17歳からのメッセージReport2017

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応募参加校一覧17歳からのメッセージ1617歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞お菓子を食べていた。そんな日々のせいで、私は一年間生理が来なくなった。肌荒れもひどくストレスがたまりまくっていた。そんな中、やっと祖母が退院し、家に帰ってきた。すぐにチャーハンをつくってくれた。噛みしめるたび、大量の涙が出て、味がよくわからなかった。そんな私を見て、祖母はそっと笑いかけてくれた。祖母は今年で六十五歳になる。物忘れもひどくなった。だから最近は私がチャーハンをつくっている。久しぶりに祖母のチャーハンを食べたい。おこげや米のしんが多くなったあのチャーハン。なぜなら大好きだから。今日もまた遅刻をした。これで一体何回目だろうか。遅刻するくらいなら、休みたい。授業中の教室にカバン背負って一人入って行くなんて、公開処刑だ。職員室に入りたくない。嫌だ。嫌だ。嫌な事だらけだ。どんどん暗くなってく心。真っ黒い竜が腹の中でぐるぐる回る。イナズマ走る黒い空。朝、起きれなかった自分を呪いながらペダルをこぐ。そんな心とは全く違い、今日の天気は晴れ。青空に浮ぶ白い雲も、太陽の日でキラキラ輝く川も、そよそよ気持ちよく吹く風も、今は喜べなかった。嬉しいはずなのに、何かが引っかかる。穏やかな時が憎かった。自分以外が落ちついた時をすごしている。それがどうにも憎かったのだ。学校に近づくに連れて、ペダルが重くなる。スピードも落ちている気がした。嫌だ。学校はしんっと静まりかえっていた。いつも、たくさんの人がいる自転車置き場。誰もいない。いつもと違ったその空間が気持ち悪い。嫌だ。自分一人、とり残されたみたいだ。嫌だ。でも、歩き出す。嫌な事から逃げてるだけじゃダメだから。思い通りに行かなくて、嫌な事しかないけど、逃げるだけじゃダサイ。時に、あきらめは大切だけど、逃げるのは違う。嫌な事から始まった今日。帰りはいい事あるかもしれないからガンバロウ。そう言い聞かせて、校舎へ一歩。「失礼します。遅刻しました。」嫌です。岐阜県立大垣養老高等学校(岐阜県)沼波和吹さんさいよ。」と怒る母の声と、作業着屋のダンボール箱特有の香りを今でもよく思い出す。「お父さんガンだって。脳に近い所だから治療できないってお医者さんが。」母が言った。体調が悪いと言って病院に行った親父は、そのまま入院して二、三ヶ月に一回しか帰ってこなくなった。帰ってくるたびに病気のせいで視力がなくなり、薬のせいで起こしてもすぐに眠ってしまう親父を横目に、私はもうすぐ閉店する作業着屋の仕事を手伝っていた。いつの間にか私は中学生になり、同時に提出物もままならない劣等生となっていた。病院から早朝連絡があり、静岡の病院に車を飛ばした。その日は快晴だった。九月のある日、親父は死んだ。顔のガーゼは取られずに火葬場に行ったので、亡き顔を見ることはできなかった。私は今吉田高校に在学している。親父は私が幼い頃から「香奈は本当は頭の良い子。だから親父が行きたかった吉高に入ってくれたら嬉しい。」とよく言っていた。「親父、私吉高合格したよ、これからも努力するから空の上で見ててね。」と言いたい。私は祖母のつくるチャーハンが大好きだ。パラパラすぎず、ベーコン、ピーマン、ニンジンが細かく切られていて、噛むたびに野菜の旨味がジュワッと出てくる。塩コショウがペーストとなっていてコショウがとてもきいている。しかし、私が好きなのは「味」ではなく「祖母がつくった」というから好きなのだ。私の家族は五人家族で、祖父母、母、兄、そして私である。一人目の父も二人目の父も私が幼い頃に出ていってしまったので、母は朝から夜まで働きに出ていた。なので、家の家事はほとんど祖母がやっている。私が中学生の頃、祖母は入院した。背骨を折って三ヶ月間家にいなかった。なので家事は皆で協力した。しかし、夜ご飯はカバーできなかった。インスタントのものや、お惣菜ばかりで、それでは足りず、夜にちゃあはん岐阜県立大垣養老高等学校(岐阜県)近藤志帆さん―瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれをも末に逢はむとぞ思ふ―和歌の下の句が詠まれてから、次の歌の上の句が詠まれるまでは約一秒。この一瞬の間に、私は全身の感覚を研ぎ澄ます。一音も聞き逃さないように。小倉百人一首の中の百首の歌のうち、五十首の札をランダムに選ぶ。その札を相手と自分が二十五枚ずつそれぞれの陣に並べる。読手が発する一音一音に集中し、判別した歌の下の句が書かれた札に手を伸ばして取る。お手つきをしたら相手から札を送られる。自分の陣の札が先になくなった方が勝ち。それが競技かるただ。「読まれた札を取って、先になくなった方が勝ちね。」かるたを初めて取ったときに先輩にこう言われて、私はなんて単純な競技なのだろうと思った。だがしかし、実は奥が深い。送り札は相手との駆引きだし、最近はかるた道とも呼ばれているように、常に礼儀を重んじて、相手を尊重する。試合の前後には、相手や読手、そして札への一礼を欠かさない。そんな競技かるたに、私はすぐ夢中になった。歌と歌とのたった一秒の間。この瞬間が私は好きだ。誰もが息を凝らし、ぴりっとした緊張感が辺りに張り詰める。誰も声を発さない、この静寂が心地良い。そして、ここでどれだけ集中できるかが、試合の勝敗を左右する。だから私は、毎回この一秒にすべてを懸ける。―滝の音は絶えて久しくなりぬれど―よし!取った!父のことを親父と呼び始めたのは小学校低学年の頃だと思う。なぜその呼び名になったのか理由は分からない。ただ恥ずかしかったのかもしれない。しかし親父という単語にはほど遠い、背が高く色白の父を私は親父と呼び続けた。呼ぶと振り向いた親父の笑顔と、「女の子だからお父さんと呼びな一秒間山梨県立吉田高等学校(山梨県)滝澤梨花さん空の上の親父へ山梨県立吉田高等学校(山梨県)廣瀬香奈さん