山口県)濱岡芽生さん私が小学生になるとき、私の父と母は離婚し、母と兄と私は祖母の家へ移り住むことになりました。祖母は笑顔の絶えない人でした。小学5年生になった頃、祖母は認知症になりました。その後、幻覚を見始めたため、仕方なく施設に入れることになりました。私と母は週1回祖母に会いに行きました。祖母は会いに行く度に私の手を両手で包むように握り「頑張れよ。」と声をかけてくれました。中学3年生になり、私は学校や家のことで悩み、精神的に疲れていました。その頃の私を支えてくれたのが、祖母の両手とあの言葉でした。最初はまた言ってると思っていたあの言葉は、涙が出るほど心に沁み、生きる支えとなっていました。ある日の授業中、突然呼び出され、祖母が亡くなったと聞かされました。3日前に会ったばかりなのに。美味しそうに唐揚げを食べていたのに。涙が止まりませんでした。施設に