17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ3217歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧今の僕の思い滋賀県立長浜養護学校(滋賀県)松井康生さん皆さんは、『障害』という言葉をどう受け止めますか?恐らく、マイナスのイメージを思い浮かべる人が多いと思う。実際に、僕にも障害があり同じイメージを持っている。中学の修学旅行で東京ディズニーランドへ行った。天候が雨だったこともあり、車いすの僕が楽しめるアトラクションも少なく暗い気持ちになった。体も疲れを感じて救護室へ行くと、そこには障害のある人がたくさんいて、結局体を伸ばすこともできずに救護室を出た。それは、障害者に対する配慮が足りないのだと思った。その時、平等ではないと感じた。今まで、『元気に過ごす』というのが僕の願いだったが、このことがきっかけで『人の役に立つ仕事をして社会を変えたい』という思いが芽生えた。社会にはたくさん障害のある人がいる。しかし、学校や病院以外であまり見かけない。きっと、すべての人が共存して暮らせる社会になっていないのだと思う。障害者の中には自分の思いを上手く伝えられない人もたくさんいる。だが、僕は、話したり書いたりすることが得意なので、健常者と障害者の架け橋となり、すべての人が平等で暮らしやすい社会に一歩でも近づくようにしたい。もっと社会に対する視野を広げ、いろいろな考え方を持つことが大切なのではないか。すぐに、変えることは難しいかもしれないけれど、常に、心に留めておくことでいつか、障害に対するマイナスのイメージがなくなるよう頑張っていきたいと思う。母への感謝滋賀県立能登川高等学校(滋賀県)夏原愉景さん私は高校一年生の夏に母を病気で亡くしました。母が「がん」だとわかったのは中学三年生の時でした。私はその時までは、母がずっと私の側にいてくれるのが当たり前だと思っていました。だから、母が命にかかわる病気だと知った時はとても悲しかったです。夏休みと冬休みは、毎日病院に泊まりながら受験勉強や宿題をしていました。母はいつも側で「頑張れ。」と応援してくれました。私は、受験に合格できたのは友達や先生の応援もありますが、母のおかげだと思っています。私は精一杯、母の看護をしました。でも、正直言うと時々嫌になる時もありました。自分が疲れている時などは、ため息をつきながら嫌々看護をした時もありました。いま思うととても後悔しています。母が亡くなった時はとても泣きました。母を思いだすと泣ける時もあります。母の存在は私にとってとても大きかったです。母は周りから尊敬される立派な看護師でした。私も母のようになりたいと思っています。母が生きている時、私は母の日にプレゼントをあげたことがほとんどありませんでした。母の存在が当たり前すぎて、母に「感謝」を伝えることができませんでした。だから、これからは毎年「母の日」には「いつもありがとう。これからも見守ってて。」と伝えたいです。そしていつか「立派な看護師になったよ。」と天国の母に伝えたいです。これからもずっと京都産業大学附属高等学校(京都府)中西創さん僕は小さい頃からよく「変わってるね。」と言われてきた。あれが欲しいという欲も少なかったし、今もそうだ。今、僕はサッカー部だが得意なのはプレーをする方ではなく審判をすることだ。周りの人にそのことを話すと「プレーをするからおもしろいのに審判なんて何が楽しいの。」と必ずと言って良いほど言われる。当時中学生だった僕はその質問に対し何も答えることができなかった。正直今でも明確に答えることはできない。だが一つ言えるのは「それが自分に合っていておもしろいと思う」ということだ。思い返せば昔から主役ではなく主役をサポートする役の方が自分は好きだった。今もプレーをする人達を審判という立場からサポートしている。将来は整体師として人々をサポートしていきたい。僕のこの「主役を支えたい」という気持ちはこれからもずっと変わることはないだろう。ほかの人は主役になりたいという人が多いと思うが僕はそんな人達を支える人になりたい。それが支える者の成長、発展につながると思うから。それが自分のやりたいことだから。にんにくに詰まった愛情京都産業大学附属高等学校(京都府)山下華馨さんおじいちゃんが作るご飯はいつもにんにくが大量に入っている。本当に、びっくりするぐらい入っている。チャーハンはもちろん、ハンバーグや野菜炒めやすき焼きにも。私はそれが嫌だった。ある日の晩ご飯、部活で疲れて帰ってくる私のために、カレーを作って待っていてくれた。私はカレーが大好きだから「いただきます!」と大きな声でカレーにがっついた。おじいちゃんはニコニコして私を見ていた。でも、じゃがいもだと思って食べたらにんにくだった。にんにくが丸ごとごろごろ転がっているのだ。私は怒った。「なんでいつもこんなに入れるん。まずくて食べられへん!」と。そして私はカレーを一切食べずにお茶漬けを食べた。おじいちゃんは一人、テーブルの隅でカレーを食べていた。私の残したカレーを寂しく見つめながら。翌朝、昨日の出来事をおばあちゃんに話した。するとおばあちゃんは優しい顔で私に問いかけた。「なぜにんにくを入れているか知っている?」と。私はわからなかった。ただただにんにくが嫌だった。そんな私におばあちゃんは言った。「おじいちゃんはね、体の弱いあなたが健康でいられるようにって毎日たくさん入れているんだよ。」と。それを聞いた瞬間、おじいちゃんの愛情が体中に染み渡った。今でも嫌いな食べ物はにんにくだ。でも、好きな食べ物はおじいちゃんのにんにくだ。