17歳からのメッセージReport2016

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17歳からのメッセージ0717歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧ラーメン屋のおばちゃん京都府立聾学校(京都府)衣川暁さん私にはよく行く某チェーン店のラーメン屋がある。そこへはバイト先に近く安いからとよく行っていた。今は、そこで働いているおばちゃんに会いたいからという理由で行っている。私は、耳が聞こえない。だから人と話すことが苦手で、極力、人と関わらないように生活してきた。名前も知らない人と話すことはありえないことだった。何回かラーメン屋に通ったある日、おばちゃんが突然話しかけてきた。手話で「おはよう。」と言ってきたのだ。かなり驚いている私を見ておばちゃんは嬉しそうに「手話覚えた。」と言ってきた。嬉しい出来事であったが、他人と話すということに慣れていない私はどう返せばよいのか分からず会釈だけして逃げてしまった。そんな私におばちゃんは、行くたびに新しい手話を覚えて話しかけてくれた。こうして通い、話すうちに気付いたことがある。それまでは、私が他者と話すことが苦手な理由は、「聞こえないのだからコミュニケーション手段が違うし、仕方がない。」というものだった。結局、全て自分の耳のせいにして逃げていたのだ。私は、今でもそのラーメン屋に通っている。私に変わるきっかけを与えてくれたそのおばちゃんに感謝しながら食べている。学生審査員賞1作品大阪経済大学在学生が選ぶ優秀作品にも選ばれました。恋のふしぎ大阪市立南高等学校(大阪府)大庭穂香さん作品は、p.06学生審査員賞に掲載しています。金賞9作品テーマ1今までの自分、これからの自分十三歳の私へ済美高等学校(愛媛県)玉木瑞姫さん本棚の整理中、本と本の間から零れ落ち、ひらりと足元に舞い降りたのは、一枚の手紙だった。なんやろう、そう思って拾い上げる。『私へ十三歳の私より。』紛れもない、私の字。『元気ですか。』当たり障りない言葉で始まったその手紙には、十三歳の私の心の叫びが詰まっていた。クラスメイトにひどい裏あだ名をつけられていたこと。ありもしない噂を流されたこと、机に触ったら、汚れたと言われたこと。『私は今、笑えていますか?』十三歳の私の切実な問いかけに、当時の気持ちを思い出して、胸が苦しくなった。誰かの笑い声が、囁きが、視線が怖い。教室にいるのが苦痛で、周囲がすべて敵に見えた、あの頃。『まだいじめは終わってないけど、きっと乗り越えられると思っています。大切な家族、友達と一緒に。』中学校時代の友人たちを思い浮かべる。彼らがいたから、学校に行こうと思えた。いじめを乗り越えることができた。『最後にお願いがあります。私を支えてくれたすべての人に、ありがとうと伝えてください。』私は手紙を元のとおりにしまい、それから、テレビを見ていた母に後ろから抱きついた。「うわっ、なんよ?」驚く母を余所に、私は笑顔で言った。「ありがとう。」母は怪訝そうな顔をして、「変な子やね。」と言って笑った。十三歳の私へ。大丈夫、私は今、笑えてるよ。あなたがそう信じたように。テーマ2ソーシャルメディアのリアルメールがつないだこと京都府立京都八幡高等学校(京都府)平石千波さん「げんきですかようぐるとをたべました」おじいちゃんからメールがきた。おじいちゃんが、がんばって文字を打ってくれたことが嬉しかった。短文で日常的なことをつづったメールがかえって好きだった。おじいちゃんは携帯電話は持っていた。けれど、通話の機能しか使わなかった。おじいちゃんは入院していてなかなか会えなかった。だから、少しでも近くに感じれるようにと思い、メールの使い方を教えた。ついにメールが届いた。それから数回やりとりをした。おじいちゃんは、私とメールしていることを病院の先生に嬉しそうに話していたそうだ。「げんきですか」この言葉はおじいちゃんの嬉しいと同時に、少し照れるような気持ちを表しているように感じた。私はおじいちゃんと友達でもあるような気持ちだった。通話は声が聞こえるので良い機能だ。けれど、メールは文面が残るし、再び見返すことができる。おじいちゃんは若者が使うと思っていたメールができてよろこんでいた。現代の発展している機能の1つが私とおじいちゃんをつなぐ良い道具になり、SNSを通して2人の良い思い出になった。バッタのようなイナゴ達大阪市立工芸高等学校(大阪府)土井渡我さん「まるでイナゴのようだ。」と誰かが言った。食い荒らし、無くなればまた別の場へ。他のことは考えず、ただ己が食欲を満たすことだけを考える。それは誰か。勿論「ネットイナゴ」だ。「赤信号、みんなで渡れば恐くない」とはよく言ったものであり、見えないネットで繋がる彼らは理性と恐怖を失い、対象を攻めたてる。顔が見えないことを良いことに。彼らは滅ぼしてゆく。彼らとは誰か。それも「ネットイナゴ」である。対象がどうなろうと知ったことではない。むしろ「自分が叩かねば誰が叩く」と言わんばかりの態度で筋の通らない批判を延々と書き込み続ける。火に油と薪と風を送って。その実、ただの気晴らし、八つ当たりだということにも気づかず。顔が見えないことを良いことに荒らし回る奴らは誰か。無論「ネットイナゴ」だ。事が大きくなろうとも自分達は顔が見えない。特定されるわけがない。たとえ見つかっても、自分達は悪くない、言論の自由だと言い張る。何より法が守ってくれる、と誰もが