17歳からのメッセージReport2017

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17歳からのメッセージ1117歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ再確認することができた。思春期に入ると、誰もが親と話すことがうっとうしく感じたり、面倒くさく感じたりすることが多くなるだろう。私もその一人だった。しかし、父の毎日の声かけや行動にもう一度目を向け、愛情をうけていることに気づくことができた。これまで父を傷つけたことはたくさんあったけど、今は父に「ありがとう。」と感謝の気持ちを伝えたい。私はいままで、家事というものをしたことがなかった。洗濯物たたみや、お皿洗いなど、どれもだるいものばかりだからだ。しかし、そのだるい家事をしているのは母と弟だった。弟は母が大変だろうと家事の手伝いをしていた。それを私はいつも見ているだけだった。だが弟も中学校を卒業し、地元を離れ大阪の高校に入学した。そうすると母がすべての家事をすることになってしまったのだ。私は母にここまで育ててもらった「感謝」というものがある為、何かの形で親孝行がしたいと考えていた。これはいい機会だと思い、弟が毎日していたお皿洗いをし始めた。最初、皿の洗い方や乾燥機の使い方さえ知らなかった。何日か続け、あることに気がついた。なぜなのか分からないのだがお皿洗いという家事をした後、絶対に気持ちがすっきりとするのだ。私はこれがとても好きになった。だがお皿洗いを時々だるいと感じることもあった。そのような時はもっと大変な母のことや、これを毎日続けていた弟のことを思い出し、自分にむちを打った。いまではお皿洗いを続けてもう少しで、一年になる。この一年で私はとても変わることができたと思う。人の為に何かをするということがとても楽しいと思えるようになったのだ。だが新たな試練が待っていた。食器洗い機が家に導入されたのだ。私は時代の進歩に負けたのだ。いまやっているお風呂掃除ものちのちとられてしまいそうだ。時代との戦い宮崎県立宮崎北高等学校(宮崎県)小山蓮さんそうだ。私は父や母の苦労を気にも留めていなかった。愛情さえも無下にしていたのではないのか?そしてこうも言われた。「無償の愛というものは無い。お互いの愛情のやり取りがあって初めて相手に尽くそうという気がおきる。」私はハッとした。自分の愛情を粗末にされるのは嫌だ。それを私は母にしてきた。でもそれはいけないこと。ちゃんと恩返しをしなくてはならない。それから私は、以前より父と母の手伝いを進んでやっている。手伝いをして喜んでもらえると、私も「次も手伝おう」という気持ちになる。親はただ子を養うだけの人じゃないし、子も親のお荷物じゃない。子も親の苦労を知り、愛情を示すべきだ。それこそが、「親子の絆」だと私は思う。親も、子も、どちらも手を取り合って、一緒に歩んでいくべきなのだ。授業に使うノートを探している途中、一冊のピンク色のノートを見つけた。「こんなノートあったかな」と思い、開いてみると、小さな文字がたくさん並んでいた。昔、父とはまっていた交換ノートだったのだ。パラパラとページをめくるにつれて懐かしい気持ちがあふれだす。「明日は公園に行きたいな。」の下には「いいよ。公園のお花を見に行こう。」とか、「今日は嫌なことがあったよ。明日学校行きたくないな。」と書くと、「大丈夫。また明日がんばろう。」と返してくれる。また、私の父は魚釣りが好きで、よく魚の絵を描いていた。父の絵は、そこまで上手くもないけれど、細かい部分まで描いていて父のまじめさが感じられる。今は、学校や部活が終わって疲れて帰ると、父と話すこともきつくて、あまり会話をする機会がない。父が話しかけてきても、「そうだね。」とか「わかった。」とか雑な返事をすることが多い。けれども、父は毎日話しかけてきてくれる。昔の交換ノートを見つけ、読み返したことで父の優しさを交換ノート長崎県立長崎明誠高等学校(長崎県)野上理世さん「先生らは香帆さんの苦手なことを手伝ってるだけやからね。申し訳ないなんて思ったらあかんで。」この言葉は私の考えを変えた。私は生まれつき脊髄性筋萎縮症という病気を持っている。全身の筋力が弱く自力歩行が出来ないので、車椅子を使っている。そのため、食事や移動等様々な場面で支援を受けている。私は、高校生になるまで支援を受けることに申し訳なさを感じていたので、なかなか支援に対する希望を伝えられなかった。しかし、高校に入学して担任の先生にこの言葉を言われてからとても気持ちが軽くなった。それからは少しずつ、自分の希望を伝えられるようになった。希望を伝えることで身体的にも精神的にも負担が減り、自信にも繋がった。さらに、介助者も「はっきり言ってくれるから助かる。」と言ってくれた。自分の希望を伝えることは、自分のためにも介助者のためにも大切だと気づいた。これからは、支援を受けることに申し訳なさを感じるのではなく、感謝を伝えていきたい。さらに、支援についての希望を今以上に細かく伝え、そして支援を受けながら公共交通機関を使っての外出やスキューバダイビング等、色々なことに挑戦したい。「あんたなんか、うちの子じゃない。」私は今までわがままばかり言って母を何度も怒らせてきたのだが、今回ばかりはただごとではなかったようだ。おそらく、母の我慢の限界だったのだろう。私は母をそこまで追いつめてしまったことを後悔して、死にたいとまで思った。後に父に説教された。「お前は親を親だと思ってはいない。」支援を受けるということ和歌山県立みくまの支援学校(和歌山県)木本香帆さん「親子」であるために愛媛県立三島高等学校(愛媛県)岸愛梨さん