17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ3017歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧もっともっと。静岡県立静岡商業高等学校(静岡県)園田愛菜さん「何か食べたいなぁ。」これは家にいる時の私の口ぐせだ。一年程前から食に対する思いが強まり、食欲が止まらない。食べても食べても、もっと食べたい。ごはん後に冷蔵庫の前を行き来する毎日が続いた。そのおかげで体重は一年間で八キロ増加。陸上部の長距離として毎日走っているから一日四食+おやつでも八キロでキープできているんだろう。百五十センチもない身長の私の体のどこに、鍋四人前が入るのだろう、不思議だ。もし部活が終わったら…と想像しただけで怖い。体重が増えたことで、走りに影響がでた。一年前のような軽い足どりはもはやない。また、家に帰ったら時間のあるままに食べ続けることが習慣になり、勉強や睡眠の時間もなくなっていく。夜遅くまで食べているからすぐに寝ようとも思えず、授業で寝てしまうこともあった。顔がパンパンになって友達と並んで鏡を見ることさえ嫌になる。ではなぜ食べるんだ?それはやっぱり幸せな気持ちになるから。口に入れた瞬間、ぱ~っと広がるおいしさ。夜中にケーキを食べた時の焦りと達成感。日に日に「食べたい欲求」がどんどん強まり、半年に一回は胃を壊し病院で「食べ過ぎ」と診断される。困った。もう明日からは腹八分目にしよっと。でもそれは口だけ。次の日にはまたいつもの食べ過ぎ生活。きっと私は食べることが大好きなんだ。だったらもっと食べよう。…今日のごはんは何だろうなぁ?オムライス愛知県立半田農業高等学校(愛知県)清水柚乃さん「あぁ、疲れた。」私はこの言葉をよく口にする。本当に疲れている時にも言う。だが、そんなに疲れていない時にも一息ついた時に言う。これは一年前のことだ。私は部活をやっていた。ソフトボール部だった。夏場は夜遅くまで練習をして、家に帰ってくるのは二十時や二十一時ごろだった。「あぁ、疲れた。」そう言って帰ってきた私に母は、「今日の学校はどうだった?」「何をしたの?」とたくさん質問をしてきた。だがそんな母に私は「今疲れてるの!」ときつい口調で言ってしまった。母は「そっか。」と少し悲しそうに言い、テレビを見ていた。そして次の日も私は部活をして家に帰った。母は「今日はオムライスだよ。」と言って作った料理をレンジで温めた。そして目の前に出てきたオムライスを見て私は驚きで目を見張った。ケチャップで〝オツカレサマ〟と書かれていたのだ。私は前日したことの申し訳なさもあり、母に隠れて泣いた。母の気づかいや優しさはとても温かかった。私はこの時言えなかった「ありがとう。」を今さらだが、今だから母に伝えたい。そして学校の話、友人の話もたくさんしよう。お母さんありがとう。「当たり前」という名のありがたさ桜花学園高等学校(愛知県)井上万実さん今、当たり前のように過ぎているこの一瞬にありがたみを感じたことはあるだろうか。当たり前のように毎朝起きて、当たり前のようにご飯を食べ、当たり前のように毎晩寝て一日が終わっていく。そんな平凡な毎日に、何かを感じることはなかなかないだろう。こうしてこの作文を書いている間にも、どこかの国では争いが起きている。少年たちは銃を持たされ戦い続けている。そんな環境の中にいる人々は、毎日平穏な気持ちで過ごすことはできないだろう。しかし、私たちの身の回りでは戦争や内戦が起きているわけでもなく、無事に一日が終わる。それが当たり前のようになっているのだ。もし、そんな当たり前の日常が崩れたらどうなるのか。きっと恐怖心を抱いたりするのだろうが、想像することは難しい。だからこそ、この当たり前にありがたみを感じてほしい。深く考えずに、身近なことでもいい。例えば、自分の為に母親が毎日お弁当を作ってくれること。家に帰れば灯りがついていて「おかえり。」と言ってくれること。これらもきっと、当たり前のことになりがちであるはずだ。もう一度自分自身を振り返ってみて、当たり前になっていることに気がつき、それに感謝する。私は何事にも「そんなことは当たり前である。」と一言で片づけてしまうのではなく、その当たり前に感謝しながら生きていきたい。本当の意味桜花学園高等学校(愛知県)鬼頭夢果さん「人の目を見て伝えなければ、本当の意味は伝わらないのよ。」ずっと母から言われ続けている言葉だ。正直つい最近まで母の言葉が理解できなかった。目なんてわざわざ見なくても言葉の意味は簡単に伝えることができるのに。私はそう思って母の言葉を流してきた。高校生になった私は両親からスマホをあたえられた。友人達とSNSアプリでチャットをする毎日が楽しくてたまらなかった。この頃の私は母の言葉なんて忘れていた。ある時、友人と些細なことでもめたことがあった。私は友人にスマホのチャットで謝った。何時間も考えに考えた文章を打ち込んで謝った。しかし友人に私の気持ちは伝わらなかった。あれだけ気持ちを込めたのに…。ようやく母が言っていたことが理解できた気がした。私は愚かであった。冷たい文字で本当の気持ちが伝わるはずがないのに。私は反省し、後日友人を呼び出して再度謝った。友人は私に「あなたの口から直接聞きたかったのよ。」と言った。このグローバル社会でスマホはコミュニケーションツールの一つとしてなくてはならないものになっている。しかしその便利さ故か、本当の意味が伝わらないことが多々ある。スマホ世代と呼ばれる私達だけでなく、大人にももう一度考えてみてもらいたいと思う。どうすれば「本当の意味」を伝えることができるのかということを。