17歳からのメッセージReport2017

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17歳からのメッセージ0917歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ笑顔で挨拶をするように心掛けている。なぜならそこから会話に発展することもあるからだ。河川敷でゲートボールをしていたおじいちゃんにはスティックの扱い方や練習の曜日を教えてもらい、「いつでもおいで。」と誘ってもらった。オカリナと偶然出会い、練習する内にリサイタルを開くことになったと体験談を話してくれる人もいた。普段何気なく通り過ぎる道や人にも、未知の出来事や体験が秘められている。そんなちょっぴりの発見を探してみてはいかがか。ヤバイ。この言葉はヤバイ。現代日本に馴染みすぎていてヤバイ。それは使い勝手がヤバイからだろう。これはヤバイことだ。しかし、同時にヤバイ事態でもある。「ヤバイ」はヤバイからこそ、ヤバイのだ―。何だこれ、と思うことだろう。全てをヤバイだけで表す文章の気持ち悪さったらない。しかし考えてみれば、この文章の感想すらも「ヤバイ文章だ」と言い表せる。これは凄いことだが、同時に危険でもある。ヤバイ。この言葉は意味を持ちすぎた。カワイイとキモイのような相反する意味も併せ持つ。どんなに美しくても、酷くても、感動しても、恐怖しても「ヤバイ」の一言で全て片づく。なんて便利で、薄っぺらい言葉だろう。私たち若者はもちろん、大人も何かにつけてヤバイと言う。それでは駄目だ。表現が言葉を選んで行わなければ、さらにヤバイは意味を増やす。いい大人が何でもかんでも「ヤバイ」で済ませる未来など想像するだけでも恐ろしい。一方で、外国人には嬉しい話だと思う。何せYA、BA、Iの3音を覚えるだけでそれなりの意思疎通が可能になるのだ。知らない土地へ赴く上で、これほど心強いものはないだろう。ヤバイを辞書で引くと「危険、まずい」とある。最後はそんなヤバイを正しく使って締めよう。このままでは表現の厚みがなくなるので、日本語の未来がヤバイ。ヤバイ日本語鳥取県立米子南高等学校(鳥取県)藤原和人さん拝啓、過去の私へ。十七歳の私は、あなたが思いうかべているような、立派な人にはなれていません。朝は寝坊するし、勉強だってとびきりできるようになったわけじゃない。だから、過去のあなたに向かって上から言える事なんてありません。だけど、一つだけ伝えたい事があります。それは、周りの人達を大切にしてほしいという事。先生、友達、家族。その人達のおかげでここに立てているのだから。拝啓、未来の私へ。十七歳の私が掲げた「栄養士になる」という夢を叶える事はできていますか。もし叶えられていなかったとしても、その夢を追い続けられているのなら、それで私は充分です。カッコイイ大人になれていなくていい。頑張る事ができる大人になってください。一度決めた夢を、目標を、あきらめないでください。頑張る事が苦手な十七歳の私がいつまでも応援しています。拝啓、今の私へ。今こうして、文章を書いている私へ。「過去は変えられないけど、未来は変えられる。」誰かがそう言っていましたよね。過去の私へは、今まであった事しか伝える事はできません。だけど、未来の私へは今からあってほしい事を伝える事ができます。まさしく、未来は変えられるのです。その為に、昨日よりも良い明日の自分へと一緒に進んでいきませんか。十七歳の私より。今までの自分、これからの自分テーマ1三人の私へ石川県立穴水高等学校(石川県)松本志維さん「乳首は、女性にしか必要のないものなのではないか」と。そこでこの疑問を解決するために、私は乳首について調べることにした。そこから私は、一つの重大な事実を知った。その事実とは、乳首は、性別がまだ決まっていない段階、つまりは胚の段階でついているということだ。その事実から、私は一つの結論に至った。その結論とは、「乳首は女性が成長した場合に必要なためについている」という結論だ。その結論からいえるのは、「どうして男性に乳首がついているか」という疑問は、根本の部分で間違っていて、男性に必要かではなく、ヒトに必要なものであるということだ。そして、結論に至るまでの過程の段階で私が思ったのは、誰もが今とは異なった性別で生まれてきていた可能性があったということだ。「もしも、自分が今とは違う性別だったら」という風に考えれば、様々な可能性が見えてくる。「どうして男性に乳首がついているのか」というふざけた疑問で、ここまでの可能性があるのであれば、世界にはあとどれだけの可能性があるのだろうか。長期休暇中の散歩を私は大切にしている。散歩といっても行き先は決めず、ただ足の向くままに進んでみる。無意味に時間を過ごしていると考える人もいると思うが、意外に得られるものも多い。まず家を出て周囲を散策するだけで、驚きの連続だ。昔は畑だったのに駐車場に変わっているとか、見慣れていた桜の木が切られて寂しげに切り株だけが残っているとか。たわいもない日常のちょっとした変化を目にすることは簡単なようで実は難しい。例えば学校へ行く時、いつも同じ道を通っていたら目新しいものが次第に少なくなり周囲に関心を払わなくなる。慣れない場所へ行く時、スマホばかりに気を配って大雑把にしか周囲を把握しない。こういう行動はとても自然に起こってしまう。だがそんな所にも日々移りゆき、私達に驚きや幸せを与えてくれる何かがある。人との出会いも散歩の醍醐味。散歩の際は、私は誰にでも私の知らない世界に帝塚山学院高等学校(大阪府)田中裕子さん銀賞●48作品