17歳からのメッセージReport2017

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17歳からのメッセージ1517歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリたのだ。負けた。敗北感と同時に「もうどうにでもなってしまえ」と思う気持ちが私を襲い、おからを大量に食べた。ひじきやねぎ、にんじんにちくわなどの具材が入り、栄養いっぱいで、作って一日寝かせ、ひんやり冷えたおからを、炊きたてのあつあつご飯にのせ、口に運ぶ。その時の気分は、「最高」というこの二文字が最高に似合っていた。私とおからはもう切っても切れないものになっている。これからもおからを食べていこうと私は思う。「おはよー。」毎朝何気なくお母さんと交わすあいさつだ。この日もこのあいさつから始まったが、いつもよりもお母さんの声が大きかったように感じた。そう、今日はお母さんの誕生日だったのだ。しかし私はそのことに気づかず、いつも通りの朝を過ごした。私がそのことに気づいたのは、その日の夕飯の時だった。いつもはキッチンにいるはずのお母さんの姿が、今日はお父さんに変わっている。出てきた料理もいつもより豪華。そんないつもとは違う情景に私ははっとした。この時初めてお母さんの誕生日ということを私は知った。当然忘れていたのだからプレゼントなど買っているはずがない。私は焦った。私の家族は、誰かの誕生日の時には必ず誕生日パーティーが家で行われる。今日もそのパーティーが始まった。「おめでとー。」というお父さんと弟の声に私も続いて言った。が、その声と同時に二人はそれぞれが買ったプレゼントを差し出した。その時の私はまるで赤の他人かのような態度でその光景を眺めていた。私は耐えられず席をはずそうとした時、お母さんは私に向けて「ありがとう。」と満面の笑みで言った。私は焦った。このたった五文字の言葉にこんなにも感極まったのは初めてだった。数日後の朝、私はいつもよりも元気よくあいさつを交わした。私は今日のために私の中で一番のプレゼントである手紙を用意した。そう、今日は母の日である。感謝山梨県立甲府昭和高等学校(山梨県)茂木一真さん「疲れてない。」って言う。裁縫が本当に苦手なのに、「裁縫なんて簡単やわあ。」って言う。裕福な家庭じゃないのに、私の靴が擦り減るとすぐに、「お金なんて気にせずにすぐ言いなさいよ!」って怒る。「なっちゃんの誕生日忘れてしまったわあ。」って言いながら、私の誕生日には必ず、長い長いメールとプレゼントをくれる。私は本当は知っている。陰で風邪薬を飲んでいることも、一晩中かけて指をケガしながら私の破けた服を縫っていたことも。私の靴よりもママの靴の方が擦り減っていることも、さりげなく私の欲しいものを聞いてきたことも。全て分かっている。私はママの嘘に沢山守られてきた。ママの「嘘」は、私への「気遣い」であり「愛情」の一部だ。私は嘘が嫌いだ。つくことも苦手だし、つかれるととても腹が立つ。だけど、ママの嘘は大好きだ。人を幸せにする、優しい嘘。私はママの嘘を全て分かっている。だけど言わない。今日も知らないフリをする。その代わりに今、これだけは言いたい、「いつもありがとう、ママ。」って。おから。またの名はうのはな。それは私の好物だ。大好物とも言わないが必ず食卓に並ぶし、飽きることなく毎日食べている。ある日、母におからとは何か聞いたところ、豆腐のかすだと教えられ、昔はよく家畜のえさにしていたとも聞いた。自分はこんなにも質素なもので喜んでいたのかと驚いた。ショックにも感じられた。昔から自分の小ささや情けなさはあらゆる場面で感じ、慣れたつもりでいたが自分は小さな人間なんだと改めて感じさせられたし、おからでそんな思いをすること自体まぬけだと思った。そんなことを考えていると、夕食の時間になり、相変らずあいつが食卓に並んだ。私はなんとなくあいつに箸をつけたら負けだと感じ、箸をつけずにいた。がしかし、夕食の時間も後半に差し掛かったころ、バラエティー番組を見て気の緩んだ私はあろうことか、あいつに箸をつけてしまっおから福井県立三国高等学校(福井県)髙畑ひかるさん手紙は、「やすだのおじいさんへ」とはじまっていた。私は10歳くらいのころ、近所の釣り具屋の店主と文通をしていた。店主は76歳のおじいさん。おじいさんが病気にかかり、店を休みがちになった時、お見舞いに手紙を書いたのがはじまりだった。やりとりは、おじいさんが寝たきりになってしまうまで続いた。私からおじいさんへの手紙の内容は、主に学校のこと。家族のこと。そしておじいさんからの手紙はそれに対する感想であった。私が、好きな先生について、どこが好きだとか書くと、おじいさんも、私の手紙をなぞるように、その先生をほめ、最後に自分の考えをそえる、といった具合だ。私が高校へあがった時、おじいさんが亡くなった。おじいさんの親族は私に私が書いたおじいさんあての手紙をくれた。私にもっていてほしいと。私は黙ってうなずいた。手紙を読み返すと、当時の感覚がよみがえる。何を書こうとドキドキしながら考えたこと。鉛筆の木のにおい。六角鉛筆の平面を中指でなぞる癖があったこと。返事を読む時の嬉しさ。自分でも驚くほど鮮明に記憶がせまってきて、そしてそっと抱きしめられる。メールやLINEといったSNSの発展によって、私達が手紙を書く機会は激減した。たしかにSNSは手軽で便利だ。しかし、もう一度、手紙を書くこと、読むことについて考えてほしい。そして体験してほしい。あのドキドキと、記憶に包まれるあの暖かさを。私は嘘は嫌いだ。つくことも苦手だし、つかれるととても腹が立つ。私だけじゃなくて大半の人はそうではないだろうか。私のママは嘘つきだ。世界で一番嘘つきだ。朝から晩まで、ましてや土日まで働いて、疲れてないわけないのに、いつも手紙を読む。書く石川県立金沢商業高等学校(石川県)中野亜美さん人を幸せにする優しい嘘日本航空高等学校石川(石川県)中田菜津乃さん