17歳からのメッセージReport2017

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応募参加校一覧17歳からのメッセージ1017歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞文字や言葉でどうやったらこのあふれるような気持ちは伝えられるのだろう。軽く誰でも口にする「ありがとう。」じゃ足りないのだ。もっと強くて特別な言葉を見つけたい。母への感謝を文字や言葉で表現するための文章力をつけること。それが今の私の目標だ。そしていつかは伝えきるのだ。あのとき母がかけてくれたような心にまっすぐ届く言葉で。僕は生まれた頃から耳が聞こえない、聴覚障がいを持っている。そのため、ろう学校に通っていて、第一言語である手話を使わずに生活を送ることがなかった。しかし、小学部から高等部まで知識や経験を身につけていくうちに、いろいろな方法で、また、相手が誰であってもコミュニケーションをとる自信が持てるようになった。例えば、他校生との交流や実習の時に筆談だけではタイミングがずれるという不便さがあるため、身ぶりや表情も工夫して伝える方法をとった。相手には筆談のみと比べてよく伝わるようになり、スムーズな会話が成立した。それまでは、「耳が聞こえないから何もかも出来るわけではない。健聴者より劣って当たり前。」と考えていた。これは事実ではなく、言い訳にすぎないということに気づいた。耳が不自由でも工夫すれば出来ないことはない。つまり、努力次第であることを成長の過程で学んだのだ。僕は、現代の情報社会に興味があるので、大学で情報について学びたいと思っている。大学は手話を使わずに授業を受けることになる。不安はあるが、今までの経験や知識を活かして、筆談や身ぶりなどでコミュニケーションをとっていきたいと思っている。聴覚障がいを持ってるからといって諦めるのではなく、工夫をして挑戦していけば道は開けるというポジティブな考えを持ち続けていきたい。障がいの壁を越えて奈良県立ろう学校(奈良県)奥井優太さん言った。「お母さんの作るお弁当の方がおいしいし、もっと凝ってる。おいしくないから、もう作らなくていいよ。」と、むしゃくしゃしていてつい言ってしまった。父は怒って言い返してきたが、少し悲しそうだった。それからしばらくは、自分で作っていたけど、ケガをして作れなくなってしまった。その時に、また父がお弁当を作ってくれていた。心の中では、「もういいのに」と思いながら、お弁当を受け取り学校へ行った。お弁当を開ける時が来た。開けてみると、そこには父の努力の塊が詰まっていた。驚いた。中でも特に驚いたことは、「タコさんウインナー」で、一つ一つ丁寧に顔まで作られていたことだ。それを見た瞬間、今までの父に対する気持ちが変わった気がした。それから父はできる家事を全てこなし、母の負担を減らすために陰で努力をしていることに気づいた私は、今度は私が父のために努力をしなければならないと思った。「タコさんウインナー」のおかげで父子の関係がより深まった。伝えたい。前とは違う感謝の思いを。母に感謝の手紙を書くこと、それは小学五年生のときの夏休みの宿題だった。母が感動するように、それ以外の大人も感動するようにと考えて書いた。「いつもありがとう。これからはお手伝い頑張ります。」と。それから三年後の中学二年生。クラスメイトとの仲が上手くいかず、辛い学校生活を送っていた。クラスに居場所がなくていつも一人。家では崩れるように泣いていた。そんな私を励ましてくれたのは母だった。鳴咽の中で絞り出すように話す言葉も最後まで聞いてくれ、共感してくれた。長かった辛い日々を支え続けてくれた。「大丈夫。いつかは終わるんだから。」この言葉で私は何度救われただろう。かけてくれたたくさんの言葉は優しくて特別なものだった。母はまさに砂漠の中のオアシスのような存在なのだ。それに気付いたとき、私の中に今までにない大きな感謝がわいてくるのが分かった。五年前の作文はありきたりな言葉を並べただけだった。「ありがとう」だけでは伝わらないこと大阪市立南高等学校(大阪府)久米紗世子さんどうしても言いたかった。別れの言葉と感謝の気持ちを。でも、言えなかった。こういう時に限って言葉が詰まり、自分の不甲斐なさを痛感する。今も笑顔で、手をブンブンと音が鳴っているのではないかという程に大きく振ってくれている。そんな姿を見ることができるのも今日で最後だった。三年間共に過ごした仲間とも校舎ともお別れ。そして今、目の前にいる先生とも。だから、きちんと伝えたかった。けれども、私のそんな想いは届かず、卒業式当日は遠目であいさつを交わした程度で終わった。一ヶ月後、高校進学して間もない頃。訳あって再び先生にお会いすることができた。私は一ヶ月もの間、卒業式で伝えることができなかったことを後悔していた。一ヶ月越しではあるが、伝えることができてやっと後悔が晴れた。今年で三十路を迎えるそうだが、笑うとどことなく子供っぽい一面を見せる先生。私はそんな先生の笑顔が大好きだった。「先生、私演劇部に入りました!高校では部活動を頑張りたいです。いつか舞台観に来て下さいね。」中学の頃より遥かに成長した自分の姿を、自分の好きなもので見せたい。恥ずかしさと照れくささで中々伝えられなかったものも、素直に伝えられるようになりたい。また次に会える日までに。「頑張れ。」別れ際、先生が優しく私の右肩を叩いた。毎朝、お弁当は父が作ってくれる。母が忙しいため、料理が得意ではないのにも関わらず作ってくれる。始めのうちは、冷凍ものばかりで彩りも悪く、詰め方も最悪だった。昼食の時間になり、いつもお弁当箱を開ける瞬間の悪臭と見映えの悪さにうんざりしていた。そして家に帰って父に恩師に、さようなら。愛知県立古知野高等学校(愛知県)加藤早織さんタコウインナーに隠された努力京都産業大学附属高等学校(京都府)伊勢戸沙紀さん