17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ4117歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧秘密のおばさんになってやる!鹿児島県立指宿高等学校(鹿児島県)福元音寧さん私には秘密のおじさんがいる。家族も友達も知らない、私だけが知っている秘密のおじさんが。そのおじさんに初めて会ったのは、高校に入って何ヵ月かたったある日。学校の帰り道にあるバス停で。「こんにちは。」挨拶する私に笑顔で返してくれたのが秘密のおじさん。そのおじさんには、今でも二・三ヵ月に一回くらいバス停で会っている。おじさんは挨拶を毎回、笑顔で返してくれて、挨拶の後には流行りのギャグなんかをして、私に笑顔と元気をくれる。そんなおじさんはいつも「こんなおじさんなんかにありがとう。」いつも最後に言ってくる。初めて言われた日の帰り道は、うれしいような、寂しいような気持ちになった。それが今では、「こんな私に笑顔と元気をくれてありがとうございます。」と、心の中で強く思う。まだ、言葉で伝える事はできていないけれど、今度また会えたら伝えてみたいと思う。おじさんやみんなに分からないくらい、言葉にできないくらい、私はこのおじさんから様々なパワーをもらっている。ちょっとしたコミュニケーションで。イヤな事も忘れちゃうくらいのパワーを。私も将来、おじさんみたいに誰かにパワーをあげられるおばさんになれるといいな。いや、なってみせるよ!おじさん!JKと女子力沖縄県立浦添商業高等学校(沖縄県)平良結愛さん「JK」私はこの言葉が好きだ。響きが好きだ。私は今、ずっと憧れていたJKになった。私の目標はこの高校生活三年間で女子力を低下させないことだ。なぜなら、私の中でのJKはキラキラした可愛い生き物ならないのだ。けんかができるのも、時には悩めることも、生きているからである。それを知ることができれば「死ね。」などの暴言は絶対言えないと気づくはずだ。二度、死と身近な体験をし、今生きているから言えること。当たり前は本当に幸せだ。亡くなった人の分まで懸命に、前を向いて生きていきたい。日本中の高校生がそう思える日が来ることを願う。止まった時間宮崎県立日向高等学校(宮崎県)山元未来さん私は最近、兄のように慕っていた、いとこのみーくんを亡くした。私だけではない。家族や親戚も彼が大好きだった。近くの公園に行ってフルートを吹いた後に家の手伝いを時々して、他の時間はのんびり過ごす。少しだらけている気もするが、それが春休み中の私の日常。その日も、いつも通り、何も変わらない1日を過ごすのだろうと思っていた。しかし、突然1本の電話が鳴り、出てみると、みーくんの母からだった。「みーくんが倒れて意識不明の重体だから急いで来て。」と。それから私の日常は消え、待っていたのは悲しみだった。電話があった日から10日後、みーくんはこの世を去ったのだ。21歳だった。そこから後は忙しくてよく覚えていない。しかし、思い返すと、彼は本当に沢山の思い出を私達にくれていた。悲しみは大きいが、それよりも楽しかった記憶の方が大きく、私は今、みーくんとの思い出を胸に高校生活を楽しんでいる。私は今16歳。みーくんが21歳で、今はまだ5歳差がある。しかし、これからは、1年がすぎるたびに差が縮まり、いずれ私が追い抜いてしまうだろう。みーくんの時間は、止まってしまったのだから。どんなに辛く、苦しいと思っても、自分だけ楽になろうと思って自分の時間を自らの手で止めてしまう人が出ないよう、周りの人達の心の叫びに、耳を傾けなければならない。くらい家が揺れた。何の前触れもなく家ごと一、二分もの間揺れ続けた。机の下に隠れる余裕もなく私は弟を自分のもとへ呼び、ソファーの後ろで抱きついた。次の日、震度七の地震が再び起きた。私の住んでいた地域では地震の被害はほとんどなく、余震が続く程度であったが二、三日怖くて眠れなかった。テレビでは益城町や熊本市内の方は同じ熊本県とは思えないほどに、家や建物がなくなっていた。一家族でおにぎり二個など、十分に食べられない、その上車中泊をされていた。一方、私達はいつも通りにお腹いっぱいご飯を食べ、水を飲み、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。何も協力できず、ただ悔しい思いがあふれていた。私が今、言いたいこと。それは一日一日、自分のたった一つのかけがえのない命を大切にすること、当たり前のことに感謝すること。最後に、この日本というすばらしい国に生まれてきて良かったこと。熊本地震でも仙台や、名古屋など全国からの支援があり、さすが日本。団結力は世界一だと、私は思った。この熊本地震の恐ろしさ、自然には敵わないということを決して忘れない。生きているから伝えたいこと熊本県立玉名高等学校(熊本県)山下葉奈さんこの短い人生の中で二つの大震災に遭遇した者が、はたして何人いるのだろうか。東日本大震災と熊本地震。私はどちらも体験した。幸い被害の少ない方の地域ではあったが、どちらも、死を覚悟したゆれだった。高校生活を送る私たちには毎日様々な問題が起こる。人間関係のトラブル、けんか、勉強や部活動での悩み。それらが起こるたびにすぐ「死にたい。」「死ね。」などの言葉を発する。でも誰も、本当の死の重みなんてわかっちゃいない。今、これだけは言いたい。上を見れば空があって下を見れば真っすぐな地面があって周りを見れば家族や友達がいる。それがどれだけ幸せなことか、どれだけ素晴らしいことか、ちゃんと知っておかなければならない。天災は、誰にも止めることができない。亡くなった人たちは誰も恨むことができない。だからこそ、私たちはその人たちの分まで生きなければ